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『忍耐しながら伝道したパウロ』

2017/02/26 12:00
2017年2月26日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   使徒言行録第24章1〜27節 
メッセージ 『忍耐しながら伝道したパウロ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 計画(ヴィジョン)を実現していくとき、あるところで前に進まなくなることがあります。今日のパウロもその様な中にありました。

1.フェリクスの前で訴えられたパウロ:大祭司アナニヤは、長老数名と弁護士テルティロを連れてエルサレムからカイサリアに来ました。そして、総督フェリクスにパウロについて1)疫病(ペスト)の様な男であること、2)ナザレ人(イエス・キリスト)の分派の主謀者であること、3)神殿を汚そうとしたことを訴え出ました。

2.パウロの弁明:総督フェリクスから発言を促されたパウロは、喜んで(10節)上記3点について弁明をはじめました。1)については、エルサレムに帰って来て一週間しか経たないので、陰謀を企て、それを疫病のように広げることなど不可能であること。2)については、確かに自分は「ナザレ人の分派」と呼ばれているイエス・キリストを信じる者だが、旧約聖書全部を信じており、キリストの復活も信じ、自らの復活にも望みを抱いていること。3)については、神殿を汚すどころか何の問題も起きていなかったこと、自分を捕まえた者たちがここに来てそのことを話すべきであると述べました。

3.フェリクスの判断:これらを聞いた総督フェリクスは、千人隊長リシアが来るまで判決を先延ばしにしました(22節)。そしてパウロをそれまである程度の自由を与えたうえで留置しておくように命じました。フェリクスは、度々パウロを呼び出し、妻のドルシラと一緒に話しを聞きました。パウロからお金をもらう下心もあったからです。決局その様な日数は二年にも及びました。

4.パウロがしたこと:この様にパウロはカイサリアで2年間も足留めされることになりました。初めから「2年間」と決まっていたわけではありませんでしたから、パウロにとっては、いつまで続くのかわからない中で不安や心配もしながら過ごした年数だったはずです。
 その間にパウロがしたことが、フェリクスとドルシラ夫婦に福音を伝えることでした(24〜25節)。特に彼らは旧約聖書に反する結婚をしていましたからパウロは呼び出される度に、正義と節制について大胆に語りました。もちろん、その様な罪もキリストの十字架の血によって赦されること、復活を信じるならば、永遠の命の約束にもあずかれること等、キリストの愛についても語り続けたはずです。ですが、結局彼らは救いの恵みにを受け取る決心はしませんでした。それでもパウロにとってこの2年間は、忍耐を養うために大きく役立ちました。

5.私たちの信仰:私たちもヴィジョンがうまく進まなくなったときすることは、委ねられている働きに忠実に励むことです。神様は、ご計画に従って召された者たちを見捨てることはされません。「万事を益」にしてくださいます。そこに信頼しながら、忍耐強く主の栄光を現わす歩みに今週も遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:ローマ5章1〜5節)
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『城壁の奉献に当って』

2017/02/19 20:00
2017年2月19日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     ネヘミヤ記第12章1〜26節
メッセージ    『城壁の奉献に当って』
メッセンジャー  田中文人牧師

