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『わたしたちも神殿をおろそかにしません』

2017/01/29 12:00
2017年1月29日主の日礼拝式メッセージ要約

聖書   ネヘミヤ記第10章1〜40節
メッセージ 『わたしたちも神殿をおろそかにしません』
メッセンジャー 田中文人牧師

 エルサレム神殿の再建も、城壁の修復も終わり、御言葉(モーセの律法)に立ち帰り、悔い改めた民は、日常生活面でも、御心に適う歩みをはじめ直す決断をしました。今日の31節までに、誓約書に捺印した人たちの名簿が記されています。

 1.具体的な生活(32〜40節):32節以下が、民が立ち帰る決断をした掟に適う生活です。 1)異邦の民つまり偶像を拝む人たちとは結婚しないこと。(31節) 2)安息日と安息年を守ること(32節)=毎週の安息日(当時は土曜)には、物を売りに来ても買わない、七年の一度の安息年には、畑も休ませ、借金も免除する。 3)神殿税を納め、その献金は礼拝のために用いる。(33〜34節) 4)動物の献げ物を焼くための薪の納入(35節) 5)初物の献げもの(36〜37節)=主を第一にし、感謝する献げもの。 6)祭司のための献げ物=献げものを受け取った祭司たちもその10分の1を献げました。
 城壁の修復のためにも民は献品し労力も献げましたから、さらにこの掟に従う生活をしていくには、大きな犠牲が伴ったと思います。それでも民は、決断し、誓約しました。

 2.私たちにとっての神殿:私たちにとっての神殿もひとつは、キリスト教会といえます。もうひとつが、キリストの十字架の血によって買い戻された私たち自身です(Tコリント6章19〜20節)。

 3.私たちの決断:二千数百年前のイスラエルの民は、この様な誓約をしましたが、結局、これも守ることは出来ませんでした。
 いまの私たちには、これらの律法全部を実現してくださったイエス・キリストが差し出されています。ですから、イエスさまを「私の救い主」と信じるだけで、誰でも救いの恵みにあずかり、律法全部を行ったと見なされ、神様に受け入れていただけます。救われるのは、行いによらず、ただ信じるだけです。ですが、だからといってそれからのクリスチャン生活も救われる前と同じでよいということにはなりません。罪の赦しと永遠の命の約束をいただいたならば、その感謝の思いから、少しでも天国に迎え入れられる者に相応しく神の民の歩みを願い出たいものです。
 この機会に私たちも、今日の聖書箇所に沿って自分の生活を見直してみましょう。基準は、この世と妥協せず、神様を第一にすること、同じ様に隣人を心から愛すること、そして主の栄光を現わす生活です。そこに祝福があります。

 (参考聖書箇所:ローマ12章1〜2節、Tコリント6章19〜20節、〃10章31節)
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『エルサレムでキリストを力強く証ししたパウロ』 

2017/01/22 12:00
2017年1月22日 主の日礼拝式メッセージ要約
聖書  使徒言行録(使徒の働き)第22章30節〜23章11節
メッセージ 『エルサレムでキリストを力強く証ししたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 人前で説明を求められたり、申しひらきをしなくてはならない状況に立たされたりする時、私たちは、何を基準に語るでしょうか?
 1.議会の主導権を取ったパウロ:なぜパウロがユダヤ人たちから訴えられているのかを知るために開かれたユダヤの最高議会で、まずパウロは、自分は、イエス・キリストと出会い、救いの恵みにあずかってから「今に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。」(1節)と語り始めました。これは、主の前に、キリストと共に、聖霊の導きに従って歩んで来たという意味でしょう。これを聞いた大祭司アナニヤは、ユダヤの法律に反して、パウロの口を打つように命じました。そこでパウロは、このことに異議を唱え、「白く塗った壁よ…。」(3節)と、アナニヤを批判しました。最高議会でユダヤの法律に則らないような者が大祭司とはとても思えない、という思いが表わされている発言です。
 これに対して近くに立っていた者たちは、「神の大祭司をののしる気か。」(4節)とパウロの方を攻めました。そこでパウロは、「兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした。確かに『あなたの民の指導者を悪く言うな』と書かれています。」(5節)と旧約聖書の律法に沿って応じました。被告人であるはずのパウロの方が、議会をリードしている様子が読み取れます。

