2019年4月7日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上14章21~31節
メッセージ 『何を子孫に伝えますか?』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.新年度に当たって:2019年度が始まって一週間が過ぎました。主の日は、今日から新年度がスタートします。この一年も、主の日の礼拝式を信仰生活の中心に据えましょう。一年間は短い様でやはり長いですので、様々な試みもあります。そのときも諦めず、礼拝を願い出ましょう。有明教会では、希望に応じて、主の日の朝早くや夕方に礼拝することも出来ます。祈って願うならば、神様は様々な知恵と工夫を与えてくださいます。そこに期待して共に励まし合いながら今日からの52回礼拝し続けましょう。
2.主を怒らせたレハブアム王とユダの民:イスラエル王国4代目の王レハブアムは、神様の目から見た時、良いところもありましたが(歴代誌下11~12章参照)、北イスラエル同様偶像を礼拝する悪を行ないました。この大きな罪の結果、神様を怒らせました(22節)。
3.罪の結果:1)周辺国との平和が保たれませんでした=「レハブアムとヤロブアムの間には戦いが絶え」ませんでした(30節)。エジプト軍も攻めて来ました(25~26節)。 2)宝を失いました(26節)=ソロモンが築いた莫大な富は、エジプト軍によって、レハブアムの治政5年目に持ち去られてしまいました。 3)レハブアムは、礼拝中も安心出来ませんでした=金の盾までエジプト軍に持ち去られたレハブアム王は、青銅の盾をつくり、近衛兵に持たせ、神殿を守らせました。王は、どこからか攻め込まれるのではないかという思いの中で礼拝していたと言えます。国外との関係にも、王自身の内側にも平安がなかったことがわかります。
4.罪の原因:今日の短い箇所の中に2度、「レハブアムの母は名をナアマと言い、アンモン人であった。」と書いてあります(21、31節)。アンモン人は、元はアブラハムの甥ロトの子孫ですが、土着の偶像を拝む民でした。この母が、レハブアムにも偶像を拝ませたと言われています。そうでなく、唯一生きて働いておられる創造主を礼拝する母であったならば、これ程はやくイスラエル王国が分裂することはなかったはずです。また、上記の結果を招くこともなかったであろうことは、想像に難くありません。
5.私たちが子孫に伝えること:1)信仰=もちろん、偶像を拝むところに祝福はありません。イエス・キリストによって差し出されている救いの道を伝えましょう。 2)天に積んでいる宝=地上の宝はいくら頑張って蓄えたところで、今日のレハブアムの様にアッ!という間に失われます。子孫に残し伝えるものは、天に積んでいる宝です(マタイ6章19~20節参章)。新年度を歩みはじめるこの時、天に宝を積むこととは、どの様に生きることなのか、それぞれ聖書から聞き取り祈りたいものです。最大限すべての人たちと平和な関係を保つこともそのひとつです(歴代史下12章、ローマ12章18~19節参照)。
(参考聖書箇所:歴代誌下11~12章、マタイ6章19節、ヨハネ8章31~12節、ローマ12章17節)
2019年3月31日主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上14章1~20節
メッセージ 『悔い改めの機会を逸したヤロブアム』
メッセンジャー 田中文人牧師
今日で2018年度が終わります。主の日も今日の31日が今年度最後です。この1年度間、4月1日から53回の主の日礼拝式を献げることが出来、主に感謝しています。
1.アビヤの病(1~5節):北王国イスラエルの王ヤロブアムの息子が、病気になりました。命にかかわる様な重病だったと思われます。そこでヤロブアムは、妻に変装するように、パンや菓子、蜜等を持って預言者アヒヤのところに行くように命じました。アヒヤは、ヤロブアムがイスラエル十部族の王に立てられることを告げた預言者です。ヤロブアムは、アヒヤが今回も良い預言をしてくれると期待したのかも知れません。
2.アヒヤの預言(6~16節):アヒヤは老齢のため、目がほとんど見えなくなっていました。ですが、事前に神様からの御声があり、近付いて来る足音を聞くと、すぐに変装したヤロブアムの妻であることを見抜きました。そして、次の様に告げました。1)息子アビヤは、ヤロブアムの妻が町に足を踏み入れる時死ぬ(12節)。2)ヤロブアムの家を断つ王がすぐにも立てられる(14節)。3)この後、北イスラエルの政権は、水辺に揺れる葦のように安定しない(15節)。4)先祖にお与えになった地からイスラエルを引き抜き、散らされる(15節)。
3.御心に適っていた息子よりも大きかったヤロブアムの罪:アヒヤの預言通り、妻が町に入り、家の敷居をまたいだ時、息子のアビヤは死にました。ですが、この息子は、「ヤロブアムの家の中でイスラエルの神、主にいくらか良いとされるのはこの子だけだからである。」(13節)とあります。「いくらかでも良い」は、新改訳聖書第3版では、「御心に適っていたからです。」と訳されています。そこで、アビヤだけがヤロブアムの家族の中で墓に葬られました(18節)。
なぜ、御心に適っていた息子が若くして病のために死んだのでしょうか?その理由はわかりません。ですが、息子の信仰以上に父ヤロブアムの罪の方が大きかったことは考えられます。彼の大きな罪は、何といっても神様を「後ろに捨て去った」ことです(9節)。唯一存在され、生きて働いておられる神様に背を向け、自らも偶像の神を拝み、イスラエルの民にも拝む様に仕向けたこと、これが最大の罪でした。それでもヤロブアムはこの罪から離れようとはせず、結局「ネバトの子ヤロブアムのすべての道を歩み」と記され、悪王の代表者に数えられることになりました。
4.信仰と悔い改め:ヤロブアムの記事を教訓にするならば、次のことを聞き取れます。
1)信仰によって=ヤロブアムの妻が変装していても預言者アヒヤに見抜かれたように、神様の前ではいくら外側を変えたり繕ったりしても通用しません。神様は、いつも私たちの内側をご覧になります。内側で、「目に見えるものによらず、信仰によって歩」もうとしているかどうか、そこが問われます。(Ⅱコリント5章7節)。
2)悔い改め=私たちもダビデのような信仰を願いたいものです(8節)。彼も大きな罪を犯しました。ですが、指摘された時、すぐに認めて悔い改め、神様から許されました。私たちには、イエス・キリストの十字架の血による罪の赦しの道が差し出されています。安心して、示されている罪は認めて悔い改め、神様の国の原則の方に生きる向きを変えましょう。どの様な罪でも赦され、新しい歩みを始められます。
(参考聖書箇所:Ⅰサムエル16章7節、マタイ4章17節、Ⅱコリント5章7節)
2019年3月24日主の日礼拝メッセージ要約
聖書 ガラテヤ3章1~14節
メッセージ 『御霊ではじめたのですから』
メッセンジャー 田中文人牧師
キリスト信仰者は、1)「霊」(御霊、聖霊)に導かれ、生かされており、2)旧約聖書の信仰の父アブラハムの子孫です。ですが、旧約時代というと、やはりモーセを通して神様から与えられた律法のことを思い出すのではないでしょうか?そこで、キリスト信仰者の歩みを長年続けていても、2)は、あまり意識していないのではないでしょうか?