 有明キリスト教会では、会員ひとりひとりが賜物を献げ、礼拝式他の奉仕に仕えています。キリスト教会は、キリストの体に喩えられます。頭は救い主キリスト、教会員はキリストの体につながる各部分です。
 ところで、教会の奉仕に立つ時、いまの環境や状況が改善される必要はあるでしょうか?あるいは、直面している課題の解決は必要でしょうか?また、個人の賜物は、どれだけレベルが上がり、成長すれば、奉仕に立ってよいのでしょうか?
 1.城壁奉献式の奉仕に当たるレビ人祭司たちの名簿:ネヘミヤ記の12章の前半26節までには、エルサレムの城壁修復工事が終わった後、奉献礼拝に当たるレビ人と祭司たちのリストが記されています。日本語の聖書で読むと、カタカナが並んでいるだけのように感じるかも知れません。ですが、次の様に三区分された整った神殿奉仕者の名簿になっています。
 1〜11節が、この時よりも約百年前、バビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰って来た時の祭司とレビ人のリストで、シェアルティエルの子ゼルバベルとイエシュア以下、計22人でした。12〜21節が、その後の時代、ヨヤキムが大祭司だった時代の祭司たち、計22人です。そして22〜26節が、エルヤシブが大祭司だった時代のリストで、城壁修復工事の頃の祭司とレビ人たちのリストです。神殿で礼拝の奉仕に当たる部族は、アロンの家系、レビ人と定められていましたから、先祖をしっかり辿る必要があったといえます。
 2.欠けていた祭司の数:上記のリストは、歴代誌下(U)24章にもあります。ところが、歴代誌では24人挙げられているところ、今日のリストでは、22人です。捕囚中にわからなくなった家族があったのかも知れません。エルサレムに帰還した後、十分な人口調査が出来なかったことも考えられます。
  ここで聞き取りたいことは、この時のレビの家系が先祖の時代よりも数の点からも、また信仰の面からも十分ではなかったことです。それでも彼らはその不十分なままで感謝と喜びの内に、27節以後にある通り、主の奉仕に仕えていきました。
 3.私たちの奉仕:私たちが奉仕に立っていくときも、状況が良くなることや課題が解決することは、必ずしも必要ありません。大原則は、神様、イエスさまからその働きに仕えるように告げられているかどうかです。賜物も同様です。技術面に不十分さを感じているとしても、主の前に謙って賜物を差し出すならば、主ご自身が欠けを補ってくださり、用いてくださいます。もちろん、そこに甘んじて怠慢になってはいけません。より良い献げ物となるよう常に訓練は必要です。
 新年度を臨み見、備える時期になりました。ひとりひとりに主はどの様な教会の奉仕に立つよう示しておられるでしょうか?聖書のみことばと祈りによって主の招きを聞き取りましょう。その招きを確信したならば、いまの状況の中からその奉仕に立ちましょう。そこに祝福があります。

 (参考聖書箇所:T歴代24章、Tコリント12章19〜28節)
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『不思議な方法でカイザリアに運ばれたパウロ』

2017/02/12 12:00
2017年2月12日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録第23章12〜35節
メッセージ   『不思議な方法でカイザリアに運ばれたパウロ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 計画(ヴィジョン)が実現に向かう時、思いもよらない方法で進むことがあります。その点で、私たちは、思いも頭も柔軟にしておく必要があるといえます。
 パウロもローマまで行って証しをするというヴィジョンをイエスさまから告げられていました。今日の聖書箇所には、まずエルサレムから約100q離れたカイザリアまで行った時のことが記されています。ですが、その方法は、パウロ自身、思いもよらない運ばれ方でした。神様は、様々な人々を用いて着実にローマに向けてエルサレムを脱出させてくださったのです。

 1.暗殺計画をパウロに知らせた甥:おそらくサドカイ派と思われる人々が、翌日もユダヤの最高議会を招集し、そこにパウロが連れて来られる途中で殺してしまう暗殺計画を立てました。そのうえ彼らは、パウロを殺すまでは飲み食いをしないという誓いまで立てたのです。この企みに40名もが加わりました。
 ところが、この陰謀をパウロの妹の息子(甥)が聞きつけ、兵営に留置されていたパウロに伝えました。パウロは百人隊長に、甥を千人隊長のところに連れて行ってほしいと頼みました。この様にして、パウロの暗殺計画は、アッという間に千人隊長まで伝わりました。

 2.千人隊長の計らい:この陰謀を知った千人隊長は、その夜のうちに歩兵二百名、騎兵七十名、補助(槍)兵二百名を準備するように百人隊長に命令しました。この様にしてパウロは、過剰とも思える数の兵隊たちによって、その夜9時にエルサレムを出発し、カイザリヤに向け護送されていきました。