 2.賢く知恵を用いたパウロ:パウロのリードはまだ続きます。議員の一部が、ファリサイ派とサドカイ派であることを見てとったパウロは、自分もファリサイ派であること、復活に望みを抱いていることで裁判を受けていると発言しました(6節)。これを聞いた議場は、復活を信じていたファリサイ派と信じていなかったサドカイ派の議員たちの間で大論争が起き、分裂状態に陥りました。パウロの身に危険が及びそうになったため、ローマの役人たちは、彼を兵営に連れていき、彼の身は守られました。

 3.議会の主導権を握り、知恵を用いることが出来た理由:この様にパウロが議会を常に主導し、うまく知恵も用いていったのは、彼がローマまで行き、キリストの福音を伝える使命をイエスさまから与えられていたからといえます。もしもこの最高議会で決定が出されてしまうならば、ローマ行きが実現しなくなってしまうことが十分予想されました。そこでパウロはこのとき神様から、議会が決定を出さないように知恵が与えられ、それをうまく用いたと言えます。「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」(ルカ12章11〜12節)の御言葉通りです。

 4.日頃から心がけたいこと:私たちも説明や申しひらきを求められた時、語る基準は、「主の前で、与えられている目的のために語る」ことです。そこに立って大胆に語るためには、日頃から主との交わりをしっかり持ち続けていることが大切です。主との交わりは、聖書を読み、祈る時ばかりではありません。日常、社会生活の中で「手の業をする時も神様の前で憩いながら…」(『いのちのことば1月号「全生活をディボーションに」より)今週も聖書につながり祈り、その他の時も主の前で憩う歩みを続けましょう。予期せぬ事態に直面した時も、主は語るべきことを教えてくださいます。
 (参考聖書箇所:出22章27節、ルカ11章11〜12節、ヨハネ17章3節)
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『安息への道』

2017/01/15 12:00
2017年1月15日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    ネヘミヤ記第9章1〜37節  
メッセージ 『安息への道』
メッセンジャー 田中文人牧師

 私たちは、しっかり「安息」を得ているでしょうか?「安息」とは、「心身をやすらかにし、静かに休むこと。」(三省堂 大辞林)です。そこでまず思いつくことが、体をゆったりと休めることでしょう。忙し過ぎる時は、疲れ切ってしまいますから、体力回復のためにも身体を休める必要があります。また心も休めて、「身心」の両方に安らぎを得ていくことになります。心の休息には、スポーツや趣味等、リフレッシュ出来ることが有益です。ですが、それだけで本当に「安息」が得られるでしょうか?

 1.半日礼拝した民(1〜5節):ネヘミヤ記9章には、仮庵の祭りを終えた二日後(ユダヤ歴の7月24日)にもう一度集まったときのことが書いてあります。民は、心から罪を告白して悔い改めました。そして、日中の四分の一の時間、律法の書の朗読を聞き、他の四分の一の時間は、悔い改めの祈りをしました。
 日中の四分の一の時間は、約三時間に当たります。いまの私たちは、三時間、聖書朗読をしたり聞いたり、礼拝すると聞くと、どう感じるでしょうか?今日の9章一章分(37節)でも、「長い」と感じないでしょうか?いまから二千数百年前、エルサレムの城壁の修復を終えた直後の民は、それ程御言葉に飢え渇いていたといえます。私たちもその日の聖書箇所が短く感じるくらい、「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳(聖書の御言葉)を慕い求め」ましょう(Tペトロ2章2節)。