1.なお怒っているパウロ:3章に入っても、パウロは、まだ怒っていることが伝わって来ます(1、3節)。彼の怒りは、1)ガラテヤ地方のクリスチャンとキリスト教会を迷わし、違うところに誘い込んでいた偽教師たちに対して、2)人生を180度変えられ、罪の赦しと永遠の命の約束までいただいたにもかかわらず、偽教師たちに惑わされ、純粋なキリスト信仰から逸れてしまっていたガラテヤの信徒たちに対してです。「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち」(1節)、「あなたがたは、それほど物分かりが悪く…」(3節)、この様に言われるならば、誰でも良い気はしません。ここにパウロの怒りが表わされています。同時に、彼とガラテヤの信徒たちとの間には、しっかりした信頼関係が出来ていたこと、何よりパウロが彼らに初めの信仰に立ち帰ってほしいと心から願っていた愛が伝わって来ます。
2.アブラハムの信仰:ですがパウロは、その怒りを彼らに当てるのでなく、信仰の父アブラハムに与えられた祝福をガラテヤの人たち(ユダヤ人ではない異邦人)も受け継いでいることを、旧約聖書を何箇所も引用しながら説いています。アブラハムも、行ないによって神様に受け入れられたのではなく、与えられた祝福の契約をただ信じて義と認められたのです。「義」は、神様に「良し」と受け入れられること―神様の子どもに迎え入れられること―です。
3.律法による救いはない:もしも私たちが救われるために律法を行なわなくてはならないとしたら、どうなるでしょうか?行なえない自分に気付かされ、落ち込んだり、罪悪感に苦しむことになります。仮に行なえたとしても、一時的な達成観はあるかも知れませんが、また次の達成観を求めて頑張らなくてはなりません。そこには、救いも平安もなく、結局、自己実現止まりであり、自己中心の人生でしかなくなります。それが「呪い」(11、13節他)と言えます。
4.救いは「信じるだけ」:イエスさまは、この「呪い」を全部十字架の上で引き受けてくださいました。また、律法全部も実現されました。そこで、いまの私たちも、行ないによるのではなく、ただ、このイエスさまを「救い主」と信じる信仰によって、救いの恵みに与ることができます。救われるならば、聖霊が宿ってくださいます。聖霊の助けと導きによって完全な天を目指して進み続けることも出来ます。
どこかで「…をしないと救われない…。」「まだ…が出来ていないから、それが行なえたら信じる…。」という思いはないでしょうか?神様は、ガラテヤの信徒たちと同じ異邦人である私たちも、アブラハムの子孫に招いてくださっています。感謝して、救い主を受け取りましょう。既にキリスト信仰の歩みを続けているクリスチャンも、ガラテヤの信徒たちの様に違う福音に惑わされることなく、「霊」によってはじめた信仰を「霊」によって仕上げるところを願い出ましょう。
(参考聖書箇所:創世3章15節、ハバクク2章4節、ローマ10章9~10節)
2019年3月17日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上13章11~34節
メッセージ 『預言者への警告』
メッセンジャー 田中文人牧師
キリスト信仰者(クリスチャン)は、父なる神様(創造主)の御心に少しでも沿う歩みをしたいと願っています。御心に沿う歩みが、救い主イエス・キリストに従う、キリストの弟子の歩みです。ですが、この世には、神様の御声のように聞こえて、実はそうではないことも多くあります。
1.不可解な出来事:今日の聖書箇所の記事は、理解に苦しむのではないでしょうか?北イスラエルの王ヤロブアムに神様からの警告を伝えた南ユダの預言者は、自らも神様から言われていたところに忠実に従いました。彼は、王からの誘いも断わり、北イスラエルでは、飲食をいっさいせず、来たときとは別の道を通って南に戻り始めました。
ところが、北イスラエルにも老預言者がいました。南からの預言者のことを息子から聞くと、この老預言者は、すぐにろばで追いかけ、樫の木の下で休んでいた南からの預言者に追い着きました。そして、「一緒にわたしの家に来て、食事をなさいませんか」と誘いました(15節)。長い間、老預言者は、御声を聞いていなかったため、南からの預言者を通して御声を聞きたかったのでしょうか?ですがこの時も南からの預言者は、しっかり断わりました。
ところが北の老預言者が、「わたしもあなたと同様、預言者です。御使いが主の言葉に従って、『あなたの家にその人を連れ戻し、パンを食べさせ、水を飲ませよ』とわたしに告げました。」(18節)と言うのを聞くと、誘いを受け入れ、一緒に引き返してしまいました。
しかし、二人が老預言者の家で一緒にパンを食べ、水を飲んでいると、神様の御声が、老預言者にありました。彼は。ビックリしました。久しぶりに御声を直接聞いたことと、その内容が、南からの預言者が言っていた通りだったからです。ですが、やはり老預言者も預言者ですから、このことも南からの預言者に伝えました。
南からの預言者の反応は書いてありませんが、おそらく、そのままを受け入れたのだと思われます。北の老預言者は彼のためにろばと鞍を用意し、送り出しました。しかし、南への途中、1匹の獅子と出会い、南からの預言者は、殺されてしまいました。不思議なことに、獅子は、この人だけを殺し、ろばを殺したり食べたりしていませんでした。通りかかった人がこのことを北の老預言者に話すと、彼はすぐにそこへ行き、南からの預言者の亡骸をろばに乗せて自分の町に戻り、丁寧に葬りました。
2.欺きを見抜けなかった南の預言者:この老預言者は、預言者の一人であることは間違いありませんでしたが、御使いから南からの預言者をもてなすように告げられたというところは事実ではありませんでした。この点で、老預言者は南からの預言者に嘘を言い、欺きました(18節)。南からの預言者は、そこを見抜けず、悲惨な死をとげることになりました。ですが、欺いた老預言者は、「おとがめなし」でした。理解に苦しみますが、ここから聞き取りたいことは、南の預言者が御心に従い通せなかったところです。
3.目を覚まして御心に従う歩みを:私たちも「御心」と思うようなことを聞くことがありますが、実は、違うこともあり得ます。ベレアの人たちの様に、聞いたことは、聖書に照らして確認するようにしましょう。そして何より、祈りの内に御心を常に確認しながら祝福の道を歩みましょう。
(参考聖書箇所:コロサイ4章2~4節)
2019年3月3日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上13章1~10節
メッセージ 『北イスラエルも見捨てられなかった神様』
メッセンジャー 田中文人牧師
日常生活の様々な場面で、私たちは警告を受けることがあります。視覚障害者が安全に歩くための点字ブロックにも、誘導ブロックと警告ブロックがあります。警告ブロックに足が触れても、誘導ブロックと同じ様に歩き続けるならば、道路に飛び出してしまったり、階段から落ちてしまうこともあり、大変危険です。
神様は、人生そのものにも警告を与えられることがあります。それを受け取る時、私たちはどうすれば、危険を避け、安全な道を進むことが出来るでしょうか?
