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有明キリスト教会ブログ--今週の聖書の言葉
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日本バプテスト連盟 有明キリスト教会 主日礼拝「宣教」要約
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 『ソロモンの神殿建築T静かに行なわれた工事』

2018/08/12 12:00
2018年8月5日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上6章1〜14節  (新共同訳)
メッセージ   『ソロモンの神殿建築T 
        = 静かに行なわれた工事』
メッセンジャー  田中文人牧師

 資材の調達に目処もつき、ソロモンはいよいよ神殿の建築に取りかかりました。
 1.建築開始の年:ソロモンが建築を始めた年は、王座に着いて4年目でした。その年は、イスラエルの民がモーセに導かれてエジプトを脱出して480年目に当たります(1節)。このことは、「出エジプト」がヨルダン川を渡ってカナンの地に定住することで終わるのではなく、神様の家である神殿を建てて終了することを表しています。
 2.神殿の外観:1アンマは、人の肘から中指の先までの長さで、約45センチメートルですが、掌の分を足すこともあったといわれています。そこで計算しやすい様に1アンマを50センチにするとこの神殿は、奥行き六十アンマ(約30メートル)、間口二十アンマ(約10メートル)、高さ三十アンマ(約15メートル)になります(2節)。これは、荒野時代の幕屋の約2倍といわれています。
 外陣には、前廊もありました。また格子作りの窓があり、神殿の中から外に光が流れ出る様につくられていました。これは、内側から神様の光が外の世界に出るための構造でした。さらに、壁の周囲には脇間をつくり、幅は、一階五アンマ、二階六アンマ、三階七アンマにしました。これは、建物の壁に梁をはめ込まずに済むためです。
 3.静かに整然と行なわれた組み立て作業:注目したいことは、これだけの建物を建て上げる間、「建築中の神殿では、槌、つるはし、その他、鉄の道具の音は全く聞こえなかった。」(7節)ことです。それは、石切り場ですべての切り込みがなされており、建築の現場では、それらの石材を組み合わせるだけでよかったからです。微調整も必要ないほど完全に準備されていたことがわかります。
 私たちも教会を建築する時、いかに準備が大切であるかを教えられます。また、新約時代のキリスト教会は、イエスさまが「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18章20節)と教えられたように、建物ではなく、「神様に呼び集められた者の群」です。ですが、主の前に静まって創造主を恐れ、感謝を献げる点でかわりはありません。私たちも、御言葉の前に静まり、示された罪を悔い改め、十字架の血による赦しをいただきましょう。そして、礼拝からキリストの光をこの世に輝かせる一週間の歩みに遣わされましょう。
 4.主の励ましの中で進められた建築:ソロモンの神殿建築には、7年かかりました(38節)。その間、いろいろなことがあったと想像出来ます。その中で神様はソロモンに語りかけられました。それが、ソロモンが主の掟に従って歩み、律法を実行し、戒めにも従うならば、父ダビデに約束した祝福を果すこと(12節)。何よりの励ましは、神様ご自身がイスラエルの民の中に住まれ、見捨てることはないと告げられた御言葉です(13節)。
 教会を建築する時も様々な課題に直面します。ですが、御心に適う建築であるならば、いまの私たちとも主は共にいて、工事のすべてを先立って導いてくださいます。有明教会で建築に取りかかる時も同じ主に信頼して進み続けましょう。
(参考聖書箇所:マタイ18章20節、Tコリント6章19〜20節、エフェソ2章8節、14〜16節)
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『ソロモンの神殿建築準備』

2018/07/29 13:00
2018年7月29日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上5章15〜32節  (新共同訳)
メッセージ   『ソロモンの神殿建築準備』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 いよいよソロモン王は、神殿の建築に取りかかります。今日の箇所は、その準備の記事です。有明キリスト教会も毎月第3週の礼拝式の時、「建築祈祷」をしています。この機会に、教会建築の準備段階で必要なことを聞き取りましょう。

 1.自分の代の使命:「主が父ダビデに、『わたしがあなたに代えて王座につかせるあなたの子が、…家を建てる』と言われたからです。」(19節後半)おそらくソロモンは、折りに触れ、父ダビデから、神殿建築は、将来ソロモンが王座に着いている間の使命であると言い聞かせられて育ったのではないでしょうか?
 有明教会には、いまの私たちの代で建て替えるのかどうか、そのこともまだ示されていません。ですが大切なことは、祈り続けることです。祈っているならば、「今が建築の時」と必ず示されます。
 2.御名のための建築:「ここに至ってわたしは、わたしの神、主の御名のために神殿を建てようと考えています。」(19節前半)。旧約時代の神殿は、神様の家でした。ですから神殿建築は、ソロモンの名声を表わすためでも、イスラエル王国の繁栄を表わすためでもありません。主の御名のための建築でした。
 有明教会の建築にとって「御名のため」とはどの様なことでしょうか?これを機会にそれぞれ聖書から、また祈りを通して聞き取っていきましょう。
 3.惜しげなく注ぎ込んだソロモン:ソロモンは、ティルスのヒラムに建築に必要な木材と石材を提供してくれる様に頼みました。一方でソロモン(イスラエル)の方からは、ティルスが必要とている食料等を毎年送ることを約束しました。それが、「小麦二万コルと純粋のオリーブ油二十コル」(25節)でした。
 また、国内から労役のために三万人の男子を徴用しました(27節)。これら三万人を三つに分け、3カ月の内1カ月はティルスに出かけ石の切り出しと木材運び出しの作業に当たらせました。残りの2カ月は、自分の家に帰り、元の仕事をし、家族と共に生活出来るように、配慮も怠りませんでした。
 ソロモンは、主の御名のための建築であるならば、注ぎ込むところには惜しむことなくお金も物も人材も提供しました。教会の建築も同じです。注ぎ込むところには惜しむことなく注ぎ込む必要があります。その点で、価格だけでは決められません。
 4.その他:ソロモンは神殿の土台をしっかり据えるためにティルスから石材を調達しました。今のキリスト教会にとってこのことは、イエス・キリスト救い主をひとりひとりと群の土台に据えることです(Tコリント3章参照)。
 またソロモンは、周りの国、特にティルスと平和を保ちました。それが、条約を結んだところに現わされています(26節)。私たちも建築に取りかかるならば、様々な人たちとの良き関係が必要になります。信仰の点で妥協する必要は全くありません。ですが、最大限平和な関係の中で主の御名のための建築が進むことをいまから願いましょう。
 (参考聖書箇所:ローマ12章18節、Tコリント3章)
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『イエスさまが歩まれたように』

