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『救い主イエス・キリストの愛』

2016/12/25 21:43
2016年12月25日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第21章39〜22章16節
メッセージ 『救い主イエス・キリストの愛』
メッセンジャー   田中文人牧師

 クリスマスおめでとうございます。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日です。「クリスマス」は、クリスト・マス(ミサ)=救い主を礼拝するという意味です。霊なる神様の助けと導きを得ながら、父なる神様、救い主イエス・キリストを礼拝することが、理に適ったクリスマスのお祝いです。

 1.パウロの証し:今日の聖書箇所には、エルサレム神殿で同邦のユダヤ教徒たちに捕えられ、ローマの役人に引き渡されたパウロが、イエス・キリストを大胆に証ししたことが書いてあります。彼は、要塞に連れて行かれようとした時、自分を捕えた人たちに話しをさせてほしいと申し出ました。
 その申し出が役人たちに認められ、まずパウロが語ったことは、自らも彼らと同じ生粋のユダヤ人であること、以前は、自分もキリストを信じている人たちを迫害していたことです。最初の殉教者ステパノの死にもパウロは立ち合い、石を投げつける許可まで出したことも話しました。
 その様なパウロに復活されたイエス・キリストが、出会ってくださいました。その時も彼は、キリスト信仰者を迫害するためにダマスコに向かっている途中でした。彼は突然光に照らされ地面に倒れました。そして、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と語りかけられる御声を聞いたのです。この時ようやくパウロは、それまで自分が迫害していたキリスト信仰者たちが信じていたイエスさまが、本当の救い主であられること、事実復活して生きて働いておられることを思い知らされました。
 そして、そのイエスさまから今度は、パウロが選ばれ、アナニヤを通して、罪を悔い改め、バプテスマを受けてキリスト信仰者になるように告げられたのです。そのうえ、これからは、救い主を伝える働きに遣わされるというイエスさまのご計画まで知らされました。

 2.私たちも選んで遣わされる主:自分を迫害していた者を選んで、遣わす人が、どこの世にいるでしょうか…?しかも、イエスさまは、迫害する人のためにも十字架で死んでくださいました。ここに、キリスト信仰の「愛」が現わされています。
 私たちもパウロ程ではないにしても、イエスさまのことを知ろうとしなかったり、神様のみ業ではなく、自分の智恵と力で人生を切り開き、生きていると思っているところがあるのではないでしょうか?それらも、キリストを無視し、神様に背を向ける、的外れ(罪)です。
 その様な私たちにもイエスさまは聖書のみ言葉を通して語りかけ、イエスさまを「救い主」と信じて主と共に歩む人生に招き続けてくださっています。主からの招きを聞き取ったならば、私たちも、いまのままで信仰の手を出して、救い主を受け取りましょう。キリストを受け取る時、聖霊によって魂はつくりかえられ、新しい人生が始まります。そして、日々キリストに似るところに近付けられ、自分中心ではなく、主の栄光を現わす人生に立ててくださいます。主の愛を感謝するクリスマスの一日を過ごしましょう。

 (参考聖書箇所:ルカ1章34節、Tヨハネ4章9〜10節)
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『魂の回復U = 御言葉を調べて実行した民』

2016/12/18 12:00
2016年12月18日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   ネヘミヤ記第8章13〜18節
メッセージ 『魂の回復U = 御言葉を調べて実行した民』
メッセンジャー 田中文人牧師

 城壁の修復も終わり、町の安全も守られるようになりましたが、なお民は幸福ではありませんでした。礼拝がおろそかにされ、聖書(神の国)の原則に沿う日常生活から離れていたままだったからです。ですが、ユダヤの暦で第7の月(いまのカレンダーでは10月頃)の第一日に、イスラエルの民は、エズラのもとに自発的に集まり、律法の書の朗読を願い出ました。そこから魂の回復が与えられていきました(8章1〜12節)。今日の箇所には、その翌日のことが書いてあります。