1.罪を重ね続けていたヤロブアム:北イスラエルの民を偶像礼拝に誘い込み、神様(創造主)に対して背信の罪を犯していたヤロブアム王は、南ユダから神様の警告を伝えに遣わされて来た神の人(預言者)が到着した時も、祭壇に登って自ら香をたいていました。香をたくことは、祭司にだけ委ねられていましたから、ヤロブアムは、ここでも大きな罪を犯していたことになります。また、神様は、この神の人に北イスラエルでは、いっさい飲み食いをしてはならない、南に帰る時も別の道を通るようにと告げておられました。北イスラエル全体が霊の面で大変に堕落していたことが分かります。ですが、神様は、その様なヤロブアムと北イスラエルも見捨てることなく、預言者によって裁きの警告を与え、悔い改めに招いておられました。
2.ふたつの警告:1)ヨシヤという人が、祭壇の上で人の骨を焼き、祭壇を汚すこと=この預言は、300年後、ヨシヤ王の宗教改革の時に実現しました。 2)祭壇が裂け、その上の脂肪の灰が散ること=これは、直後に実現しました(5節)。
3.ヤロブアムの反応:これら裁きへの警告を聞いたとき、ヤロブアムは、祭壇の上から手を延ばし、神の人を捕まえるように命じました。ところが、その延ばした手が突然萎えたのです。そして、祭壇は裂け、その祭壇から脂肪の灰が散りました。ここにも、神様が生きて働いておられることが現わされています。
驚いたヤロブアムは、神の人に萎えた手の癒しを願いました。神の人が祈ると、その手は元に戻りました。そこでヤロブアムは、神の人を王宮に招こうとしました。この様に、ヤロブアムは悔い改めた様に見えますが、その場だけで、心から神様に立ち返ってはいませんでした。
4.御心に従い通した神の人:1、2節で繰り返されているように、神の人は、「主の言葉に従」い通しました。霊的な面で危険だった北イスラエルに行き、告げられた通り預言しました。飲み食いをしない様にと言われていたところにも従って、ヤロブアム王からの招きも断りました。
そして注目したいことは、表面的であったとしても、ヤロブアムが悔い改め、萎えた手の癒しを願った時、神様に祈ったところです。イエスさまは、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」(マタイ5章44~45節)と教えられました。南ユダの神の人が祈ったところに、キリストの弟子の姿が現わされています。
私たちも神様からの警告を聞いた時は、1)立ち止まって、2)よく聞き、3)示されている方向に人生の向きを変えましょう。そこには滅びではなく、祝福が用意されています。
(参考聖書箇所:列王記下23章、マタイ5章44~45節)
2019年2月24日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 ガラテヤの信徒への手紙2章1~10節
メッセージ 『福音の真理に留まるために』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.エルサレム教会に遣わされたパウロたち:パウロは、第1回伝道旅行で、各地にキリストの福音を伝えました。その結果、ユダヤ人以外の多くの人たちがキリストを信じて救われ、キリスト教会も起こされました。シリアのアンティオキア教会もそのひとつです。
ところが、「救われるためには、割礼も受けなくてはならない。」と偽の福音を教える者たちが入り込んで来ました。そこで、アンティオキア教会では会議が開かれ、キリスト信仰の真理に触れるこの課題を解決するため、パウロとバルナバをエルサレム教会に遣わしました。パウロは、テトスも一緒に連れて行くことにしました。テトスは、ギリシヤ人でしたが、救われてからも割礼は受けていませんでした。
2.パウロたちの意図:割礼なしで救われたテトスを一緒に連れて行ったところからもわかるように、パウロたちは、これまで異邦人に「キリストを救い主と信じるだけで救われる」と伝えて来ましたが、それが正しい福音であることをエルサレム教会の主要メンバーたちに説明するために出かけました。なぜならば、エルサレム教会の中に、パウロがイエスさまから異邦人伝道の使命を受けていた使徒であることを認めていなかった信徒たちがいたからです。また、エルサレム教会の中にも「割礼を受けないと救われない」と教える偽の兄弟たちが潜りこんでいたからです。
3.エルサレム会議の結果:そこでパウロたちを交えて開かれた会議が「エルサレム会議」です(使徒15章参照)。その結果、1)パウロは、間違いなく、異邦人伝道に遣わされている使徒であることが認められました(7、8節)。このことは、パウロが伝えていた福音が他の使徒たちと同じであることをエルサレム教会が認めたことでもありました。当然、テトスが割礼を強いられることもありませんでした。 2)パウロは、エルサレム教会のおもだった人たち(ペトロ、ヨハネ、ヤコブ)から受け入れられました(9節)。このことは、互いに祈り合いながらキリストの福音を世界中に伝えていくとき、パウロにとって大変心強いことでした。この様にして、ペトロたちはユダヤ人伝道に、パウロたちは異邦人伝道に行くことになりました。 3)愛の業を忘れないように(10節)。貧しい人たちへの援助を続けることが確認されましたが、これもパウロが既に実践していることでした。
4.真理に留まり愛の業を:私たちも、1)救われるのは、ただイエス・キリストを「救い主」と信じるだけです。そこからキリスト信仰者の新しい人生が始まります。救われた後は、主を愛する思いから、聖書に示されている教えに従うことを願い出ましょう。そこに、2)キリストにある「自由」があります。そして、3)貧しい人たち他、隣人の必要を満たす愛の業に励みましょう。
(参考聖書箇所:ヨハネ8章31~32節、使徒15章、ローマ10章9節、Ⅰコリント16章1節、ガラテヤ5章1節、6節)
2019年2月17日主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上12章21~33節
メッセージ 『主の言葉に聞いて従った南ユダ』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.聖書は人を正すのに有益な書:聖書には、イスラエルの民の歴史にしてもイエスさまの弟子たちの様子にしても、良いところだけでなく、書き残したくない様な事実も記録されています。この点からも、「すべて神の霊の導きの下に書かれ」た誤りなき神の言葉と信じて間違ないと言えます(Ⅱテモテ3章16~17節参照)。そこで私たちも聖書に記されている先人の様子から教訓を学ぶことが大切です。
2.御言葉に従ったレハブアム(21~24節):ヤロブアムが北の10部族の王に立てられたことを知ったレハブアムは、18万の兵を召集して北と戦って民を取り戻そうとしました。ところが、預言者のシェマヤに「上って行くな。あなたたちの兄弟イスラエルの人々に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ。」(24節)と神様からの御言葉がありました。これを聞いたレハブアムと民は、ここに従い、エルサレムに帰っていきました。
御心に沿わない決断をするところもあったレハブアム王でしたが(列王記上12章1~20節参照)、ここでは御言葉をしっかり聞き、そして従っています。私たちも不十分な者にすぎませんが、御心を知らされたならば、従いましょう。そこに、祝福があります。
3.ヤロブアムの罪(25~33節):一方、北の10部族から王に立てられたヤロブアムは事前に預言者アヒヤから御心と祝福の約束が与えられていたにもかかわらず(列王記上11章38節参照)従わず、自分で考えて以下の様な罪を犯しました。
1)金の子牛を造り民に拝ませた罪(28~29節)=彼は、わざわざエルサレムまで民が年に三度礼拝しに行く必要はなくなると言い、ダン(北)とベテル(南)にひとつずつ置きました。これは、民を主の掟から離れさせ、偶像礼拝をさせることでしたから、「罪の源」(30節)でした。
2)レビ人以外から祭司を任じた罪(31節)=祭司には、レビ人が立つように、モーセの時代に神様は掟で定めておられました。しかし、彼は、この定めに背き、レビ人以外からも祭司を任命しました。さらに志望する者の中からも任じました。
3)かってに祭りの日を定めた罪(32~33節)=本来第7の月に行う様に定められていた祭り(礼拝)を彼は第8の月にしました。そのうえ、祭司ではないにもかかわらず、自ら祭壇に上り、香をたきました。
4.ヤロブアムの的外れ:25~33節からは、一見、民主的な国の運営をヤロブアムがした様にも読みとれます。ですが、それが御心に反しているならば、神様からは「罪」と見なされます。しかも彼の本心は、民がレハブアムに戻ることを恐れ、自分に引きつけることが目的でした。いくらよく考えたとしても、自己中心の思いでは、御心からは逸れるばかりです。結局、彼は、「ネバトの子ヤロブアムのすべての道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪」と繰り返し語り伝えられることになりました(列王記上章15章34節他)。
ここを教訓に私たちも御言葉に聞いて従う歩みを願い出ましょう。特に礼拝は、便利さや効率で選ぶのでなく、体全体で献げたいものです。
(参考聖書箇所:出32章、Ⅱテモテ3章16~17節)
2019年2月10日主の日礼拝メッセージ要約
聖書 ガラテヤの信徒への手紙1章11~24節
メッセージ 『神様からの語りかけを聞いたときに』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.聖句を通して語りかけられる神様:神様からの語りかけを聞いたことはあるでしょうか?現代でも直接「御声」を告げられることはあります。ですが、いまは何といっても「誤りなき神の言葉」である聖書があります。そこで、特別な体験に限らず、私たちは聖句によって神様からの語りかけを聞くことが出来ます。そしてその語りかけを御心と受けとめ、従う者がキリスト信仰者です。また、聖句によって、日々内側もキリストに似るところへ変えられ、成長していきます。では、神様からの語りかけを聞いたとき、どの様にして間違いなく「御心だ」と確認していったらよいのでしょうか?