2018/07/29 09:53
2018年7月22日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    ヨハネの手紙T2章1〜17節
メッセージ   『イエスさまが歩まれたように』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.弁護者キリストに信頼して:この手紙の著者ヨハネは、「…これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」(1節)と書き送っています。キリストを信じて新たに内側が作り変えられても、気が付くと以前と同じ様に的を外していることがあるのが、私たちの現実ではないでしょうか?
 しかし、心配はいりません。「たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。」(1節)イエスさまご自身、全世界の罪を償う生贄になってくださいました(2節)。罪に気付かされた時は、恐れることなく告白し、赦しを請いましょう。どの様な的外れでも赦していただけます。
 2.御足の後に従って:どの様な罪でもイエスさまの十字架の血で全部なかったことにしていただけます。ですが、私たちが目指すところは、少しでも罪を繰り返さず、イエスさまが歩まれた様に生きることです(6節)。それは、神様の内にいることであり、神様の言葉を守ることです(5節)
 3.兄弟を愛すること:神様の言葉を守ることとは、全身全霊で神様を愛すること、同じ様に隣人を愛することです。正直に自分を聖句に照らしてみるならば、神様にも、隣人にも私たちはいろいろな思いを持っていることに気付かされます。「愛すること」とは、自己中心でなく、自己を犠牲にして接することです。とてもその様には出来ない自分に気付かされます。ですが、「それが人間…。」といっているのでは、本物のキリスト信仰、キリストの弟子の歩みにはなりません。助け主であられる聖霊の力と励ましを願い出ましょう。
 4.永遠の命に生かされるために:世と世にあるものを愛するならば、御父を愛することの正反対になってしまいます。なぜなら、すべて目の欲、肉の欲、生活のおごりは世から出るからです(16節)。イエスさまは、「「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ16章23節)と教えられました。私たちも、神様の愛の中で生かされていながら、この世から出る様々な欲の中でも生きることは出来ません。
 せっかく、イエスさまの十字架の血によって罪が赦され、最大の課題である死から事実復活されたイエスさまを信じて天国行きの切符をいただいたのですから、この世から少しでも離れ、永遠の命の中で生かされる方を願い出ましょう(15節)。私たちには、離れる勇気もなく、離れる決断も出来ません。ですが、イエスさまは、この世からのすべての誘惑にも打ち勝ってくださいました。その主が共にいて一歩先を導いてくださっています。弁護までしてくださいます。そこに信頼し、聖霊に押し出されて、今週もキリストの愛に生かされ用いられる生活に遣わされましょう。
 (参考聖書箇所:マタイ6章24節、ヨハネ13章34節、ローマ7章15節、)

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『ソロモンの栄華に優る祝福』

2018/07/15 14:00
2018年7月15日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上5章1〜14節
メッセージ   『ソロモンの栄華に優る祝福』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 ダビデからソロモンの代になったイスラエルは、国内は栄え、周辺諸国との関係も平和で安定していました。それは、ソロモンが、「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」(列王上3章9節)と願ったからです。この願いは神様の御心に適い、神様は、ソロモンが願わなかった祝福も与えられました。
 1.領土の拡大:ソロモンの時代には、南はエジプトとの境まで支配しました。北東はティフサからガザに至るユーフラテス西方の全域、つまり、北はダンから南はベエル・シェバに及ぶ範囲です。これは、現在のシリヤ、レバノンからパレスチナの全土に至る地域です。これらの各国はソロモンに貢ぎ物を収め、平和で友好関係を結んでいました。
 2.食料の満たし:ソロモンのところには、上等の小麦粉だけでも日に30コル(約6900g、パンにして数万個)も納められました。普通の小麦粉は、日に60コル、肥えた牛10頭、牧場で飼育した牛20頭、羊100匹、その他にも鳥が多数ありました。これらによって、宮廷関係者だけでなく、全国民が養われました。
 3.知恵と洞察力、心の広さの祝福:いまから約3千年前、イスラエルから見て東の国々には、大変な賢者が多くいました。ですがソロモンノ知恵は、それらの人たちよりもはるかに優っていました。彼が語った格言は3,000、歌は1500首に達し、旧約聖書の詩編、箴言、伝道者の書(コヘレトの言葉)、雅歌等に収められています。また、動植物の洞察と知識にも富み、レバノン杉の様に大きなものから石垣のヒソプの様な小さなものまで、動物も獣類、鳥類、爬虫類に至るまで論じることが出来ました。そこでこれらの知恵に耳を傾けるため、あらゆる国から人々が送られて来ました。
 さらにソロモンには、「海辺の砂のように広い心」が与えられていました。ですから、3章に記されている様なふたりの遊女のどちらが本当の母親であるのかといった難問も、偏見や分けへだてなく聞き分け、見抜いて正しく裁くことが出来たのです。
 4.私たちへの祝福:上記の様なソロモンの知恵と国の繁栄を読むと、私たちにも同じ祝福が与えられる様に願いたくなります。ですが、イエスさまは、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」と言われました(ルカ12章27節)。働きも紡ぎもしない野の花でさえ神様は絶頂期のソロモンよりも美しくされ、養ってくださいます(〃26節)。
 私たちが願う知恵は、この神様、イエスさまに信頼することです。それが、最大の知恵です。様々な心配事や課題は、主に祈って委ねましょう。私たちがすることは、「ただ、神の国を求め」ること(〃31節)です。毎日聖書の御言葉とメッセージで魂が養われること、そして示された聖句を日常生活の中でやってみることです。今週もすべてをご存じの主に信頼し、聖霊の導きによって、主の栄光を現わす歩みに遣わされましょう。
 (参考聖書箇所:マタイ6章33節、ルカ12章27〜32節)
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 『光の中を歩みましょう』

2018/07/15 13:00
2018年7月8日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    ヨハネの手紙T1章1〜10節  
メッセージ   『光の中を歩みましょう』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日から新約聖書は、ヨハネの手紙Tを読みはじめます。中心聖句は、「神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。」(5章13節)です。
 キリスト信仰者(クリスチャン)は、永遠の命の約束をいただいています。私たちもこの書から改めて永遠の命に生かされていることを悟り、感謝しましょう。
 1.この手紙について:書名にある通り、この書は、ヨハネという人が書きました。「ヨハネ」は、「主は恵み深い」という意味で、珍しい名前ではありませんでした。聖書にも何人ものヨハネが登場していますので、この書を書いたヨハネのことは、使徒ヨハネと呼ばれています。彼はこの書だけでなく、他のヨハネの手紙U・V、それにヨハネによる福音書とヨハネの黙示録も書きました。
 この手紙は、おそらく紀元90年前後に、エフェソ(トルコ)周辺のキリスト教会とクリスチャンたちに宛て書かれたと考えられます。
 2.目撃者による証言:一世紀の終わり頃には既に救い主イエスさまについて、違うことを主張する人たちが現われていました。そこでヨハネは、「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。」(1節)と自分自身が目撃し体験したイエス・キリスト救い主について書き送ったのです。直接3年間イエスさまと共に過ごし、最も身近で教えと御業を見聞きし、何より十字架と復活を目の当たりにした本人が書いているのですから、これ以上に確実なことはありません。ヨハネはただイエスさまの目撃者だっただけでなく、この手紙を書いた時もずっと霊でイエスさま、神様と交わっていました。この交わりが永遠の命の中で生かされることそのものです。
 3.光の中で歩むこと:永遠の命に生かされることとは、光であられる神様のその光の中を歩むことです(5節)。イエスさまご自身も、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ8章12節)と言われました。イエスさまは言葉が肉体を取ってこの世に来られた神様です。そこで、いまの私たちは、聖書の聖句に魂が養われ生かされるならば、光の中で生きることになります(詩編119編105節参照)。光に照らされるならば、人生の障害物もはっきり見て避けることも出来ます。
 4.罪の赦しと悔い改め:光の中で生かされるには、ひとつ通らなくてはならないことがあります。それが、罪の赦しを得ることです。神様の光に照らされるならば、人生の障害物だけでなく、自分の罪も見えて来ます。
 イエスさまはその罪全部をなかったことにしてくださるために十字架で死んでくださいました。私たちには、罪を認めて告白するだけで、十字架の血による赦しの道がさし出されています(9節)。この赦しをいただくところから、永遠の命の歩みが始まります。
 今週も日々気づかされた罪は悔い改め、内側が解放されて、主の栄光を現わす歩みに使わされましょう。
 (参考聖書箇所:詩編119編105節、ヨハネ8章12節、Tヨハネ5章13節)