 1.御言葉を深く悟ろうとした民: すべての民の家長たちは、エズラのところにもう一度集まり、律法の書(創世記〜申命記)の意味を深く悟ろうとしました。「悟る」は、「調べる」とも訳されています(新改訳)。
 私たちも聖書のひとつひとつの聖句につながること自体によって、霊で神様との交わりが与えられます。ですが、聖句の意味をしっかり知ることにより、神様、イエスさま、聖霊なる神様のご性質を深く知らされます。そのためには、その聖書箇所の意味をよく調べることが大切です。ベレアの人たちも、パウロが語るメッセージが聖書(旧約)通りかどうか、よく調べました。その結果、多くの人たちが救い主を信じる信仰にあずかりました(使徒17章11〜12節、参照)。

 2.御言葉を行なった民: 律法の書をよく調べた民は、仮庵の祭りをするよう、神様が命じておられることを悟りました。そこで、その通りに枝を集めて仮の小屋をつくり、一週間、そこに住み、実際に野宿同然の生活をやってみたのです。ただ、先祖がやっていたことを再現しただけではありませんでした。城壁が完成したこと、そのため仮庵に泊まっても安全が守られることを実感し、主の大きな恵みを心から感謝したのです。
 私たちも、御言葉を調べてその意味を悟ったならば、その聖句をやってみることが大切です。御言葉を実践してみることによって、自分勝手に生きていた時とは全く違う、主の恵みと聖霊の守りを体験出来ます。

 3.喜びに満たされた民: 仮庵に住んだ民は、喜びに満たされ、祝いました。
 私たちは、「聖書から聞き取った意味に沿って生きるように」と聞くと窮屈に思うかも知れません。ですが、それは逆です。天国の原則に沿う歩みをしてみるのですから、最も安全で、祝福され、喜びに満たされます。
 救いは、御言葉を実行することによっては得られません。ただイエス・キリストを「救い主」と信じるだけで与えられます。キリストを信じるだけで律法も行なったことと見なしていただけます。ですが、そのキリストを信じ、信頼して新しい人生をはじめたのですから、キリストが歩まれたように生きたいと願い出たいものです。そこに、喜びと祝福される人生があります。今週も、御言葉を調べ、遣わされる所で実践してみましょう。

 (参考聖書箇所:使徒17章10〜12節、ヤコブ1章22〜25節)
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『覚悟を決めていたパウロ』

2016/12/11 12:00
2016年12月11日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第21章1〜16節
メッセージ  『覚悟を決めていたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 ヴィジョンの実現のためには、覚悟を決めて一歩踏み出すことが大切です。覚悟がなければ、反対や困難に直面したとき、挫折しかねません。それでは、ヴィジョンはとても実現していきません。その覚悟は、どこから与えられるのでしょうか?

 1.各地で反対されたパウロ:第三回伝道旅行の帰り道、パウロたちの一行は、ミレトスでエフェソの人たちに別れのメッセージをしてから、船を乗り継ぎ地中海を渡ってティルスに着きました。荷物の積み降ろしの間の七日間、パウロたちは、現地の弟子たちと主にある交わりをしました。ところが弟子たちは、霊に動かされ、パウロにエルサレムには行かない様に繰り返し言いました。それでもパウロは、七日後、また船に乗り込み、エルサレムを目指して出発して行きました。
 プトレマイスを経て次に立ち寄った場所はカイザリヤでしたが、そこでは、預言をする4人の未婚の娘を持つ宣教者フィリポの家に泊まっていました。すると何日か経った時、ユダヤからやって来たアガポが帯で自分の手足を縛って、エルサレムに行くならば、この様になると示しました。そこで、同行していたルカたちもパウロにエルサレム行きをやめる様、しきりに頼みました。
 ですが、その時のパウロの答えが、「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」(13節)でした。これを聞いたルカたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐみました(14節)。
 パウロはこの様に何度もエルサレムで苦難に会うことを告げられましたが、それ以前に彼自身にもイエスさまから知らされていました。ですから、パウロにとってこれらの預言は、主から告げられていたことを確認したに過ぎなかったといえます。
 2.御言葉による覚信と覚悟:ですが、いくら事前に主から直接知らされていたとは言え、なぜパウロはこれ程までに覚悟を貫き通せたのでしょうか?それは、やはり同じ主イエス・キリストからその先のヴィジョン=ローマに行きキリストを伝える使命=まで与えられており、そのヴィジョンのためにイエスさまご自身がパウロを遣わし、守るという御言葉まで与えられていたからです(使徒22章21節参照)。そこでパウロの覚悟は、彼自身の強さによるのではなく、御言葉によるものだったのです。ですから、いくら人々から苦難を予告されても、全く怯むことなくローマを望み見ながら、エルサレムに向かって、進み続けられたのです。
 3.私たちの覚悟:私たちもヴィジョンの実現に向けて一歩踏み出し、進み続ける時、覚悟が必要です。私たちには、聖書66巻が完成して与えられています。祈りと聖書によく聞くことを通して、何より聖句によって主から与えられたヴィジョンであることを確認しましょう。その確認が与えられるならば、覚悟も決まります。主から決断に導かれた覚悟であるならば、反対して来る人たちにも配慮を示しながら、ヴィジョンの実現に向かって進み続けられます。パウロも、反対者たちに愛を示し配慮を忘れませんでした。だからこそ多くの弟子たちが別れを惜しんで船まで見送りに来たのでした。