2.アラビアに退いたパウロ(17節):復活されたイエスさまに出会ってもらったパウロは、それまでの人生を180度変えられました。それだけでなく、使命も与えられました。それが、ユダヤ人以外の人たち(異邦人)にキリストの福音を伝える働きです。この使命を聞いた時パウロは、人々に相談する様なことはしませんでした。一人でアラビアに退き、神様と1対1の時を持ち、その使命を確認しました。おそらく、祈りによってじっくり神様と魂で交わる時を持ったはずです。彼は、旧約聖書を熟知していましたから、それらの聖句から、自分に出会ってくださった方が、預言者によって告げられていた救い主であることも確認し、さらに信仰を深めたはずです。
私たちも聖句が示されたとき、しばらく一人でその御言葉を思い巡らすことが大切です。パウロの様に人がいないところに退いて神様との時間を持つことも必要です。また、必ずしも、人がいない所に出かけていくことばかりではありません。日々の生活の中でもいつも以上に神様と交わる時間を持つことと言えます。その中で、さらに聖書から御心を確認するようにしましょう。
3.信仰の友を得たパウロ(18節):彼は、孤立したキリスト信仰者ではありませんでした。それから3年後、ケファ(ペテロ)と知り合いになろうとして、エルサレムに上りました。また、他の使徒たちには会わず、イエスさまの兄弟ヤコブにだけ会いました。これは、パウロのキリスト信仰と使命を彼らに話し、意見を聞いて確認するためではありませんでした。知り合いになり、イエス・キリストにある交わりをするためでした。
私たちにも、信仰の知り合い(友)は必要です。キリスト信仰は、神様、イエスさまと聖霊による1対1の霊の交わりですが、孤立するのではありません。やはり、どこかのキリスト教会に属し、教会の頭であるイエスさまと集められている群に仕えることが必要になります。その中で、祈り合う友を得たいものです。健善なキリスト信仰は、群の交わりの中で与えられます。
今週もサムエルの様に「どうぞお話しください。僕は聞いております。」(サムエル上3章10節)の思いで神様からの語りかけを聞きましょう。
(参考聖書箇所:サムエル上3章10節、ヨハネ15章16節、使徒9章、〃26章、Ⅱコリント5章17節、)
2019年2月3日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上12章1~20節
メッセージ 『イスラエル王国分裂のはじめ
民の願いを聞き入れなかったレハブアム王』
メッセンジャー 田中文人牧師
人々からの意見や要望を、何を基準に聞いているでしょうか?そして、決定しているでしょうか?
1.レハブアム王の選択:ソロモン王に代って、息子のレハブアムがイスラエル王国4代目の王に即位しました。そのとき、シェケムに集まって来た北の10部族は、ソロモン時代の重税と徴用を軽くしてくれるようにレハブアムに申し入れました。これを聞いたレハブアムは、ソロモンの治政の時から王に仕えていた長老と自分に仕えるようになった若者たちの両方から意見を聞きました。
長老たちは、王は民に仕える者であること、税と徴兵を軽くし、やさしい言葉をかけるならば、民はずっと王に仕えるようになると助言しました。一方若者たちは、ソロモンの時よりももっと重い税と徴兵をかすようにと助言しました。これらを聞いたレハブアムは、長老の助言を捨てて自分と一緒に育った若者たちの方に従う決断をしました。そして、三日目にやって来た民に「父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。」(13節)と言いわたしたのです。これが決定的となり、北の10部族は、ヤロブアムを王に立て、イスラエル王国は分裂していきました。
2.王の選択と神様の御心:ところで15節の後半には、「こうなったのは主の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された。」(列王記上11章31節参照)とあります。ここは、どの様に受けとめたらよいのでしょうか?
イスラエル王国がふたつに分かれることは、間違いなく神様の御心でした。レハブアムが長老の助言を受け入れ御心に沿う選択をしたとしても、別の方法でイスラエル王国をふたつに裂かれたはずです。そこでやはり、御心に沿わない選び取りをした責任は、レハブアムにあることになります。神様がレハブアムを、王国を引き裂くために用いたということでもないでしょう。神様はレハブアムの選択も許しておられ、その歴史の中で御心を進めていかれたといえます。
3.私たちの基準:人の意見や助言にはよく耳を傾けなくてはなりません。ですが、聖書に示されている基準に照らして聞くことが大切です。ある聖句が示されそこに従って決断するときも、聖書全体から天国の原則を聞き取り、その聖句の意味を受け取るようにしましょう。
例えば、今日の聖書箇所から聞き取るならば、リーダーは、メンバーを支配するのではなく、仕えることです。イエスさまは、「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。」と教えられました(マルコ10章42~44節)。そして自ら御心に従い、模範を示してくださいました。その御業が、十字架の死=全人類を滅びから救う御業です。このイエスさまを信じて従うところに、祝福が用意されています。
(参考聖書箇所:列王記上11章31節、マルコ10章45節、Ⅰペテロ5章4~5節)
2019年1月27日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 ローマの信徒への手紙16章19節
メッセージ 『神の国の民』
メッセンジャー キム ヘス長老(馬山栄光バプテスト教会)
*以下は、キム長老のメッセージを田中文人(有明キリスト教会牧師)がまとめました。
今日は、有明キリスト教会で皆さんと共に礼拝出来感謝しています。
この聖書箇所からは、私たちと、神の国の民の使命について聞き取ることが出来ます。それは、神の国の民がこの世でどの様に生きていったらよいのかということです。
1.最善を語りかけてくださる神様:神の国の民は、何といっても神様が語られることに耳を傾け、よく聞かなくてはなりません。ですが、ただ聞くだけでなく、聞いたことに従わないと神の国の民とはいえません。
例えば、私の息子(神学生)は、最近健康が優れません。父親である私は、食生活や運動についていろいろアドバイスをしました。ところが息子は、「やっている…。」と答えていましたが、実際には、していませんでした。ですから、健康が優れないままなのです。聞いていても従わなければ、改善されないことがわかります。
神様は、人間の親以上に私たちひとりひとりのことを心配してくださっています。最善の道を示してくださいますから、よく聞き、聞いたところには従いましょう。
2.悔い改めること:どの様に従うのかが、何といっても「悔い改め」です。イエスさまの第一声は、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした(マタイ4章17節)。バプテスマのヨハネも悔い改めるように叫びました(マタイ3章2節)マタイによる福音書をまとめると、「悔い改め」がテーマといえます。
3.「全世界に行って…」(マルコ16章15節):悔い改めは、「変わる」ことです。どの様に変わるのかが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」です。
この御言葉に示されて馬山(マサン)栄光教会では13年前から毎年世界中にミッションティームを送り出しています。今年は30名以上の青年たちが3カ月前から準備をして、日本に遣わされました。私は13回全部に参加し、今回は9名(男5名女4名)で昨日から今日、有明教会で奉仕しています。
4.「あなたがたの従順は皆に知られています」(ローマ16章19節):「変わること」は、御心に従順であることです。神様の御心は、失われた魂が救われることです(ヨハネ3章16節)。私の母は私がイエスさまを信じて救われた時、雲の上を歩いている様な喜びに満たされました。私も20年以上救いを祈っている友人がいます。
