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zoom RSS 『ひたすらキリストの福音に相応しい生活を2=内からの苦しみの中で喜ぶ』 

<<   作成日時 : 2017/07/23 12:00   >>

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2017年7月23日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    フィリピの信徒への手紙第1章20〜30節
メッセージ   『ひたすらキリストの福音に相応しい生活を 2
        = 内からの苦しみの中で喜ぶ』 
メッセンジャー  田中文人牧師

 ローマの軟禁状態の中でパウロは、外と自分の内側両方からの苦しみを体験していました。ですが、それらの苦しみの中で彼は心から喜んでおり、そのことをフィリピの信徒たちに書き送っています。今日は、パウロの内側からの苦しみとその中でも喜びに満たされていた様子を読み取ります。

 1.内側の葛藤:パウロにとっては、「生きるとはキリストであり、死ぬことは利益」でした(21節)。それは、復活されたキリストと出会った時から、パウロはもはや自分のためにではなく、何をするにしてもキリストのため、救い主のみが、あがめられるために生きるように変えられていたからです。ですから、パウロは、この世に生き続けることには執着していませんでした。むしろ、この世を去って早くキリストのもとに行く方を望んでいました。ですが、もう一度フィリピを訪ね、キリストにある恵みを分かち合えるならば、フィリピの信徒たちにとっては、なお喜ばしいことでした。そこで、パウロ自身、生きるのか死ぬのかどちらを望むのがよいのか、その両方の間で葛藤していたといえます。

 2.葛藤の理由:パウロ自身は既に生きるにしても死ぬにしても、とにかくキリストがあがめられるのであれば、「それでよし」という思いに至っていました。「あがめられる」こととは、キリストがどこまでも大きくされ、パウロは小さくされることです。ですが、パウロはフィリピの信徒たちのためには、なお肉に留まることの方がより望ましい(24節)と思っていました。この様にパウロは自分ではなくフィリピの信徒たちのことを思うとき、葛藤を覚えていたといえます。やはり、神様を第一に、隣人をその次にするところに歩んでいた信仰者の姿といえます。
 それでも、パウロといえども一人の弱い罪人に過ぎません。22〜23節の原文の文体は乱れていると言われます。ローマ皇帝から死刑の判決を受けるかも知れないことを予想するとき、パウロも動揺したことが読み取れます。それでもキリストがあがめられるところに立ち続け、フィリピの信徒たちにとって最善を願い出たとき、死とこの葛藤に解決が与えられていきました。

 3.霊の一致を願い出て:私たちは何のために生きているでしょうか?また、死には解決が与えられているでしょうか?「死ぬ準備ができていないなら、生きる準備もできていない」ことになります(『ディボーショナル聖書忠解』より)。
 私たちも何をするにしてもキリストがあがめられることを人生の土台に据えましょう。また、聖霊による信仰の友との一致を目指しましょう。パウロは、フィリピの信徒たちと距離は遠く離れていましたが、霊ではひとつになっていました。この霊の一致が与えられるとき、私たちも外側内側で労苦していたとしても喜びに満たされて歩み続けるところに導かれます。

 (参考聖書箇所:ガラテヤ2章20節)

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