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『主の知恵によって国を治めたソロモン』

2018/07/15 12:00
2018年7月1日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上4章1〜20節  
メッセージ   『主の知恵によって国を治めたソロモン』   
メッセンジャー  田中文人牧師
 最も幸せな人生とは、どの様に生きることでしょうか?聖書によるならば、主の知恵に生かされることと言えます。その知恵のはじめが、「主を畏れること」です(箴言1章7節)。では、主である神様を畏れかしこみながら、その知恵に生かされることとは、具体的にはどの様に生きることでしょうか?
 1.先代の良いところを受け継いだソロモン:ソロモンは名実共にイスラエルの王に認められました(1節)。いよいよ国を治めるために彼の手腕が発揮される時が来ました。ですがソロモンは、すべてを新しくしたのではありませんでした。先代の父ダビデ王の治世で御心に適っていた人材(ツァドクの子アザルヤ、ヨヤダの子ベナヤ他)はそのまま高官に残し、要職に当たらせました(2〜6節。何よりも神様の御心を知るために、信仰深かった父ダビデの時からの祭司たちをそのまま残したところに、主の知恵によって国を運営していたことが表わされています。先代の良いところを受け継げたのは、ソロモンが主の前に謙り、多くの民を治める知恵を神様に願っていたからです(T列王3章9節)。
 2.改革もしたソロモン:ソロモンは先代そのままを受け継いだだけではなく、改革も行いました。それが、国を十二の地域に分け、ナタンの子アザルヤを知事の監督に置いたことです。これによって、各地域は、年に1カ月間、税金をソロモンに治めることになりました。国全体では1年中絶えることなく安定して税が治められますから、国民も食料に困ることなく、平和に生活出来る様になりました(20節)。
 3.本質にしっかり立って作り変えられることを恐れず:ソロモンに与えられていた知恵は、本質をしっかり受け継ぎ、そこに留まらず、改革を進めたことと言えます。私たぢにとって本質は、聖書の御言葉を「誤りなき神の言葉」とすることです。初代キリスト教会から受け継がれ、告白し続けられて来た信仰を受け継ぐことともいえます。その視点で、『使徒信条』に表わされている信仰の内容は、いまでも繰り返し確認し、告白し続けることが大切です。
 そこにしっかり立って、本質ではないところを見分け、変化を恐れず、日々新しく御心に沿って作り変えられましょう。本質ではないことに拘らず変えられていくならば、自由にされます。本質は土台です。土台がしっかりしているならば安定します。安定しているうえに自由に生きられるのですから、これ程のびのびした人生はありません。喜びにも満たされます。その様な人生が、主の知恵に生かされる歩みです。今週も、主の喜びに満たされながら、主の栄光を表わす働きに遣わされましょう。
 (参考聖書箇所:)詩編96編2節、箴言1章7節、〃3章7節)
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「弱さの中でキリストを誇れ」

2018/06/27 21:02
2018年6月24日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書  コリントの信徒への手紙U11章30〜12章10節  
メッセージ 『弱さの中でキリストを誇れ』   
メッセンジャー平尾バプテスト教会伝道師  諸岡 寛

1. パウロはキリストの僕としての苦難を語ります。「キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、・・・ 苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。」と実に悲惨です。「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。」と聞かされると、自分だったらとっくに自暴自棄になっていたであろうと思うのです。そして 「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事を誇りましょう。」と、ついには自分の弱さを誇ることに至ります。そして 「わたしは誇らずにいられません。」「誇っても無益ですが。」とパウロは語り出します。すなわち使徒言行録のダマスコの途上でのパウロの回心体験です、「サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。』」 と、これは天からの光の中での劇的な大スペクタルです。この出来事が無ければ、キリスト教は世界宗教になり得なかったでしょう。パウロは十字架につけられたままの復活のイエスに出会い、そして第三の天にまで引き上げられ、体のままか、体を離れて霊魂だけかは分からないが、神のみ知る神秘的境地に導かれて楽園(パラディソス)にまで引き上げられたその体験が彼を動かしているのです。
2.パウロの苦難を読むにつれ、パウロの長い旅と身に受けた病苦を思わされます。60歳近い孤独な老人は、幾多の受難によって病苦を負う身となります。論敵に対して愚者の誇りを語ります。パウロは内心に秘めたことを奥深く語ります。パウロについて 「手紙は重々しく力強いが、実際会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」言う者がいたとされます。パウロについての中傷ですが、ある意味で親近感を覚える箇所です。そしてパウロは一つのとげとする自身の病気を語ります。「また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげ(スコラプス)が与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」と。自分が弱さに徹する時こそ、神の御手が力を貸してくれるのであるとパウロは述べています。そこで、大胆に「わたしは弱いときにこそ強いからです。」と言い切れるのです。パウロは「弱さのゆえに十字架につけられた」キリストと、それゆえに復活させられた主なるキリストの「力は弱さにおいて完全になる」との言葉を引用しながら、十字架の逆説を展開して反論を行っています。弱者パウロを読み進めていくうちに、そこにイエスと同じ様な枕する所なき放浪の生活をしたパウロを思い出させます。その弱さのうえに神が力を貸してくださるのです。

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『ソロモン王の課題解決』

2018/06/17 13:00
2018年6月17日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上3章16〜28節  
メッセージ  『ソロモン王の課題解決』   
メッセンジャー 田中文人牧師

 課題に直面する時、どれだけ本質を見極め、根本的なところから解決しているでしょうか?今日の聖書箇所は、神様に「民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」(9節)と願ったソロモンが与えられた知恵によって具体的な課題を解決した時の記事です。

 1.ソロモンの前に持ち込まれた課題:ある時二人の遊女が前後して子どもを産みました。ところが、そのうちの一人が死んでしまいました。すると、その子の母親は死んだ自分の子と生きていたもう一人の子どもとを取り替えたのです。ですが、その家に他の人はおらず、目撃者も証人もいませんでした。そしてこの二人は王の前でも「生きているのがわたしの子で、死んだのがあなたの子です。」「いいえ、死んだのはあなたの子で、生きているのがわたしの子です。」と言い争いました。
 するとソロモンは、剣を持って来るように命じました。そして、生きている子を二つに裂いて、両方の母親たちに与えるように命じました。
 これを聞くと、生きている子の母親は子どもを哀れに思い、その子を生きたままでもう一人の母親に与えてほしいと申し出ました。ところがもう一人の母親は、その子を二つに裂いて分けてほしいと言いました。そこでソロモンは、生きているままもう一人に与えてほしいと申し出た方が子の母親であることを見抜き、子どもを生きたまま母に渡すよう命じました。ソロモンは、母性愛に訴えたのです。

 2.課題の本質:どちらが生きている子どもの本当の母親であるのかを見極めなくては、この課題を解決出来ません。ですが、この課題の本質は、人の内側にありました。それが、罪の問題です。つまり、どちらかの女性が嘘をついています。同じ家に住んでいながらもう一人を欺いてもいます。さらに、人の子どもを奪う盗みの罪まで犯しています。どちらの母親がこれらの罪を犯しているのかを見抜くことが、この難題を本質から解決していくことになるといえます。そのために、どちらが生きている子どもの母親であるのかをソロモンは主の知恵によって見極めたのです。