日本では伝道は難しいと聞いています。韓国でも現代では救われる魂は少なくなって来ています。キリストの福音はなかなか伝わりません。ですが、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(Ⅱテモテ4章2節)とありますから、この聖句に従って宣べ伝え続けましょう。まずは、家族や親しい友達に伝えるところからはじめましょう。神様は、人が神の国の民になることを何より願っておられます。
5.人が出来る最善のこと:キリストの福音を伝えること、それが、人が誰かのために出来る最善のことです。神様は、ひとりでも多くの魂が救われるために、イエスさまを送ってくださいました。イエスさまは、十字架で死なれ、その血によって私たちの罪を赦してくださいました。十字架から三日目に復活されました。
地上の国籍は日本と韓国とで違っても、天国では同じです。有明教会の祝福を祈っています。熊本南教会と朴牧師のことも祈ってください。
(参考聖書箇所:マタイ3章2節、〃4章17節、マルコ16章15節、Ⅱテモテ4章2節)
2019年1月20日主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上11章14~43節
メッセージ 『悔い改めて御言葉に信頼する歩みを』
メッセンジャー 田中文人牧師
今日の聖書箇所には、ソロモン王が偶像礼拝に手をかすようになった結果が書いてあります。神様は、ソロモンの罪を見過ごしにはされず、裁きを下されました。ですが、哀れみといつくしみも示されました。その両方を読み取りながら、私たちはどの様な歩みを願い出たらよいのかを聞き取りましょう。
1.3人による敵対:1)エドム人ハダド(14~22節)=彼はイスラエルの南の国エドム人の王家の血筋を引いていました。ダビデ王の時代に将軍ヨアブは、エドムの男子をことごとく打ち殺しました。ハダドは父の家臣たちと命からがらエジプトに逃れました。エジプトで彼は王の信頼を得、王の娘を妻に迎え、息子も生まれました。ところが、ダビデが死んだことを聞くと、エジプトからエドムに帰り、イスラエルを苦しめました。
2)エルヤダノ子レゾン(23~25節)=彼もダビデによって自国のツォバの民が打ち殺された時、主君の元から逃れ、仲間を集めてダマスコに行き、自ら首領になりました。そして、イスラエルを北の方から苦しめました。
3)ヤロブアム(26~39節)=ソロモンがミロを修復した時、彼はソロモンを助ける大きな働きをしました。ところが預言者アヒヤがヤロブアムと出会い、真新しい外套を十二切れに裂いて、「神様は十切れ(部族)をヤロブアムに与えられる。主の戒めにしっかり従うならば、大きく祝福される」と告げました(35、38節)。この後ヤロブアムはソロモンから命を狙われ、エジプトのシシャクのところに逃れました。
ソロモン自身は40年間王座を守り、父ダビデの信仰のゆえに裁きを受けることなく死にました。ですが神様は、王国分裂による裁きを着々と進めておられました。
2.神様の哀れみ:それは、「都エルサレムで、わが僕ダビデのともし火がわたしの前に絶えず燃え続けるように」されることに現わされています(36)。具体的には、1)ダビデの家系が続くこと。2)ダビデ家の王座が絶やされないこと。3)イスラエルへの苦しみには期限があること。4)絶えず御言葉によって民を導き続けることです。
3.救い主による全人類の救いのご計画:2)と3)は、約1千年後に人の姿をとってこの世に来てくださった御ひとり子イエスさままで繋がっています。イエスさまは、ダビデの家系からお生まれになりました。また、救い主の到来によって、神の国の福音が伝えられました。ですから、イエスさまを「救い主」と信じるならば、苦しみからも解放されます。苦しみの期限も、イエスさまが来られるまででした。
4.御言葉に聞き従う歩みを:同じ神様はいまも生きて働いておられます。私たちの背信も見過ごすことはされません。ですが、悔い改めてキリストを信じる者には、十字架の血による赦しと永遠の命の約束を与えてくださいます。感謝のうちにイエス・キリストによる救いを受け取り、日々罪を悔い改め、御言葉に従う歩みを願い出ましょう。ダビデとソロモンの違いもそこにありました。
(参考聖書箇所:詩編51編12節、〃119編105節)
2019年1月13日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 ガラテヤの信徒への手紙1章1~10節
メッセージ 『どのような時に怒りますか?』
メッセンジャー 田中文人牧師
今日から新約聖書は、ガラテヤの信徒への手紙です。中心聖句は、「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」(2章16節)です。私たちもキリスト信仰の原点に立ち帰って、キリストの弟子の歩みをはじめ直しましょう。
1.手紙の目的:パウロがこの手紙をガラテヤ地方(トルコ中央部)のキリスト信仰者たちに書き送ったAD50年代には、既に救いについて違うことを伝える人たちがいました。彼らは、救われるためには、イエス・キリストを「救い主」と信じるだけでは不十分であり、割礼も受けなくてはいけないと主張していました。イエスさまの処女降誕についても否定していたといわれています。せっかく救われたガラテヤの信徒たちがこの様な違う主張に流がされないために、パウロは、もう一度真理を知らせる必要を感じこの手紙を書き送りました。
もうひとつの目的は、パウロが「使徒」であることをはっきりさせるためです。確かに彼はイエスさまの直弟子ではありませんでした。十字架と復活の目撃者でもありませんでした。ですが、復活されたイエスさまに出会ってもらい、人々(特にユダヤ人以外の異邦人)にキリストを紹介し福音を述べ伝える使命を受けていました。それが今日の1節「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、」です。
2.パウロの怒り:ところで、パウロは、この手紙をいまから2000年前の形式に則って、差し出し人と受け取り人を記すところから書き始めてはいます。ですが、他の手紙にある様な受取り人を神様に感謝する文面はありません。すぐに本論に入っています。しかも、「あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。」(9節)と「呪われるがよい」を8~9節で2度繰り返しています。パウロの怒りが伝わって来る書き方です。彼は、やはり違う福音が伝えられていたことに対して怒りを感じていました。
私たちも怒ります。怒りも感情のひとつですから、怒らなくてはならないことに対しては怒る方が健全といえます。特に、救い主イエス・キリストについて、福音について、救いに関することで違うことが言われているときには、怒らなくてはなりません。また、神様が神様とされていないことに対しても怒りを感じるのが健全です。ですが、怒りは御霊の実ではなく、肉の業に挙げられています(ガラテヤ5章19節参照)。
3.怒りを主に委ねたパウロ:「呪われるがよい」の直訳は、「神の怒りに渡されよ」です。パウロは強く怒りましたが、それを違う福音を伝えていた人々に向けるようなことはしませんでした。間違った福音を放っておくことなど決してされない神様ご自身に委ねたのです。
私たちも怒ったときは、神様に祈って委ねましょう。人々や社会に対しては、キリストにある愛をもって善を行なうことを願い出ましょう。そして、「日が暮れるまで怒ったままでい」ないようにしましょう(エフェソ4章26節参照)聖霊の助けと導きは必ずあります。
(参考聖書箇所:ルカ19章46節、ローマ1章18節、〃12章17~19節、ガラテヤ2章16節、〃5章20節、エフェソ4章26節、)
2019年1月6日