 2.心から祈った民(6〜37節):民は、父なる神様が、アブラハムの時から、慈しみと哀れみをもって導き続けてくださったことを先祖の歴史を振り返りながら感謝しています。それに対して先祖たちは、神様に背いては立ち替える繰り返しであったことを告白しました。また、その同じ罪は、先祖だけのことでなく、自分たちの罪でもあることも認め悔い改めました。
 神様は私たちにも同じ様に慈しみと哀れみを注ぎ続けてくださっています。ですが、当時の民と同様、私たちもその主の愛に感謝しては背き、また立ち替える繰り返しではないでしょうか?私たちには、その様な罪を完全に赦してくださる救い主イエス・キリストによる赦しの道が差し出されています。イエスさまの十字架の血による赦しをいただくならば、誰でも、どこからでも神様との関係の回復が与えられます。人との関係にも回復の道が開かれます。そのうえ復活を信じるだけで、永遠の命の約束までいただけます。

 3.安息を得るために:本当の「安息」は、霊が神様、隣人との関係に回復が与えられるところから始まります。まずは、礼拝をライフサイクルの中心に据えましょう。礼拝が何よりの安息の時です。次に、毎日聖書につながり、神の国の原則を聞き取りましょう。今週も「あなたは正しく行動されました。」(33節)と祈りながら、主からの安息をいただき、主の栄光を現わす生活に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:フィリピ4章6〜7節)
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『賢く特権を用いたパウロ』

2017/01/08 12:00
2017年1月8日主の日(新年)礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第22章17〜29節
メッセージ 『賢く特権を用いたパウロ』
メッセンジャー   田中文人牧師
 キリスト信仰者にとって、最大のヴィジョンであり目指すところは、完全な天国で安らぐことです。ですが、この世で生かされている間も、様々なヴィジョンが示されます。そのヴィジョン(目標)が人生の節目にもなるといえます。
 1.パウロに与えられていたヴィジョン:今日の聖書箇所には、パウロにとって同邦の民だったユダヤ人から捕えられ、ローマの役人に引き渡された時、パウロがユダヤ人たちに話したことが書いてあります。その中でパウロは、キリストと出会い、自分が迫害していたイエス・キリストが間違いのない救い主であることを思い知らされ、クリスチャンに回心しました。そこで今度は、同じユダヤ人たちにこの救い主を伝えることが使命だと感じ、伝えていました。その様な時エルサレムで祈っていると、イエスさまが再び出会ってくださり、すぐにエルサレムから出て行くように、出て行って、ユダヤ人ではなく、異邦人にキリストの福音を伝えるように、と告げられました。これが、パウロに与えられた主からのヴィジョンでした。
 私たちのヴィジョンも、自分の思いや希望に沿うことばかりとはかぎりません。パウロのように、思いもよらない働きを告げられることもあります。ですが、聖書によく照らし、祈っても、その様に示されるならば、それこそが、主からのヴィジョンと受けとめ、その実現に向けて一歩踏み出しましょう。
 2.ユダヤ人たちの反応:当時のユダヤ人たちにとって、イスラエルの民以外の異邦人が、キリストの福音を聞いて救いの恵みにあずかること等、全く受け入れられないことでした。そこで彼らは、パウロから異邦人伝道のヴィジョンを聞いた時、猛反発し、激怒したのです。
 私たちも、先入観に捕われていると、イエスさまからのヴィジョンを受け入れられないことがあり得ます。その様にならないために、いつも、心を柔らかくし、御言葉に聞くようにしましょう。人の意見を通して神様は御心を示されることもあります。人が言うことにも、心を柔らかくし、そこから主のヴィジョンを聞き取る様にしたいものです。
 3.パウロに与えられていた特権:ローマの役人たちは、ヘブル語やアラム語がよくわからなかったようです。そのためにパウロが同邦のユダヤ人たちに語った内容と、それを聞いたユダヤ人たちがなぜさらに激しく怒っているのか、理解出来ませんでした。そこでパウロを鞭で打って、そのわけを知ろうとしました。
 その時パウロが百人隊長に告げたことが、自分は、ローマの市民権を持っていることでした。ローマ市民を裁判にもかけずに鞭打つことは、違法であり、逆に役人の方がローマ帝国から罰を受けることになりかねません。そこで百人隊長は、上司の千人隊長に報告しました。千人隊長は、パウロが生まれながらのローマ市民であることを確認すると、恐れを感じ、パウロを縛っていた紐を解きました。当時の鞭打ちは過酷で、命を落すこともありました。ですから、パウロは実に良いタイミングでローマの市民権を用いたと言えます。
 私たちも、主から与えられているヴィジョン実現のためであるならば、パウロの様に、与えられている特権や賜物を時に適って用いることが大切です。その時や方法も、よく祈り、聖書に聞く毎日を続ける中で、示されていきます。今年もまずは主からのヴィジョンを願いましょう。そして、与えられたヴィジョンに向かい、特権や賜物を十分に用いましょう。
 (参考聖書箇所:箴言29章18節)
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『神に喜ばれるように仕える一年を』

