『クリスマスを感謝して イエス・キリストにあって善を行ないましょう』
2018年12月23日 主の日(クリスマス)礼拝メッセージ要約
聖書 ヨハネの手紙Ⅲ 1~15節
メッセージ 『クリスマスを感謝して
イエス・キリストにあって善を行ないましょう』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.救い主の誕生:クリスマスは、イエス・キリストがこの世にお生まれになったことを感謝し祝うときです。「イエス」は「主は救い」、「キリスト」は、「救い主」という意味の称号(呼び名、肩書)です。「クリスマス」の「マス」は、ミサのことで、礼拝です。そこで、救い主を礼拝することが、何よりのクリスマスのお祝です。
2.私たちを救うために:イエスさまは、永遠のはじめから創造主であられる神様と共におられました。創造の御業にもかかわられた神様と等しいご性質です(コロサイ1章15節参照)。その様なお方がなぜ人と同じ姿でこの世に来られたのでしょうか?
はじめの人アダムとエバは、蛇の姿をしたサタンの誘惑に負け、「食べてはならない。」と神様から命じられていた善悪を知る木から実を取って食べてしまいました。このときから人には神様が言われることに聞き従えない罪(的外れ)が入ってしまいました。そのままでは、永遠に神様がおられないところに定められるしかありません(滅び)。
しかし神様は、その様な人を何とかして救おうとされ、旧約時代のイスラエルの民には律法を与えられました。ですが人は律法を守れませんでした。
そこでついに神様は、御ひとり子イエスさまをこの世に送られ、人の身代りの死に引き渡されました。それが、イエスさまの十字架の死です。イエスさまは、十字架の上で流された尊い血で全人類の罪を買い戻してくださいました。死から三日目には死者の中から復活され、死にも打ち勝たれました。その後弟子たちが見ている前から天に引き上げられ、いまは神様と等しいところから私たちを見守り、祈りを神様に取次いでくださっています。聖霊なる神様を送って助けてくださいます。そしてもう1度この世に来られ、悪を裁き、完全な天を実現されます。それまでに死んでいた人を復活させ、生きている間にイエスさまを信じていた人を天に迎え入れてくださいます。
イエスさまは人と神様、人と人との関係を回復する道を開いてくださいました。いまの私たちは、イエスさまを「私の救い主」と信じるだけで、誰でも救いの恵みに与ることが出来ます。永遠の命の約束まで与えられますから、最大の課題である死も解決されます。永遠の命の約束の中を自由に生きて行くことが出来ます。
3.ガイオとディオトレフェス:イエスさまは、人の魂を滅びから永遠の命に救い出してくださるだけでなく、闇のこの世からも救い出してくださいました。そこで救いの恵みにあずかったキリスト信仰者は、この世にキリストの光を放つ働きに用いられます。それが、真理に生きること、神様の目から見たときの「善」を行なう歩みです。今日のヨハネの手紙Ⅲでは、この手紙の受取り人ガイオが、イエスさまのことを命がけで伝えていた巡回伝道師たちを心からもてなし必要を満たして送り出していた事を伝えています(5・6節)。一方、ディオトレフェスは、指導者になろうとし、ガイオの悪口を言っていました。
4.善を見倣う歩みを:私たちもガイオのように真理に生き、「善いこと」のために用いられるよう聖霊の助けを願いましょう。宣教師や伝道旅行をしている旅人をもてなすことをはじめ、聖書からイエスさまがどの様な歩みをされたのかを読み取り、そこに従いましょう。ディオトレフェスのように自分が頭になることではなく、教会に、家庭に、社会に仕えましょう。 (参考聖書箇所:マルコ10章45節、ルカ2章1~7節、他)
聖書 ヨハネの手紙Ⅲ 1~15節
メッセージ 『クリスマスを感謝して
イエス・キリストにあって善を行ないましょう』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.救い主の誕生:クリスマスは、イエス・キリストがこの世にお生まれになったことを感謝し祝うときです。「イエス」は「主は救い」、「キリスト」は、「救い主」という意味の称号(呼び名、肩書)です。「クリスマス」の「マス」は、ミサのことで、礼拝です。そこで、救い主を礼拝することが、何よりのクリスマスのお祝です。
2.私たちを救うために:イエスさまは、永遠のはじめから創造主であられる神様と共におられました。創造の御業にもかかわられた神様と等しいご性質です(コロサイ1章15節参照)。その様なお方がなぜ人と同じ姿でこの世に来られたのでしょうか?
はじめの人アダムとエバは、蛇の姿をしたサタンの誘惑に負け、「食べてはならない。」と神様から命じられていた善悪を知る木から実を取って食べてしまいました。このときから人には神様が言われることに聞き従えない罪(的外れ)が入ってしまいました。そのままでは、永遠に神様がおられないところに定められるしかありません(滅び)。
しかし神様は、その様な人を何とかして救おうとされ、旧約時代のイスラエルの民には律法を与えられました。ですが人は律法を守れませんでした。
そこでついに神様は、御ひとり子イエスさまをこの世に送られ、人の身代りの死に引き渡されました。それが、イエスさまの十字架の死です。イエスさまは、十字架の上で流された尊い血で全人類の罪を買い戻してくださいました。死から三日目には死者の中から復活され、死にも打ち勝たれました。その後弟子たちが見ている前から天に引き上げられ、いまは神様と等しいところから私たちを見守り、祈りを神様に取次いでくださっています。聖霊なる神様を送って助けてくださいます。そしてもう1度この世に来られ、悪を裁き、完全な天を実現されます。それまでに死んでいた人を復活させ、生きている間にイエスさまを信じていた人を天に迎え入れてくださいます。
イエスさまは人と神様、人と人との関係を回復する道を開いてくださいました。いまの私たちは、イエスさまを「私の救い主」と信じるだけで、誰でも救いの恵みに与ることが出来ます。永遠の命の約束まで与えられますから、最大の課題である死も解決されます。永遠の命の約束の中を自由に生きて行くことが出来ます。
3.ガイオとディオトレフェス:イエスさまは、人の魂を滅びから永遠の命に救い出してくださるだけでなく、闇のこの世からも救い出してくださいました。そこで救いの恵みにあずかったキリスト信仰者は、この世にキリストの光を放つ働きに用いられます。それが、真理に生きること、神様の目から見たときの「善」を行なう歩みです。今日のヨハネの手紙Ⅲでは、この手紙の受取り人ガイオが、イエスさまのことを命がけで伝えていた巡回伝道師たちを心からもてなし必要を満たして送り出していた事を伝えています(5・6節)。一方、ディオトレフェスは、指導者になろうとし、ガイオの悪口を言っていました。
4.善を見倣う歩みを:私たちもガイオのように真理に生き、「善いこと」のために用いられるよう聖霊の助けを願いましょう。宣教師や伝道旅行をしている旅人をもてなすことをはじめ、聖書からイエスさまがどの様な歩みをされたのかを読み取り、そこに従いましょう。ディオトレフェスのように自分が頭になることではなく、教会に、家庭に、社会に仕えましょう。 (参考聖書箇所:マルコ10章45節、ルカ2章1~7節、他)
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