主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上11章1~13節
メッセージ 『偶像から離れ、イエスさまに従う一年を』
メッセンジャー 田中文人牧師
2019年がはじまって今日は六日目です。正月休みも終わり、そろそろ日常の生活に戻りつつあるかと思います。この一年、神様からの約束をいただき、それを板に書き、神様が実現してくださるよう祈りましょう(ハバクク2章2~4節参照)。
何より今年も主の日の礼拝を生活の真中に据え、礼拝から主の栄光を現わす歩みに遣わされましょう。とはいっても1年52回、全部出席出来ないこともあります。その時は、補うようにしましょう。有明教会では希望してくだされば平日にも礼拝いたします。
1.偶像に手をかすようになったソロモン:ソロモン王時代のイスラエル王国は絶頂期を過ぎ、衰退していきました。その原因は、ソロモンが晩年、偶像礼拝に流れていったからです。彼自身は偶像を拝まなかったかも知れません。ですが、妻と側室、計1000人が要求した自分たちの国で拝まれている神々を礼拝するための場所をつくりました(7節)。偶像礼拝はもちろんのこと、そこに手を貸すことも神様は受け入れられません。
2.ソロモンの弱さ:王に即位した時には、「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」(列王上3章9節)と主の知恵だけを願ったソロモンが、なぜ偶像に流れていったのでしょうか?それが、彼女たちを愛し「とりことなった」からです(1、2節)。外交政策のためだけに計1000人もの妻と側室は必要なかったはずです。ソロモンには性愛の面で「弱点」があったといわざるを得ません。
3.主の裁きと哀れみ:そこで神様は、イスラエル王国をふたつに裂き、ソロモンの家臣に与えると告げられました。これが「裁き」です。偶像を拝むことがないように神様は民がカナン地方に入る時から掟を与えておられました(出エジプト記、レビ記、申命記参照)。ソロモンにも2度にわたって警告しておられました(9節)。それにもかかわらずソロモンが神様に聞かなかったからです。
ですが、王国を分裂するのは、ソロモンの時代ではなく、息子の時代であると言われました。それは、父ダビデの信仰のゆえです。ここに神様の哀れみが現わされています。また、滅亡ではなく、分裂で留められたことも主の哀れみにほかなりません。神様は偶像に対しては厳しく裁きを下されますが、同時に哀れみも示されるお方です。
4.誘惑に勝利されたイエスさまに信頼して:サタンは、私たちの弱さに忍び寄り、偶像に誘惑して来ることがあります。イエスさまも公生涯をはじめられる前、40日間荒野で断食された時、サタンから三度にわたって誘惑されました。ですが、三度すべてに聖書の御言葉によって打ち勝たれました(マタイ4章、ルカ4章参照)。
私たちにとって偶像とは何でしょうか?目に見える物にしろ、形がない事柄にしろ、内側の思いにしても「これだけは離せません…。」ということと言えます。そこから離れることは私たちの力では出来ません。どこが弱いところなのか、そこをしっかり把握するところからはじめましょう。その弱点にサタンが近付かないよう、聖霊の働きを願いましょう。そして、すべての誘惑に勝利されたイエスさまに信頼し、従う歩みを願い出ましょう。
(参考聖書箇所:サムエル下10章12節、Ⅱコリント12章9節)
2018年12月30日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上10章14~29節
メッセージ 『約束通り祝福された神様』
メッセンジャー 田中文人牧師
今日は、2018年最後の主の日(日曜日)礼拝式です。この一年、神様からどれだけ多くの恵みをいただいたでしょうか?それらを数えて感謝のうちに、新しい年に向かいたいものです。
1.絶頂期にあったイスラエル王国:ソロモン王の知恵は、いまから約3000年前のイスラエル周辺諸国に伝わりました。そこでその知恵を確かめるために各国から大勢の人々がソロモンのところにやって来ました。彼らは多くの貢物を持って来ましたから、それだけでもイスラエルには多量の富が入って来ました。またソロモンは、通交税を課しましたので、その分のお金も得ることになりました。絶頂期には、年に金で22㌧にも及ぶ富で満されました。その決果、「ソロモン王は世界中の王の中で最も大いなる富と知恵を有し」ました(23節)
2.富の源:この様な莫大な富を得ることになったのは、ソロモンが知恵者であり、賢く国を運営したからということだけではありません。そもそも彼の知恵そのものは、神様から与えられていました。ソロモンは、王座に着いた時、富や長寿ではなく、多くの国民を正しく治める「心」を神様に願いました。このことが御心に適い、神様は彼の願い通り、民の声を聞き分ける心と治める知恵を与えてくださいました。そして、それらに加えて彼が願わなかった富も約束されたのです。この約束を神様は確実に果してくださいましたから、これだけの富が国内にもたらされ、栄華を極めることが出来たと言えます。
私たちにも神様は、約束されたことは確実に実現してくださいます。一年を振り替えるとき、「よかった!」「悪かった!」と言いますが、その基準は何でしょうか?キリスト信仰者の基準は、神様から与えられた約束が実際に与えられたかどうか、その約束に従って私たちが歩んだかどうかです。その基準でこの一年を振り返り、恵みを数えましょう。
3.ソロモンの富の用い方:一方ソロモンはどの様にこれら莫大な富を用いたでしょうか?1)大盾と小盾を金でつくり、レバノンの森の家に置きました。(16~17節) 2)象牙の大きな王座を作り、これを精錬した金で覆いました(18節)。 3)飲食に使う杯や皿も金でした(21節) 4)多くの戦車と騎兵を持ち、各地に配置しました(26節)
1)~3)は、本当に必要な金の使い方だったといえるでしょうか?「ソロモンは、エルサレムで銀を石のように、レバノン杉をシェフェラのいちじく桑のように」使いました(27節)。「いちじく桑」は質がよくない木材だったと言われています。つまり、金も銀も価値が下がることになりました。何より、4)の様に、ソロモンは富を軍備のために使いました。
富(お金、経済)第1、軍備優先に走るとき、その国は弱体化していくことになります。ですから、この時が絶頂期で、11章以下は、衰退していったソロモン王とイスラエル王国の記録になります。
4.私たちが願う富:イエスさまは、「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。」と言われました。(マタイ6章20節)お金や富それ自体が悪いのではありません。私たちの心がどこにあるかが問題です。心が富に執着しているならば、祝福からは遠くなります。一年を終え、来年を望み見るこの時、「天に富を積むこと」について、御言葉から聞き取りましょう。そして、御心に適う願いと祈りをする中で、新年を迎えましょう。
(参考聖書箇所:申命17章16~17節、マタイ6章19~21節、Ⅰテモテ6章17~19節、Ⅰヨハネ5章14~15節、)
2018年12月23日 主の日(クリスマス)礼拝メッセージ要約
聖書 ヨハネの手紙Ⅲ 1~15節
メッセージ 『クリスマスを感謝して
イエス・キリストにあって善を行ないましょう』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.救い主の誕生:クリスマスは、イエス・キリストがこの世にお生まれになったことを感謝し祝うときです。「イエス」は「主は救い」、「キリスト」は、「救い主」という意味の称号(呼び名、肩書)です。「クリスマス」の「マス」は、ミサのことで、礼拝です。そこで、救い主を礼拝することが、何よりのクリスマスのお祝です。
2.私たちを救うために:イエスさまは、永遠のはじめから創造主であられる神様と共におられました。創造の御業にもかかわられた神様と等しいご性質です(コロサイ1章15節参照)。その様なお方がなぜ人と同じ姿でこの世に来られたのでしょうか?