 3.本質からの解決を願って:私たちが直面する様々な課題のおおもとにも人の罪があるといえます。自分を守ろうとするところから嘘をついたり人を欺き騙したり、奪うことになったりするのではないでしょうか?私たちも今日のソロモンの様に、罪を見抜く知恵と愛に訴える解決策を願い出ましょう。最大の解決は、イエス・キリストの十字架の血による罪の赦しをいただくことです。今週もキリストの愛に根ざし、主の栄光を現わす歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:箴言3章5節、ヤコブ1章5節)

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『キリストの愛によってとりなしたパウロ』

2018/06/10 13:00
2018年6月10日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    フィレモンへの手紙1〜25節
メッセージ   『キリストの愛によってとりなしたパウロ』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 苦手な人を受け入れることは誰にでも難しいものです。ですが、キリスト信仰に生かされるならば、その様な関係にも光が見えて来ます。
 キリストを信じて新しい人生に生かされるようになったクリスチャンは、古い自分に死に、新しい自分に生まれ変わりました。キリストの愛で神様(キリスト)と隣人を愛する歩みに遣わされています。この手紙の著者パウロがその愛を実践したことが読み取れます。

 1.フィレモンとオネシモ:フィレモンは、コロサイ教会(家の教会)の主人だったと思われます。裕福で奴隷(僕)も使っていました。オネシモもその一人でしたが、ある時彼は主人の家のお金を持ち出して逃亡してしまいました。
 2.オネシモの回心:ところが、ローマの町に逃げ込んだオネシモは、不思議なことに軟禁されていたパウロと出会い、キリストの福音を聞きました。そして十字架の血による罪の赦しを受け、キリストを「救い主」と信じ新しい人生を歩み始めました。オネシモとは役にたつという意味ですが、以前は家の主人の役にもたたない逃亡奴隷が、今ではキリストに仕え、パウロにも、フィレモンにもたいへん役に立つ者に変えられたのです。パウロはこのオネシモをフィレモンに受け入れてもらえるように、心を込めてこの手紙で頼んでいます。
 3.オネシモを受け入れてほしい理由:ひとつは、何といっても彼がキリストによってつくり変えられたことです。ですがフィレモンにはそれでもなぜオネシモが逃亡したのかについて疑問が残るはずです。
 そこで二つ目にパウロは、ローマまで逃げて来たにもかかわらず、自分と出会い、キリストによる救いにまで与ったことは、神様がオネシモを救われるためのご計画としか思えない。その視点で、一時期フィレモンの家を離れていたのは、「いつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。」(15節)と書き送っています。これは、この世だけでなく、永遠にフィレモンと共にいるためという意味です。それでもフィレモンにとっては、オネシモが家の金を持ち逃げしたことは事実であり、十字架の血による赦しを受けたからといって、返済しなくてもよいということにはならない、との思いは残ります。
 そこで三つ目にパウロは、オネシモの負債は、パウロ自身が負うことを約束しました(18節)。ここに、オネシモにもフィレモンにも最大の配慮を示したパウロの愛が現わされています。
 4.オネシモと自分を重ねていたパウロ:パウロがここまでオネシモをフィレモンに執り成すことが出来たのは、いうまでもなくキリストの愛に生かされていたからです。同じキリストの愛によって変えられたオネシモの様子もパウロは目の当たりにしました。このオネシモにパウロは自分自身を重ねて見ていました。
 私たちも神様から見るならば、皆オネシモと大差はありません。ルターも「私たちは皆主のオネシモだから…。」と著作に記しています。自らをオネシモと思う時、難しいとしか思えない人間関係にも光が射して来ます。十字架の愛に感謝しながら今週も主の栄光を現わす日常生活に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:Tヨハネ4章8〜11節)
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『何を願いますか?』

2018/06/10 11:30
2018年6月3日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上3章1〜15節  
メッセージ   『何を願いますか?』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 「願うものは何でも与える。」と神様から言われたならば、何を願うでしょうか?健康、長寿でしょうか?お金でしょうか?権力でしょうか?平穏無事な生活でしょうか?

 1.知恵を求めたソロモン:ダビデに代ってイスラエル第三代目の王に即位したソロモンは、エルサレムから10q程離れたギブオンで礼拝を献げました。その夜神様は彼の夢枕に立たれ「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われました。
 この時ソロモンは、「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」と願い出ました。多くの国民を御心に適って治め、人々が言うことを聞き分けるために神様の知恵を求めたのです。彼は、自分が神様から王に立てられたことをよく弁え、その働きの大きさを自覚していたと言えます。また、その働きに忠実に立っていこうとしていました。これを聞かれた神様は、大変喜ばれ、ソロモンが願わなかった富と名声、それに長寿までも添えて与えると約束されました。
 私たちも神様に願い求めることは、主の知恵です。第一に、神様を唯一の創造主であると認めることです。私たちに命を与え生かしてくださっている主がおられることをよく弁えましょう。そして自分にいま委ねられている立場や役割り、仕事は神様が与えてくださったことと感謝して受け止めましょう。そしてその働きに最大限忠実に当たれる様、主よりの知恵を願い出たいものです。

 2.謙遜に願い出たソロモン:ソロモンは、この神様の知恵を「わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。」と自らを主の前に低くし、謙遜な思いから願いました。
 私たちも役割り、働きの大きさと責任を自覚することは必要です。ですが、その時「私にはとても…。」といって引っ込むのではありません。役割り、働きの大きさに比べて自分がいかに小さな者にすぎないかを知らされるところから、神様の知恵が必要なことにも気付かされます。新約聖書には、「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。」と勧められています。主よりの知恵は、謙遜な思いから大胆に願いましょう。

 3.主を愛する思いから:はじめの頃のソロモンは、心から主を愛し(3節)、礼拝も献げていました(4節)。
 私たちも毎日の生活の中で神様、イエスさまを第一に愛しましょう。また、日々御言葉につながり、祈りと讃美を続けながら家庭に、社会に遣わされましょう。そこから主に知恵を願うならば、神様は喜んで与えてくださいます。必要はもちろんのこと、それ以上のものまで添えて与えられます。「主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。」(詩編111編10節)

 (参考聖書箇所:Tテモテ2章1〜2節)
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『同労者に支えられていたパウロ』 

2018/05/27 13:00
2018年5月27日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙4章7〜18節  
メッセージ   『同労者に支えられていたパウロ』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 2月からメッセージを聞き取って来たコロサイの信徒への手紙も今日で終わります。最後のまとまりでパウロは、計10名の人たちの名前を挙げて挨拶を書き送っています。そして最後の18節は自筆で書き、手紙を終えています。

 1.パウロを支えていた様々な人たち:ティキコとオネシモ(7・8節)=彼ら二人はユダヤ人ではないアジアの出身者でした。ティキコはこの手紙他パウロが書いた手紙を何箇所かに運ぶ働きに用いられました。オネシモは、コロサイのフィレモンの元から脱走しましたが、ローマでパウロから福音を聞き、この時は忠実なキリスト信仰者に変えられていました。
 アリスタルコ、マルコ、ユストと呼ばれるイエス=彼らはパウロと同じユダヤ人で割礼も受けていましたからパウロにとって慰めと励ましになりました。特にマルコは、第1回伝道旅行の時途中で脱落し2回目の伝道旅行ではパウロからは連れて行ってもらえなかった人です。そのマルコがこの時はパウロとも和解し彼を支えていました。そしてマルコによる福音書を書くまでに成長していきました。
 エパフラス(12・13節)=彼はコロサイの町にキリストの福音を伝えコロサイ教会に仕えていました。この時はローマのパウロのところにいましたが、いつもコロサイの信徒たちのことを祈っていました。
 ルカとデマス(14節)=ルカは医者でしたから、持病があったパウロには大変な助けになりました。彼は、ルカによる福音書と使徒言行録を書いた人物です。また、この後パウロから離れてしまうデマスもこの時は、コロサイの信徒たちに「よろしく」と挨拶しています。
 パウロは一人で伝道していたのではなく、様々な人たちに支えられ、協力し合いながらキリストの福音を伝え続けていました。その他にもニンファとアルキポの様に(15〜17節)それぞれの町で自分の家を礼拝のために解放する等の働きをしていた人たちもいました。彼らも間接的なパウロの同労者だったと言えます。