 (参考聖書箇所:マタイ16章24〜25節、タマルコ8章31節、ルカ9章51節、使徒20章22節、)
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『魂の回復T御言葉に耳を傾けたイスラエルの民』

2016/12/04 19:25
2016年12月4日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    ネヘミヤ記第7章72後半〜8章12節
メッセージ 『魂の回復T御言葉に耳を傾けたイスラエルの民』
メッセンジャー 田中文人牧師

 今日は、有明キリスト教会の「世界祈祷週礼拝式」です。いつも以上に、日本バプテスト連盟から世界各地に遣わされている宣教師とご家族、その地域に救い主イエス・キリストが宣べ伝えられることを願って祈りましょう。

 1.ネヘミヤ記の後半について: 今日から旧約聖書は、しばらくネヘミヤ記を読み進めます。ネヘミヤは、エズラがエルサレム神殿を再建した後、城壁の修復工事にあたりました。ですが、ネヘミヤが神様から与えられていた使命は、それだけではなく、民が、幸福な(祝福される)生活に戻されることでした。
 2.自ら律法の書の朗読を申し出た民:民が幸福でなかった最大の原因は、心からの礼拝を献げていなかったところにありました。ところがネヘミヤやエズラといった指導者たちが勧めたのではなく、長老たちをはじめ民は、第7の月に自らすすんで水の門の広場に集まって来ました。そして、一人の人のようになり、エズラにモーセの律法の朗読を願い出ました。ここから心からの礼拝=魂の回復が始まっていったと言えます。
 キリスト信仰の礼拝も、聖書の聖句ひとつひとつを熱心に聞くところからはじまります。私たちは、毎回その様な思いで、教会に集まっているでしょうか?
 3.「アーメン」とみ言葉を受け入れた民:律法の書を熱心に聞いた民は、「アーメン」と言いました。アーメンは、「その通りです」という意味です。聞いたみ言葉を受け入れ、「その通りです、アーメン」と言えるためには、「聖書は、誤りなき神の言葉」という信仰に立っている必要があります。聖書の内容に矛盾を感じることがあるかも知れませんが、いまの私たちには理解出来ないだけかも知れません。神様もイエスさまも私たちの理解を超えて存在し、働いておられます。そこに思いと目を向け、「み言葉だけには誤りがない」という視点で「アーメン」と受け入れましょう。
 4.み言葉を理解した民:エズラ他祭司たちの翻訳と説明によって民は、律法の書の意味を理解しました。心から「アーメン」といえるためにも、やはり、聖書理解は欠かせません。
 5.悔い改めに導かれた民:み言葉の意味がだんだん分かって来ると、民は、自分たちが、如何に的を外した生活をしているかに気付かされていきました。そして、心からの悔い改めに導かれ、涙を流して罪を悲しみました。
 6.主を喜んだ民:ですが、この日は喜びの礼拝を献げる日でしたからネヘミヤとエズラたちは、民に泣くのを止め、富んでいる者が貧しい者を助けて皆でご馳走を食べ、主を喜ぶように勧めました。

 私たちも聖書のみ言葉を熱心に聞き、アーメンと受け入れ、そして理解する時、罪の悔い改めに導かれます。キリストの十字架の血による罪の赦しをいただき復活を信じて永遠の命の約束にあずかるならば、礼拝は、喜びで満たされます。礼拝によって魂の回復が与えられ、祝福される日常生活に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:ローマ10章9〜10節、Uコリント7章10節)
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