はじめの人アダムとエバは、蛇の姿をしたサタンの誘惑に負け、「食べてはならない。」と神様から命じられていた善悪を知る木から実を取って食べてしまいました。このときから人には神様が言われることに聞き従えない罪(的外れ)が入ってしまいました。そのままでは、永遠に神様がおられないところに定められるしかありません(滅び)。
しかし神様は、その様な人を何とかして救おうとされ、旧約時代のイスラエルの民には律法を与えられました。ですが人は律法を守れませんでした。
そこでついに神様は、御ひとり子イエスさまをこの世に送られ、人の身代りの死に引き渡されました。それが、イエスさまの十字架の死です。イエスさまは、十字架の上で流された尊い血で全人類の罪を買い戻してくださいました。死から三日目には死者の中から復活され、死にも打ち勝たれました。その後弟子たちが見ている前から天に引き上げられ、いまは神様と等しいところから私たちを見守り、祈りを神様に取次いでくださっています。聖霊なる神様を送って助けてくださいます。そしてもう1度この世に来られ、悪を裁き、完全な天を実現されます。それまでに死んでいた人を復活させ、生きている間にイエスさまを信じていた人を天に迎え入れてくださいます。
イエスさまは人と神様、人と人との関係を回復する道を開いてくださいました。いまの私たちは、イエスさまを「私の救い主」と信じるだけで、誰でも救いの恵みに与ることが出来ます。永遠の命の約束まで与えられますから、最大の課題である死も解決されます。永遠の命の約束の中を自由に生きて行くことが出来ます。
3.ガイオとディオトレフェス:イエスさまは、人の魂を滅びから永遠の命に救い出してくださるだけでなく、闇のこの世からも救い出してくださいました。そこで救いの恵みにあずかったキリスト信仰者は、この世にキリストの光を放つ働きに用いられます。それが、真理に生きること、神様の目から見たときの「善」を行なう歩みです。今日のヨハネの手紙Ⅲでは、この手紙の受取り人ガイオが、イエスさまのことを命がけで伝えていた巡回伝道師たちを心からもてなし必要を満たして送り出していた事を伝えています(5・6節)。一方、ディオトレフェスは、指導者になろうとし、ガイオの悪口を言っていました。
4.善を見倣う歩みを:私たちもガイオのように真理に生き、「善いこと」のために用いられるよう聖霊の助けを願いましょう。宣教師や伝道旅行をしている旅人をもてなすことをはじめ、聖書からイエスさまがどの様な歩みをされたのかを読み取り、そこに従いましょう。ディオトレフェスのように自分が頭になることではなく、教会に、家庭に、社会に仕えましょう。 (参考聖書箇所:マルコ10章45節、ルカ2章1~7節、他)
2018年12月16日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上10章1~13節
メッセージ 『神様をほめたたえたシェバの女王』
メッセンジャー 田中文人牧師
今日の箇所には、イスラエルの国が第3代目の王ソロモンの治政に最も栄えていたときのことが書いてあります。ソロモンが大変な知恵者であることは、周りの国々に伝わっていました。そこで、それらの国から彼の智恵を確かめるために、多くの人たちがエルサレムにやって来ました。
シェバの女王も、その一人でした。彼女は多量の金と宝石、それに香料をソロモン王に贈りました(10節)。知恵を確認するだけでなく、これほど栄えているイスラエルとは、友好関係を結びたいという思いもあって、訪ねて来たと思われます。
1.シェバの女王の驚き:1)まず、聞き及んでいた以上にソロモンが知恵者であることに驚きました。女王は、予め考えて来た多岐にわたる質問を浴びせかけましたが、ソロモンは箴言やコヘレトの言葉(伝道者の書)等、いまの聖書の聖句を根拠にすべて答えました。ソロモンの知恵が神様を恐れるところから来ていたことを知らされ、驚いたのです。 2)ソロモンが建てた神殿に驚きました。建物が御心に適っており、神様に献げられていたからです(5~8章参照)。 3)料理に驚きました。食卓に並ぶ量も、他の国とは比べものにならなかったからです。 4)家臣のもてなしに驚きました。丁重だっただけでなく、神様の秩序に従って働き、神様に仕えていたからです。 5)動物の献げもの(礼拝)に息も止まる程驚きました。その量もさることながら、何よりソロモンが心からの礼拝を献げていたからです。
この様に驚いたシェバの女王は、「あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。」(9節)と神様を讃美するところにまで導かれました。
2.伝道と証し人に用いられるために: 1)神様の知恵に生かされる歩みを:いまの私たちにとって何よりの知恵は、イエス・キリストです。聖書からイエスさまを読み取り、知らされたイエスさまが歩まれた道に私たちも従うよう、聖霊の導きを願いましょう。2)秩序ある交わりを:神様は無秩序ではなく、秩序あるお方です。キリスト教会でもクリスチャンも赦し合います。ですが、無秩序に赦すのではありません。注意するところがあれば指摘し、受け入れ合いましょう。その様にして少しずつ整えられる群がキリスト教会であり、キリストに似るところに近付けられていくクリスチャン人生です。3)心からの礼拝を:創造主を恐れる思いから献げる礼拝、罪を認め十字架の血による赦しを受ける礼拝、赦された感謝と喜びに満たされて1週間の歩みに遣わされる礼拝を私たちも願い出ましょう。
まだ聖書もイエス・キリストも知らない人々が上記の様なキリスト教会とクリスチャンに触れるならば、「この世のグループとは、どこか違う…」と感じるのではないでしょうか?神様は私たちも用いてシェバの女王が主を讃美したように、隣人も導いてくださいます。そこに信頼し、希望をもって今週も遣わされましょう。
(参考聖書箇所:箴言1章7節、マタイ6章29節、ルカ12章27節)
2018年12月9日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 Ⅱヨハネの手紙1~13節
メッセージ 『真理を基礎に愛の内を歩みましょう』
メッセンジャー 田中文人牧師
前回の奇数週に読み終えたヨハネの手紙Ⅰ(Ⅰヨハネ)に続いて今日は、同じ使徒ヨハネがエフェソからその周辺の小アジアのキリスト教会と信徒たちに書き送ったヨハネの手紙Ⅱ(Ⅱヨハネ)です。
ギリシャ語で300単語程の短い書ですので、すぐに一通り読み終えられます。すると、Ⅰヨハネとほとんど同じ内容であることに気付きます。各キリスト教会と信徒たちはⅠヨハネを読みました。ですが、反キリストの教えに惑わされず互いに愛し会うように、偶像から離れるように書かれてあった勧めにどうやら従うところには至っていなかったようです。そこでヨハネは、続けてこのⅡヨハネを書き送ったと思われます。
1.「婦人と子どもたち」:宛先の「選ばれた婦人とその子たち」(1節)の「婦人」は、特定の女性ではなく、宛先のキリスト教会を指していると受けとめられます。また「子どもたち」は、それら教会の信徒たちです(5節)。そして「あなたの姉妹、選ばれた婦人の子供たち」(13節)は、著者のヨハネが属していたエフェソの教会の信徒たちを表わしています。当時のキリスト教会と信徒たちは迫害に会っていましたので、ヨハネはこの様な表現をしたのかも知れません。
2.テーマと勧め:この手紙のテーマは、「反キリストに惑わされず、真理の内を歩むように」です。そして、互いに愛し合うよう勧められています。その「愛」は、イエスさまも命じられたアガペーの愛、自己犠牲の愛です。同じキリスト信仰者はもちろんのこと、血縁関係にある家族親類、そしてまだキリスト信仰にあずかっていない人たちまで、すべての人たちを愛するように勧められています。イエスさまが命じられた「自分の敵をも愛するように」(マタイ5章44節)。なぜならば、努力して得たものを失うことのないよう、むしろ豊かな報い(この世での祝福)を受けられるために(8節)。そこでなおさら、反キリストたちとは一線を画すよう勧めています。そうでないと、彼らに協力することになるからです(10節)。