 2.イエス・キリストに仕える同労者:上記10人は、パウロの人間性に引かれて彼を支えていたのではありませんでした。パウロと同じ、仲間の僕(7節)でした。その「僕」の主人は、イエス・キリスト救い主です。彼らは、ひとりひとりの賜物を献げて助け合い、頭であるキリストに仕えていました。
 キリスト教会は、キリストを頭に、ひとりひとりはその体につながる群です。キリストの体の一部分ですから、欠けも多くあります。欠けたところは、別の人たちが補いながら、ひとつのキリストの体に建て上げられていきます。伝道も同じです。一人ではなく、同労者と共に祈り合い、助け合いながら家族に周囲の人たちにキリストの福音を伝えていきましょう。

 (参考聖書箇所:エフェソ4章14〜16節)

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『ソロモンの知恵による王国の確立』

2018/05/26 09:48
2018年5月20日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上第2章12〜46節  
メッセージ   『ソロモンの知恵による王国の確立』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.ペンテコステを感謝して:今日は今年のペンテコステです。イエスさまは、十字架で死なれてから三日目に死者の中から復活されました。その後40日間、人々に復活の姿を現わされました。それから弟子たちが見ている前で天に引き上げられました。その10日後に、イエスさまが約束された聖霊が弟子たちの上に降りました。この聖霊の力によって弟子たちは、以前とは見違えるように大胆に世界各地でキリストの福音を伝えていきました。同じ聖霊はイエスさまを「私の救い主」と信じた一人一人にも注がれます。今日もそのことを感謝しましょう。
 2.母よりも御心を優先したソロモンの知恵(13〜25節):今日の聖書箇所には、イスラエル第二代目の王座に着いたソロモンが、父ダビデ王の遺言に沿って4人の危険人物に対処したことが記録されています。
 一人目は自分が王座に着こうとしたアドニヤです。彼はダビデ王の晩年に仕えていたシュネム人の女アビシャグを自分の妻に迎えることをソロモンの母バト・シェバを通して願い出ました。しかしこれは王座を狙う表明に他ならず、以前にソロモンから言い渡されていたことにも反することでした(列王上1章52〜53節参照)。そこでソロモンは、今回は厳しく対応し、彼を討ちました。それが、イスラエル王国をソロモンによって確立する神様の御心に沿うことだったからです。
 ここでソロモンの知恵は、実の母バト・シェバからの願いよりも神様の御心を優先したところです。私たちも神様の御心と人との関係の板ばさみになることがあります。その葛藤もすべてご存知の主に信頼し、御心の方を選び取れるよう、聖霊の助けを願い出ましょう。
 3.預言の実現に用いられたソロモンの知恵(26〜27節):二人目は、祭司アビアタルです。彼はアドニヤの謀反に協力しました。ですがソロモンは彼が父ダビデを大きく支えたこと、主に仕える祭司であるので命を取ることには慎重でなくてはならないことを考慮し、アナトトの自分の耕地に帰るように命じました。この様にしてエリの家から祭司が絶えることになりましたが、これは、預言者によって告げられていたことの実現でした。
 4.律法に従ったソロモンの知恵(28〜35節):上記2人のことを知ったヨアブは、祭壇の角を掴んで命乞いをしました。彼の罪はアドニヤに味方したことと、ダビデに仕えていた時、自分の思いでアブネルとアマサを殺し、平和な時に血を流したことも挙げられています(列王上2章6節)。これは律法に反する罪であり、祭壇のもとからでも連れ出して処刑することが出来ました(出エジプト21章14節)。そこでソロモンは、ヨアブに祭壇から降りて来る様に命じましたが、彼が言うことを聞かず、その場で死ぬことを申し出たため、その様に対処しました。御言葉の原則に従ったことが、何よりのソロモンの知恵といえます。
 5.自滅に追い込んだソロモンの知恵(36〜46節):4人目はシムイです。彼は、ダビデを呪ったり出迎えたりと心変わりをする人物で、やはり危険でした。ソロモンは、彼にエルサレムに家を建てさせ、軟禁状態に置きました。そして、もしもエルサレムから出る様なことがあるならば、命を取ると命じました。ところが三年後、シムイはこの約束と恵みを忘れたのか、逃げた僕を追ってエルサレムから出ました。そこでソロモンは約束通り彼を討ったのです。シムイは自滅したことになります。
 私たちもソロモンの様に主よりの知恵を願い出ましょう。シムイの様に与えられた恵を忘れることなく、何より救いの恵みに感謝しながら聖霊に導かれ、今週も主の栄光を現わす歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:出エジプト記21章14節、列王記上1章51〜52節、詩編103編2節)
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『祈りと証しの生活を』

2018/05/26 09:47
2018年5月13日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第4章2〜6節  
メッセージ   『祈りと証しの生活を』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.母の日に当たって:今日は「母の日」です。母の日は、アメリカのキリスト教会から始まりました。有明教会では、今日も教会の母親役の女性方の働きを神様に感謝して、祝福祈祷をいたします。それぞれの母にも、何よりその母を遣わしてくださった神様に感謝を表しましょう。

 2.ひたすら祈るように(2〜4節):2〜6節は、パウロがコロサイ教会の教会員たちに書き送った最後の勧めです。その勧めのひとつ目が、「ひたすら祈る」ようにです。「ひたすら」は、「たゆまず」(新改訳聖書三版)、「たゆみなく」(同2017)です。1日中祈りにだけ時間を使う様にという意味ではありません。忍耐強く、明きらめずに祈り続けるようにとの勧めです。粘り強く、目を覚まして、目の前にいる人と対話をする様に、感謝の内に毎日祈り続けましょう。
 何を祈るのかが大切です。ひとつは、自分のためばかりでなく、人のための祈りです。また、自分のために祈ってもらうように祈りの要請をすることも必要です。そして、最も願い出たい内容は、「キリストの秘められた計画を語ることができる」ように=イエス・キリストが救い主であられることを聖書から大胆に語り続けられるように(3節)です。そこには労苦も伴います。私たちの祈りは「苦しみから解放されるように」というところで終わっていないでしょうか?「御心がなるように」(マタイ26章39節)と祈りの模範を示してくださったイエスさまに倣ってたゆみなく祈りましょう。

 3.時を用いて賢くふるまうように(5節):「ふるまう」は「知恵によって歩む」という意味です。この知恵は、キリストの知恵、神様の賢さです。私たちもソロモン王が願った様に、神様の知恵を願いましょう。その知恵は、聖書全体に示されています。その知恵によって日常生活を歩む中で、時を用いてキリストを紹介しましょう。

