『天を目指して走り続けましょう』
2017年11月5日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書 フィリピの信徒への手紙第3章12~21節
メッセージ 『天を目指して走り続けましょう』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.召天者記念礼拝式に当たって:今年もご家族が既に安らいでおられる天を望み見る礼拝を共に出来、感謝しています。
故人の魂は、死の瞬間、愛用した肉体を離れ、イエス・キリストを信じていた人の魂は、天国の待合室に移されます。キリストが再臨される時、そこから復活の恵に与ります。その間、地上に戻って来ることはありません。
2.天へ行くには:完全な天に行く約束は、ただ、イエス・キリストを「私の救い主」と信じるだけでいただけます。善行を積むことにも、旧約の律法を行なうことにもよりません。キリストが再び来られる時、尋ねられることもただ「キリストを信じていたかどうか?」それだけです。キリストを信じて死んだ人も、信じずに死んだ人も、みな復活し、この質問をされます。そして、「はい。」と答えるならば、本当に完全な天に迎え入れられます。その時を楽しみにしながら生きている人たちが、キリスト信仰者です。
3.キリストに似るところを目指して:ところで、クリスチャンは、天国行きの切符をいただいてはいますが、完全ではありません。この世では、どこまでいっても不完全です。パウロも「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。」(12節)と書いています。
ところが、フィリピの教会には、そこを間違えて、既に完全になっていると考えていた人たちがいました。そうなると、キリストに似るところ、神様の御心に適う、聖なる生活 = 天を目指して進み続ける歩みはなくなります。あとは、この世を楽しみ、快楽を追求するようになってしまいます。
そこでパウロが書き送っている勧めが、「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ること」(14節)です。これは、人格的にも日常生活の倫理道徳面でもキリストに少しでも似るところを願って、精一杯生きることです。
4.原動力は神様ご自身:この様に聞き取って来ると、クリスチャンは「疲れる!」と言いたくなるでしょうか?ですが、クリスチャンは皆「キリスト・イエスに捕らえられてい」ます(12節)。自分の力で進み続けようとするならば、間違いなく疲れます。人の力によるならば、気を遣い、精神的に疲れてしまいます。ですが、キリストご自身が捕えていてくださり、聖霊の助けを送ってくださいます。その力で進み続けますから、疲れ果てることはありません。ときには疲れることもありますが、必要な休息を取るならば、また新たな力を受けて進んでいけます。死ぬ瞬間まで成長させていただけるところに感謝しながら、今週も天に向かって走ってまいりましょう。イエス・キリストからの招きを感じている方は、一日も早く信仰の決心をしましょう。
(参考聖書箇所:イザヤ40章28~31節)
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書 フィリピの信徒への手紙第3章12~21節
メッセージ 『天を目指して走り続けましょう』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.召天者記念礼拝式に当たって:今年もご家族が既に安らいでおられる天を望み見る礼拝を共に出来、感謝しています。
故人の魂は、死の瞬間、愛用した肉体を離れ、イエス・キリストを信じていた人の魂は、天国の待合室に移されます。キリストが再臨される時、そこから復活の恵に与ります。その間、地上に戻って来ることはありません。
2.天へ行くには:完全な天に行く約束は、ただ、イエス・キリストを「私の救い主」と信じるだけでいただけます。善行を積むことにも、旧約の律法を行なうことにもよりません。キリストが再び来られる時、尋ねられることもただ「キリストを信じていたかどうか?」それだけです。キリストを信じて死んだ人も、信じずに死んだ人も、みな復活し、この質問をされます。そして、「はい。」と答えるならば、本当に完全な天に迎え入れられます。その時を楽しみにしながら生きている人たちが、キリスト信仰者です。
3.キリストに似るところを目指して:ところで、クリスチャンは、天国行きの切符をいただいてはいますが、完全ではありません。この世では、どこまでいっても不完全です。パウロも「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。」(12節)と書いています。
ところが、フィリピの教会には、そこを間違えて、既に完全になっていると考えていた人たちがいました。そうなると、キリストに似るところ、神様の御心に適う、聖なる生活 = 天を目指して進み続ける歩みはなくなります。あとは、この世を楽しみ、快楽を追求するようになってしまいます。
そこでパウロが書き送っている勧めが、「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ること」(14節)です。これは、人格的にも日常生活の倫理道徳面でもキリストに少しでも似るところを願って、精一杯生きることです。
4.原動力は神様ご自身:この様に聞き取って来ると、クリスチャンは「疲れる!」と言いたくなるでしょうか?ですが、クリスチャンは皆「キリスト・イエスに捕らえられてい」ます(12節)。自分の力で進み続けようとするならば、間違いなく疲れます。人の力によるならば、気を遣い、精神的に疲れてしまいます。ですが、キリストご自身が捕えていてくださり、聖霊の助けを送ってくださいます。その力で進み続けますから、疲れ果てることはありません。ときには疲れることもありますが、必要な休息を取るならば、また新たな力を受けて進んでいけます。死ぬ瞬間まで成長させていただけるところに感謝しながら、今週も天に向かって走ってまいりましょう。イエス・キリストからの招きを感じている方は、一日も早く信仰の決心をしましょう。
(参考聖書箇所:イザヤ40章28~31節)
この記事へのコメント