2017/01/01 12:00
2017年1月1日主の日(新年)礼拝式メッセージ要約
聖書    ヘブライの信徒への手紙第12章1〜29節
メッセージ  『神に喜ばれるように仕える一年を』
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.年頭に当たって: 新年、おめでとうございます。この一年、どの様な希望を抱いて、いま礼拝しておられるでしょうか?昨年は、熊本震災はじめ、国内外で様々な災害もありました。政局でも、平和とは逆の方にどんどん進んで行ったとしか思えない一年でした。外国では、あちこちでテロも起きました。その様な中で迎えた2017年、何から目を離さずに歩むことを願えば、一歩一歩着実に天へ向かえるのでしょうか?
 2.キリストから目を離さずに: 11章でヘブル書の記者は、旧約時代の信仰の大先輩たちの名を記してきました。私たちもそれらの信仰者に囲まれているのですから、身軽になって、定められている競走を忍耐強く走り抜くようにと勧められています(1節)。その時、何といっても、信仰の創始者であり完成者である救い主イエス・キリストから目を離さないことが大切です。
 人生の走路には、様々な労苦もあります。疲れを感じることもあります。その時は、天に入れていただく時、より相応しくしていただくために、霊の父(神様)が鍛錬してくださっていると受け止めましょう。そして、最大の苦しみを忍耐してくださったイエスさまを思うならば、私たちにも耐える力が与えられます。
 3.聖なる生活を願って: では、具体的に、毎日願い、目指すことは何でしょうか? それが、「聖なる生活」(14節)です。キリスト信仰者は、罪のこの世から救い出され、聖なる神様に受け入れていただいています。感謝のうちに、次のことを目指したいものです。
 1)主の日の礼拝を第一に=聖なる神様を第一にすることとは、何といっても礼拝第一の生活を目指すことです。今年も、主の日の礼拝出席を生活の中心に据えましょう。どうしても難しい時は、様々なことで補いましょう。礼拝第一の生活が、神様を全身全霊で愛することになります。
 2)倫理道徳面=キリスト信仰者は、聖書の価値観で生かされています。この世では「当たり前」とされていることでも神様が喜ばれないことが多くあります。隣人を愛することを基準にし、特に、倫理道徳面では、身を正したいものです。それが、良き証しにもなります。
 3)偶像から離れる=「これだけは、手離せません…。」というものや思いがあるでしょうか?もしも、「手離しなさい…。」と神様から告げられた時に手離さず、握りしめたままでいるならば、それも「偶像」です。神様は、私たちに出来ないことは要求されません。聖霊なる神様の励ましと助けを必ず送って共に歩んでくださいます。そこに信頼して、気付かされている偶像からは離れることを願い出ましょう。(Tペトロ4章3節以下、参照)

 今年は、マルティン・ルターの宗教改革から500年目です。私たちも、例年に増して、聖書に立ち帰る一年になるよう、主に期待しましょう。

 (参考聖書箇所:Tペトロ4章3〜10節)
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