 4.塩で味付けされた言葉で語るように(6節):上記3.は、行動による証しといえます。もうひとつが言葉による証しです。塩は生きていく時に欠かすことが出来ません。体調管理にも必要です。適度に塩味が効いている食べ物は、好んで食べられます。その様な言葉を使うならば、人々からも聞いてもらえます。

 5.聖霊を願って:祈りにしても行動と言葉による証しにしても私たちの力ではとても出来ません。ですが、神様に不可能はありません。そこで助け主、聖霊の力と満たしを願いましょう。特に知恵については、「だれにでも惜しみなくとがめだてしないで」(ヤコブ1章5節)神様は与えてくださいます。
 今週も、ひたすら祈り、時を用いて神様からの知恵によって行動し、そして塩味の効いた言葉を語ることによって、主の栄光を現わす生活に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:イザヤ42章、マタイ12章18〜20節、〃26章39節、ヤコブ1章5節)

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 『何を言い残しますか?』

2018/05/26 09:46
2018年5月6日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上第2章1〜11節  
メッセージ   『何を言い残しますか?』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 いよいよダビデにも死期が近付きました。今日の聖書箇所には、次のイスラエル国王ソロモンにダビデが告げた遺言が記されています。それが、「あなたは勇ましく雄々しくあれ。」(2節)です。どういう意味でしょうか?
 また、5節以下には、三人について、対処が述べられています。ヨアブとシムイは平安の内に世を去らせることのない様に、一方バルジライの息子たちには、現代の年金を与え、手厚く生活を保証するように、です。

 1.モーセの律法のとおりに歩むように(3節):ひとつは、「あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ。」です。モーセの律法と聞くと、厳しい掟の様に思うかも知れません。ですが、富んでいる人たちが貧しい人や弱い人たちの欠けを補い、満たすようにと定められています。イスラエルの国をその様な視点で運営するように、ダビデは言い送りました。「そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる。」(3節)。王家も国民も大きな祝福が与えられます。

 2.子孫が主の道に歩むように(4節):ダビデには神様から、ダビデの家系が絶えることはないと約束されていました(サムエル下7章14節参照)。だからといって、主から離れたり神様が喜ばれないことをしたりしても「大丈夫」ということではありません。その様なところに流れるならば、神様は一端ダビデ家を周辺諸国の手に渡されることもあります。そうならないために、ソロモン以下ダビデ家の人たちは、しっかりと主の道に歩むようにとダビデは言い残しました。

 3.約束を守られた神様:ソロモンは、初めのうちは上記1.2.に従っていましたが、次第に逸れていきました。その結果、次の代のレハブアム王の時、イスラエルは北と南に分かれてしまいます。さらに、北イスラエルは紀元前721年頃アッシリアに滅ぼされ、南ユダも同586年頃、バビロン捕囚に遭いました。一端神様はダビデ家を絶やされた様に思われます。
 ですが、紀元前538年、ペルシャ帝国のクロス王の時、バビロンからエルサレムに帰還が許されました。それから約500年後、ダビデの家系からイエス・キリストがお生まれになります。そして十字架によって全人類を救う御業を実現してくださいました。神様はダビデに告げられた約束を確実に守られました。

 4.私たちが言い残したいこと:それは、「勇ましく雄々しくあるように」です。自分の力に頼って強く生きるのではありません。神様を信じ、救い主に手を引かれながら聖霊の導きに委ねて生きるようにです。受け身の様に感じますが、最も安全で強い道です。確実に天にまで導かれます。
 まとめるならば、第一に神様を愛すること、続いて同じ様に隣人を愛することです。そのスタート地点は、罪の赦しと永遠の命の約束をしっかりいただくことです。キリストとキリストにある人生を伝えること、それが私たちの遺言です。

 (参考聖書箇所:サムエル下7章14節、マタイ22章37〜40節)
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『ソロモン王の即位』

2018/04/29 13:00
2018年4月29日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上第1章32〜53節  
メッセージ   『ソロモン王の即位』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.ソロモンの即位式(32〜40節):前回(4月15日)に聞き取った1章31節までには、晩年のダビデが、息子アドニヤから謀反を起こされた時ようやく自分の次の王がソロモンであることをはっきりさせたことが書いてありました。続く今日の箇所には、その後すぐにダビデがソロモンの即位式を行なうように、祭司ツァドク、預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤに指示したところからはじまっています。彼らはすぐにソロモンをダビデ王の“らば”に乗せてギホンという所に下って行きました。そして、神様が王や祭司たちを任職される時のやり方に則ってソロモンに油を注ぎ、正式な即位式をしました。

 2.逃げ出したアドニヤと仲間たち(41〜53節):ソロモンの即位式が行なわれたギホンから遠くないエン・ロゲルでは、アドニヤが将軍のヨアブたちと王座に着いたことを祝う食事会を行なっていました。ですが彼らの式は、羊、牛、肥えた家畜を屠ってささげてはいましたが、神様が立てられるやり方ではなく、ただの宴会に過ぎませんでした。そこえ祭司アビアタルの子ヨナタンが来て、ギホンでソロモンが正式な王に立てられたことを告げました。
 これを知ると、ヨアブたちは自分たちが謀反者であるとみなされるならば命がないことを悟り、アッという間に逃げ出しました。自分の命をかけてもアドニヤと最後まで行動を共にする者はひとりもいなかったことがわかります。アドニヤ自身も祭壇の角をつかんで命乞いをしました。

 3.御心だけがなること:上記イスラエル王国の王座争いから私たちが聞き取りたいことは、王座を狙って策をめぐらし実行したとしても、結局は御心だけがなることです。神様の御心は、アドニヤではなく、ソロモンがダビデの次の王座を継ぐことでした(サムエル記下7章14節参照)。
 ですが神様は人を用いて御心を実行されます。そこで私たちも「何をしていても御心だけがなるのだから…。」と言っているだけでなく、御心が実現するところに用いられることを願い出ましょう。主の最終的な御心は、イエスさまの再臨です。現代でも人がどの様に動こうとも、この世は再臨に向かっています。イエスさまを待ち望む中で、私たちは一人でも多くの人たちが再臨の時実現する天国(完全な新天新地)に入れてもらえるよう、魂の救いを願って伝道することが命じられています(マタイ28章18〜20節参照)。また、平和づくりの働きに励むこと、弱者と共に生きることも勧められています。

 4.ソロモン王の判断:命乞いをしたアドニヤにソロモン王は、「彼が潔くふるまえば髪の毛一筋さえ地に落ちることはない。しかし、彼に悪が見つかれば死なねばならない。」と告げました(52節)。そしてアドニヤに自分の家へ帰るように命じました。このソロモンの判断は、イエスさまが姦淫の場で捕えられた女性に言われた御言葉と重なります(ヨハネ8章11節参照)。イエスさまもただ「罪に定めず、許すから帰りなさい。」ではなく、「これからは、もう罪を犯してはならない。」と言い渡されました。
 今週も示された罪(的外れ)はすぐに悔い改め、十字架の血による赦しをいただきましょう。そして、少しでも御心が実現するために、主の栄光を現わす歩みに用いられましょう。

 (参考聖書箇所:サムエル下7章14節、ヨハネ8章11節、Tテサロニケ5章9〜11節)
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『何ごとも主に対してするように』

2018/04/22 13:00
2018年4月22日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第3章18〜4章1節  
メッセージ   『何ごとも主に対してするように』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 3章の前半でパウロは、キリストを着て生きるようにコロサイの信徒たちに書き送って来ました。今日の3章後半には、極めて具体的な人間関係のあり方について勧められています。それらが、夫婦(18・19節)、親子(20・21節)、そして僕と主人(22〜4章1節)です。

