『サウルの失敗Ⅱ = 神様を利用しようとしたサウル』

2015年5月17日のメッセージから
 聖書  サムエル記上(第1)14章16~35節
 メッセージ  『サウルの失敗Ⅱ 神様を利用しようとしたサウル』

 私たちは、信仰深いでしょうか?熱心に祈り、聖書から御心を尋ね、一生懸命聖句を探すことがあります。ですが、どこかで、神様を自分の願いや思いに合わせようとして必死に祈っているところはないでしょうか?聖句も、与えられた箇所に従うのでなく、自分のいまの思いと願いに合う御言葉を探している様な時はないでしょうか?もしも、その様な祈りをしているならば、宗教心は熱いと言えるかも知れませんが、キリスト信仰が深いことにはならないでしょう。自分に合う聖句を探して、安心し、それで主が共におられると思っているならば、キリストを自分に合わせていることになってしまいます。これも、キリスト信仰の歩みとはいえません。

 1.サウルの不信仰
 今日の聖書箇所には、ヨナタンがペリシテ人との戦いに突破口を開き、ペリシテ人が敗戦に追い込まれていった時のことが書いてあります。その中でサウル王は、次の様な不信仰の罪を犯しました。
 1)主への伺いをやめたこと(18~23節) 見張りによって、ペリシテ軍が混乱状態に落ち入っていることを知ったサウルは、誰かが切り込んで行ったと思いました。そこで、イスラエル兵を確認したところ、息子のヨナタンと道具持ちの計二人がいないことがわかりました。そこで、自分たちも後に続きたいと思い、祭司に主の御心を尋ねてもらいました。ここまでは、まだよかったのですが、その間に敵陣がさらに慌しくなって来たのを見ると、居ても立ってもいられなくなり、主からの答えがまだないにもかかわらず、兵を出してしまいました。主からの答えを待てなかったところに、サウルのかたちだけの宗教心が現わされています。
 2)断食を誓ったこと ペリシテ軍が同士討ちをしていたところに、サウル軍が攻め込み、さらに、ペリシテ軍に鞍替えしていたイスラエル兵や恐れて隠れていた兵士たちまでが加わりましたから、イスラエルは、大勝利をおさめました。しかし、この日、サウルは、「わたしが敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ」と夕方まで断食を誓わせていました。兵士はこの日、ミクマスからアヤロンまで、約20㎞も敵を追激しましたから、ただでさえ空腹になるところ、飢餓状態に落ち入ってしまいました。このサウルの誓いも、自分が敵を報復するまでと自己中心からしたことで、心からの誓願ではありませんでした。第一、戦地で、断食を誓わせる等、考えられないことでした。ひとりだけ、この誓を知らずにサウルの息子のヨナタンは、森の中で蜂蜜を杖の先につけて食べ、元気を取り戻していました。父サウルがその様な誓いをさせていたことを知らされたヨナタンも、「愚かな誓い」とサウルの指揮を批判しました。
 3)かたちだけの礼拝 結局、日が暮れ、誓いから解かれた兵は、律法で血のまま食べてはならないと禁じられていた牛等の肉を血がついたまま貪り食べたのです。この様にしてサウルは、兵に罪を犯かさせてしまいました。この罪に対する主からの怒りを避けるために、サウルは祭壇を築かせましたが、これも、かたちだけの礼拝にしかなりませんでした。

 2.主に信頼する祈りと御言葉に従う信仰の歩みを
 サウルが誤っていた点は、かたちだけの礼拝をし、心は戦況に向いていたところです。私たちも、人の意見に耳を傾けることは大切です。客観的に情勢を把握し、状況を分析することも必要です。ですが、あまりそこに傾き過ぎると、サウルと同じ様に、状況の変化で動いてしまいかねません。まずは、生きて働いておられる主に信頼し、状況も主に委ね、心からの祈りをしましょう。そのためには、静まることが大切です。また、聖書も、その日、その時に与えられる御言葉に従うことが御心に従う、信仰の歩みになっていきます。私たちの計画通りに進まない様に思える時でも、主は、はるかに大きな御業を実現しようとしておられることもあります。いつも、主の知恵は、人には計り知れないことを忘れずに、御心によく聞き御言葉に従う歩みを願い出ましょう。

 (参考聖書箇所: エレミヤ17章7~8節)

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