 3.千人隊長の手紙:千人隊長のクラウディウス・リシアは、カイザリヤに駐屯していたローマ総督フェリクスに手紙を書き、パウロのあつかいを委ねました。多少クラウディウス・リシアに都合のよいように事実と異なる内容もありますが、パウロがローマ法に反することではなく、ユダヤ人の信仰に関することで訴えられていることについては、しっかり書かれていました。この手紙を読んだ総督は、訴えている者たちがカイザリヤに到着するまでパウロをヘロデの官邸に留置することにしました。
 これらすべてのことの背後で、主の働きがあったことが読み取れます。

 4.私たちの計画実行:私たちの計画も、第1に、神様から告げられていることをしっかり確認いたしましょう。第2に、その計画が間違いなく主からのものであることを確認したならば、うまく進まない時があっても、「必ずなる」と信頼し続けましょう。第3に、計画実現に向けて具体的な方法は、私たちが立てたやり方に固執するのでなく、むしろ主が働かれるところに用いられることを願いましょう。

 (参考聖書箇所:イザヤ55章11〜13節)
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『エルサレムの民に祝福された人たち』

2017/02/05 12:00
2017年2月5日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    ネヘミヤ記第11章1〜36節
メッセージ  『エルサレムの民に祝福された人たち』
メッセンジャー  田中文人牧師

 良い条件と悪い方、選べるとするならば、どちらを選び取るでしょうか?わざわざ条件が悪い方を選択する人はなかなかいないかも知れません。ですが、聖書の原則によると、人の目や知恵では、どこから見ても悪いとしか思えない方に祝福が備えられていることもあります。大切なことは、神様が行く様に示しておられる方を選び取ることです。

 1.城壁修復終了直後のエルサレム:今から二千四百四十数年前のエルサレムには、人はあまり住んでいませんでした。神殿の再建も城壁の修復も民の内側の信仰回復も終わりましたが、肝腎のエルサレムに住む人が少数では、都という点でも神殿がある町という点でも相応しくありません。そこでネヘミヤは、当時御心を知るために用いられていたくじによって、移り住んで来る民を決めました。ですが、くじで神様からエルサレムに引っ越すように示されても、その通りには出来ない人たちもいたようです。それは、エルサレムでは、2.にある様な生活を覚悟しなくてはならなかったからです。ところが、その様な悪条件にもかかわらず、自ら進んで移住を申し出る人たちもあらわれました。

 2.エルサレムの生活状況:1)ユダヤ人以外の人たちが、エルサレムに住んでいる人たちに宗教的な理由から偏見を持っていたため、物の売り買いも思う様に出来ない状況でした。 2)エルサレムに家を建て直し、仕事もエルサレムでみつけなくてはなりませんでした。 3)神殿が近くなるので、エルサレムの外に住んでいる時よりも、より信仰深い生活が求められました。(以上、『ディボーショナル聖書注解』より)
 進んで移住を希望した人たちは、家族と一緒にそれまでの生活すべてを変える覚悟を決めて、申し出たのです。この決断は、既にエルサレムに住んでいた民たちから喜ばれ、祝福されました。神様ご自身も大きく祝福されました。

 3.救い主イエス・キリストを望み見て:私たちも、どこから見ても「悪条件」としか思えない方に進むように示されることもあります。その時は、イエスさまを思い出しましょう。イエスさまは、神様のもとから罪のこの世に、私たち人と同じ姿で来てくださいました。全人類を救い、天に迎え入れてくださるために、十字架の上で死なれました。私たちの身代りに神様から一旦完全に引き離される最大の苦しみまで味わい尽されました。その御ひとり子を神様は、十字架から三日目に死者の中から復活させられ、最大の課題である死にさえも勝利されました。
 このイエスさまが、いまも私たちと共にいてくださいます。助け主(ぬし)、聖霊を遣わし励まし、力を与えてくださいます。そこに信頼し、条件の良し悪しではなく、神様が行く様に示しておられる道を選び取ることを願い出ましょう。そこに必ず祝福があります。
 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイ26章39節)

 (参考聖書箇所:詩編92編6節、使徒21章14節、フィリピ2章1〜11節)
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