 1.夫婦(18・19節):妻は「主を信じる者に相応しく夫に仕え」るように。夫は、「妻を愛する」ように。この「愛する」は、アガペーの愛です。イエスさまが全人類を滅びから救うために自分の命を十字架の上で投げ出してくださった最大の愛です。妻も夫もそれぞれが主の愛を感謝し、イエスさまに仕える思いで仕え合うように勧められています。

 2.親子(19・20節):子どもたちには、「どんなことについても両親に従いなさい。」子どもは親に愛されることを通して、目に見えない神様の愛を知ります。また、目の前の親に従うことによって、永遠から永遠まで生きて存在しておられる目には見えない神様に従うことを学びます。
 一方親は、子どもの人格を尊重し、主に仕えて生きる者に成長するよう、しっかりと躾をする責任が主の前にあります。ですが、子どもをいらだたせてはなりません。それは、いじけるといけないからです。親子の関係も、上から押さえつけたり甘やかしたりするのではないことが分かります。主に仕える思いで神様から預かった子どもたちを育てることが大切です。特に子どもたちは教えられるまで神様も聖書の原則も知りませんから、何より救い主イエス・キリストのことを伝えることが最大の子育てです。

 3.僕と主人(22〜4章1節):僕は、主人に次の二点を以て仕える様勧めています。1)うわべだけでなく心から真心を込めて、2)何をするにも人にではなく、主に対してするように。御国を受け継ぐ約束(24節)が与えられていることに目と思いを向ける時、この様に主人に仕えるところにも導かれます。
 主人も僕だからといって物の様に扱ってはなりません。「正しく、公平に」(4章1節)接しなくてはなりません。この様な主従関係が実現するならば、奴隷制度は事実上なくなります。これが、内側からの改革と言えます。

 4.何事も主に仕える思いで:上記の通り23節は、いまから2000年前の僕たちに勧められていますが、クリスチャンも、キリストに仕える僕です。そこで私たちも「人に対してではなく、主に対してするように、心から行」うことを願い出ましょう。この聖句を心に留めているならば、「人が見ているから…。」「いまは、誰も見ていないから…。」という生き方からも解放され、公平で誠実な歩みに導かれます。導いてくださるのは聖霊なる神様です。その主に信頼して今週も主に仕える歩みを願い出ましょう。

 (参考聖書箇所:ガラテヤ3章27〜28節)

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『ダビデ王の晩年』

2018/04/15 13:00
2018年4月15日 主の日礼拝メッセージ
聖書    列王記上第1章1〜31節 
メッセージ   『ダビデ王の晩年』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 今年度も有明キリスト教会の主の日の礼拝式では、原則奇数週は、旧約聖書(列王記)からメッセージを聞き取ります。
 この書はサムエル記の続きで、ダビデの後、古代イスラエルの王たちの列伝です。イスラエル王国は、4代目のレハブアムの時に北イスラエルと南ユダに分かれました。その後はそれぞれに約20人の王たちが立ちましたが、北は紀元前721年頃アッシリヤによって滅ぼされました。一方南は紀元前586年頃にバビロニヤによって捕囚になりました。

 1.視点と主役:普通王たちの列伝というと、それぞれの王たちの功績の記録と思います。ですが、イスラエル王国にとって最も大事なことは、神様が喜ばれる原則に従って王も国も歩んでいたかどうかです。偶像を拝む礼拝から離れ、唯一の神、主のみを礼拝し、信頼しているかどうか、モーセの十戒をはじめとする律法に従って国を治めているかどうか、それがこの書の視点です。この視点に照らすならば、いくら国が栄え国民も豊かな生活をしていたとしても、周りの国々との関係もうまくいっていたとしても、偶像を拝み、例えば貧しい人たちを虐げる様な政策をしたのであれば、その王は「悪王」です。残念ながらこの視点で北イスラエルは全員悪王でした。南ユダも7〜8人が善王で、あとの12〜13人は悪王でした。
 それでも神様は王たちとイスラエルの民に、悪から離れて主に立ち帰る様に働きかけ続けられました。そこで、この書の主役は、王たちではなく預言者たちと言えます。ところが、その預言者たちの言うことも民は聞こうとせず、逆に迫害しましたから、遂に一旦主を知らない国々に滅ぼされ、引き渡されてしまいました。
 私たちも人生で最も大事なことは、どれだけの功績をあげるかではありません。創像主であられる父なる神様の存在を認め、その主に信頼して生きることです。イエス・キリストを「救い主」と信じるところからその人生が始まります。

 2.次の王座を狙ったアドニヤ:ダビデ王も晩年を迎え、いくら着物を重ねても暖まらず、寝た切り状態になりました。ダビデには、ずっと前に(サムエル下7章14節、参照)次の王はソロモンであることを神様から告げられていました。ところがこのことを彼は家族や家臣たちにはっきりとは申し渡していなかったようです。また、ダビデは有能な王であり、信仰の勇者でしたが、家庭を治めることと子どもたちの教育については全く不十分でした。それらのことのために、アドニヤが王座を狙い、父ダビデ王に相談することもなく、仲間だけに呼びかけ、かってに即位式の様な宴会を開きました。

 3.ソロモンを王に任命したダビデ:アドニヤの動きを知った預言者ナタンは、ソロモンの母バト・シェバに、このままアドニヤが王になるならば、ソロモンもバト・シェバも命が危ないこと、第一神様はソロモンを次の王に決めておられることをしっかりダビデに確認するように話しました。バト・シェバはナタンからの指示に従って、ダビデに話しに行きました。また、ナタンもダビデの意志を確認しました。
 ダビデと言えども欠けが多くあり罪人の一人に過ぎませんでした。ですが、肝腎なところでは、預言者を通して語られる主の御声と御心に従いました。また、妻の声にもよく耳を傾けました。やはり「信仰の人」でした。今週私たちも主の御声である聖書の御言葉によく聞きましょう。また神様は人を通しても御心を示されることがありますから、人が言うことにも耳を傾け、御心を聞き分けましょう。
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『新しい人を着て新しい毎日を』

2018/04/08 17:00
2018年4月8日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第3章12〜17節  
メッセージ   『新しい人を着て新しい毎日を』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 クリスチャンは、「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝」(17節)する生活を願い出ています。ですが、我が身を振り返るならば、なかなかその様には歩めていないことに気付かされます。それでも、少しずつそこに近付けられるように、聖霊の助けを祈る者が、キリスト信仰者です。そのために、パウロは何を願い出るよう今日の聖書箇所で勧めているでしょうか?

 1.御霊の実を着ること:「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け」(12節)るように。これらは、御霊の実(ガラテヤ5章22〜23節参照)の一部です。すべて、イエスさまご自身が2千年前の御業の中で現わしてくださいました。そのイエスさまから愛され、神様に選ばれてクリスチャン(神様の子ども)に迎え入れられました。そのことに感謝して、これら五つを願い出ましょう。

 2.忍び合い赦し合うこと(13節):人間関係においては、自己中心でなく、相手の話しをよく聞き、協力し合うことを願いたいものです。そこには、忍耐と赦し合うことが必要になります。最大の模範は、イエスさまです。主の十字架の血による罪の赦しを頂いたところに、いつも立ち帰りましょう。そこを土台に隣人を見るならば、「この人も主に愛されて生かされている。」という思いになるのではないでしょうか?そこから忍耐と赦し合いも実現します。

 3.愛を身に着けること(14節):この「愛」は、アガペーの愛、自己犠牲の愛です。この愛の極みが、やはりイエスさまの十字架の死です。私たち全人類の身代りになって命を投げ出して、救いの御業を完成してくださった愛を感謝して受け取りましょう。この愛の帯を体にしっかりしめて、主の業に遣されましょう。

 4.礼拝、御言葉、讃美:上記1.〜3.を身に着けるために、まずは今年度も主の日の礼拝をライフスタイルの中心に据えましょう。それでも1年52回の内、何回かはやむを得ず出席出来ないこともあります。その時も諦めず、補う方法を探しましょう。有明教会では、申し出てくだされば、主の日の夕や平日にも礼拝出来ます。
 二つ目が「キリストの言葉が内側に宿るようにすること」(16節)です。教会に来ない日も、自分で毎日聖書を読み、聖句に養われましょう。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』」(マタイ4章4節参照)存在です。
 そして三つ目が、讃美です。讃美歌を歌うことによって、魂は神様と交わることが出来ます。喜びの時だけでなく、不調な時にこそたくさん讃美しましょう。主は御霊で満たしてくださいます。
 今週も、礼拝から遣わされ、日々聖句に養われ、讃美しながら、主の栄光を現わす歩みに用いられましょう。

 (参考聖書箇所:マタイ9章36節、フィリピ4章6〜7節)
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『毎日新しい一日を』

2018/04/01 13:00
2018年4月1日 主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第3章1〜11節  
メッセージ   『毎日新しい一日を』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.イースターを感謝して:今日は、今年のイースターです。イエス・キリストが十字架で死なれてから三日目に、「事実」死者の中から復活されたことを記念して祝う日です。クリスチャンは、それまでの土曜日からこの日(日曜日)に礼拝する様になりました。

 2.キリストが復活された意味:いくつもありますが、今日は、ひとつだけ挙げます。それが、全人類が復活する初穂(第1号)になってくださったことです。人は死んで終わりではありません。イエスさまがもう一度この世に来られる「再臨」の時、それまでに死んだ人たちは、皆、復活の恵みに与ります(4節)。そして、イエスさまから、「私(キリスト)」を信じていたかどうかだけ尋ねられます。「はい。」と答えたならば、完全な天に迎え入れられます。キリストを「救い主」と信じるだけで永遠の命にあずかれるのですから、これ程単純で感謝な信仰はありません。

 3.「日々新たにされながら:クリスチャンは、古い自分をイエスさまと一緒に十字架に付けました。そして、キリストと共に復活する恵みに与り、新しい人生を始めました。(1節)。バプテスマの水に沈むことと水から上がることが、これらのことを現しています。それからの毎日は、造り主の姿に倣う新しい人を身につけ、キリストに似る者につくり変えられながら、天を目指して進み続けています(10節)。それが、「上にあるものを求め」る歩みです。

 4.捨て去るもの:古い自分に死んだのですから、キリストを信じる前、持っていたものを捨て去りました。
 1)貪欲(5節):自分の欲を満たすために「もっと、もっと!」という思いが貪欲です。そこから唯一の創造主以外を神に祭り上げたり、それらを拝んだりするようになります。自分を信じることもその一つです。キリストを知る以前は多かれ少なかれ、その様に生きていたのではないでしょうか?そこから性の乱れもおきて来ます(5節前半)。
 2)怒り、憤り、悪意等:感情に任せて怒ったり憤ったりするならば、祝福されません。悪意による策略や復習も同様です。だからといって、全く怒ってはならない等と聖書は勧めていません。イエスさまも神様が神様とされていない時には怒りを表わされました。私たちも不正に気付いた時、それを見過ごすならば、不正の側の見方になってしまいます。聖書に反することに気付いた時には、怒り、主が喜ばれることを伝える必要があります。ですが、相手を陥れる策略をめぐらしたり、復習したりしてはなりません。復習は、神様ご自身がしてくださいます。また、怒っても、それをいつまでも根に持ってはなりません。その日の内に神様によって怒りから解放されるよう祈りましょう。
 自分の力で貪欲や怒り憤り、悪意を捨て去ることは出来ません。ですが、イエスさまの十字架の血による赦しを感謝して受け取り、赦された喜びで満たされるならば捨て去らせていただけます。今日から2018年度が始まりました。この一年も、毎日古い自分を脱ぎ捨て、聖霊の助けを得て「主の栄光を現わす歩み」に遣わされましょう。次回(4月8日)は、キリストを着ることについて聞き取ります。

 (参考聖書箇所:Uコリント5章17〜18節)
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『キリストにあって歩みましょう』

2018/03/25 13:00
2018年3月25日 主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第2章6〜23節  
メッセージ   『キリストにあって歩みましょう』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 2017年度最後の主の日は、キリストにあって(結ばれて)生きることについて聞き取りましょう。

 1.注意すること:いまから2000年前のコロサイ教会には、既に違うキリスト信仰が入り込んでいました。そこでパウロは、次の点に注意する様、書き送っています。
 1)「人間の言い伝えに過ぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人の虜にされないように」(8〜10節) 哲学それ事態が悪いのではありません。ですが、有益な哲学だったとしても、いつしかその哲学を唱えている哲学者を信奉する危険性があります。いくら優れた哲学でもキリストに従うものではありません。私たちには神様を現してくださった救い主イエス・キリストがおられます。しかも、キリストを信じる者たちの内側を満たしてくださっています。それで十分です。
 2)旧約の割礼を守る様な教えに注意する様に(11〜15節) 肉にではなく、心に割礼を受け、キリストを「救い主」と告白してバプテスマを受ければ、それで十分です。
 3)食物や祭りや安息日、天使礼拝には注意する様に(16〜18節) それらすべては、キリストが来られる前の「型」にすぎません。キリストを頭(かしら)に私たちはその体の部分に結び合わされ、キリストに似るところへ成長させていただけます。
 4)禁欲主義に注意(20〜23節) 禁欲生活をしても、それは人を満足させることにしかなりません。聖霊の力によって必要なだけ、主の栄光を現すために用いることが大切です。

 2.主の栄光を現わすために: それが、教会の頭であるイエス・キリスト救い主にしっかり連がり、キリストにあって(結ばれて)生きることです(6〜7節)。
 1)「キリストに根を下ろ」すこと 植物が根から養分等必要なものを吸い上げて成長するように、私たちは聖書の御言葉から毎日霊の糧、知恵や工夫等を得ていきましょう。
 2)「造り上げられ」ること これは、キリストの土台の上に建て上げられるという意味です。いくら立派な建物でも土台がしっかりしていないならば、砂上の楼閣に過ぎません。嵐に会えば、アッという間に倒れてしまいます。キリスト信仰の土台は、イエス・キリスト(聖書の御言葉)です。御言葉から知らされる天国の原則に従って生きてみることです。そうするならば、人生の嵐にも耐えられ、守られます。
 3)「教えられたとおりの信仰をしっかり守」ること 「使徒信条」等に告白されているキリスト信仰にしっかり留まりましょう。そこに祝福があります。
 4)「あふれるばかりに感謝」すること 何といっても感謝しましょう。最大の感謝は、イエスさまによって的外れの人生が買い戻され、的を射た人生、天を目指して進み続ける歩みに向きが変えられたことです。今週は受難週です。十字架の御業の大きさをいつも以上に感謝する週に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:Tテサロニケ5章18節)
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