3.:真理の内を歩むこと:この様な愛に私たちはどの様にすれば生きられるでしょうか?それが、「真理の内を歩む」ことです。それは、
1)イエス・キリストは、完全な神であり、その神ご自身が、全く人と同じ肉体を捕ってこの世に来られたお方であるところに確信をもって留まり続けることです。事実肉体をとってこの世に来られましたから、生まれながらの罪人(全人類)の身代りに十字架で死んでくださることも出来ました。ですが、完全な神様でもあられましたから、十字架の血によって人の罪を買い戻しなかったことにしてくださる赦しの御業も実現したのです。
2)イエスさまは、真理の御言葉(聖書の聖句)です。聖句に従って日常生活を生きることが、真理の内を歩むキリスト信仰者の人生です。
4.聖霊の助けを願って:この様な歩みを私たちの力や努力ですることは到底不可能です。ですが、イエスさまは、助け主、真理の御霊を私たちに送ってくださいます。その誠霊なる神様によって、「第1に神様を愛し、それと同じ様に隣人を愛するよう、祈りましょう。
(参考聖書箇所:マタイ5章44節、ヨハネ14章6~7節)
2018年12月2日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上9章10~28
メッセージ 『富国強兵にはしりはじめたソロモン』
メッセンジャー 田中文人牧師
先週の日曜日(主の日)から今日まで、日本バプテスト連盟では、今年度の「世界祈祷週」です。有明教会でもこの一週間、週報の「祈りのカレンダー」に宣教師とそれぞれの地域を挙げて祈って来ました。「世界祈祷週」は今日で終わりますが、この後の51週も折りに触れ、祈り続けましょう。そして、私たちも隣人に救い主イエス・キリストを伝えることから世界伝道に遣わされましょう。また、示されたところに従って大胆に献金も献げましょう。
1.伝道は神様の働き:「伝道」は、いうまでもなくイエス・キリスト救い主を人々に伝えることです。聖書に示されているキリストを紹介することともいえます。私たち自身がキリストと出合って救いの恵みにあずかったことを話すならば、そこに聖霊なる神様が働いてくださり、人々の魂を救ってくださいます。その視点で、伝道は、人がする業ではなく、神様ご自身が働かれる御業と言えます。人は、そこに用いられるだけです。神様は、謙遜な者たちを用いて救いの御業を行なわれます。
2.クリスチャンは、「キリストの弟子」:私たちが救われた時のことを紹介(証し)することも用いられますが、何より、聖書に示されている救い主イエス・キリストを紹介することが伝道には欠かせません。その聖書(旧新約66巻)は、「誤りなき神の言葉」です。この御言葉によって救われ、キリストの弟子になった人たちが、キリスト信仰者(クリスチャン)です。そのクリスチャンは、聖書の御言葉(聖句)に従って生きていきます。それが、師であるキリストに従うクリスチャン人生です。
3.聖句に従って生きるとは:このとき大切なことは、示された聖句がどの様な意味で語られているのかをしっかり弁えることです。そのためには、その聖句が含まれている段落の意味を聞き取り、その中で自分が示された聖句の意味を捕えることが必要です。何より、聖書全体を通して伝えられている神様からのメッセージに沿う視点でその聖句から聞き取ることが大切です。そうでないと、全く逆の意味で受け取ってしまうことにもなりかねません。そこで、ひとりで聖書を読むことも欠かせませんが、キリスト教会の群の中で聖書からメッセージを聞き取り、教友と祈り合うことがどうしても必要になります。
4.富国強兵は御心に適うこと?:今日の聖書箇所には、ソロモン王の時代に多量の金がイスラエルの国に入り、大変豊になったこと、そのときソロモンがしたこと等が書いてあります。残念ながらこの頃からソロモンは、国の富を自分のために、必ずしも必要とは思われないことのために使いはじめました(列王記上10章も参照)。そして、国を守るために軍隊を強化し、そのためにも富を使うようになりました。
5.御言葉(聖句)に生かされる人生:お金(富)そのものが悪いのではありません。与えられる分は、感謝して受け取り、神様にお返し(献金)し、必要とされていることのために用いるならば、さらに祝福されます。ですが、軍隊を強める「強兵」は天国の原則に沿いません。そこで、「ソロモンが強兵したことが聖書に書いてあるから…。」といって私たちもそこにならうことは、聖書に従う歩みとはいえません。「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」ここに従う者がキリストの弟子です。
今週も、最大限御心に沿って聖書から聞き取り、示された聖句に従う歩みに遣わされましょう。
(参考聖書箇所:マタイ8章20節、〃26章52節、Ⅱペテロ1章20~21節)
2018年11月25日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 Ⅰヨハネの手紙5章13~21節
メッセージ 『永遠の命を伝えるために』
メッセンジャー 田中文人牧師
7月8日から読み始めたヨハネの手紙Ⅰも最後のまとまりになりました。今日もしっかり聞き取り、この書を読み終え、今週の歩みに遣わされましょう。
1.キリスト信仰の確信:1)「永遠の命を得ていることを悟らせたいため」(13節)=これは、この書の中心聖句で、筆者の使徒ヨハネが受け取り人である小アジアのキリスト信仰者たちに最も伝えたかったことです。罪を認め、その許しを請うならば、どの様な罪も十字架の血で赦され、なかったことにしていただけます。イエスさまは、事実十字架から三日目に復活され、死にさえも打ち勝たれ、私たちの復活の初穂(第1号)になってくださいました。このイエスさまを「私の救い主」と信じているならば、誰でも永遠の命の約束が与えられています。そこにしっかり確信を持つように、ヨハネは励ましています。
2)「御心に適う祈りは必ずかなえられる」確信(14節)=ここで「確信」と訳されているギリシャ語には、神様に何でも遠慮なく語ることが出来る自由さという意味があります。創造主、父なる神様に何でも申し述べる自由が与えられています。これ程感謝な神様との対話は他にあるでしょうか?
ただし、御心に適う内容の祈りが聞かれ、実現されます。その内容が「死に至らない罪を犯している」人たちの祈り(16節)=聖霊を冒涜していない人たちのための祈りです。
キリスト信仰に確信を持つことと、いま自分が至っている信仰を絶対化することとは違います。私たちは生かされている間、完全になることはありません。イエスさまのことも、聖書の内容もすべてを知り尽すことは出来ません。その点では、日々示された罪は悔い改め、新しくつくり変えられる必要があります。「聖書は誤りなき神の言葉」を土台にした研究の成果は、取り入れていくことも大切です。ですが、上記の信仰の確信は、何があっても揺らいではなりません。
2.「わたしたちは知っています」(18~20節):上記に確信を持つと言っても難しさを感じるかも知れません。そこでヨハネが18~20節で3回繰り返している「私たちは知っています」によく耳を傾けましょう。
1)クリスチャンは罪を犯さないこと(18節)=こう言われると、ますます難しさを感じるかも知れません。ですが、ここは、この世のあらゆる誘惑にも打ち勝たれたイエスさまが、いつも共にいてくださるので、悔い改めるならばすべて赦され、誘惑からも守られるという意味です。
2)この世全体は悪いものの支配下にあること(19節)=イエスさまを信じたときからキリスト信仰者は天国に属する天の住民です。ですが、生きている間は罪のこの世に遣わされています。イエスさまが守ってくださるところに感謝しながら、主の栄光を現わす歩みを願い出ましょう。
3)真実な方を知る力を与えてくださっていること(20節) = 聖書を聖霊の導きを願って読むとき、御言葉を通して救い主を知ることが許されます。
今日からの一週間、日本バプテスト連盟では「世界祈祷週」です。この永遠の命を伝えるために各地に遣わされている宣教師とご家族、それらの地域のために祈り、献げましょう。偶像から離れるところにこそ(21節)祝福があります。
(参考聖書箇所:マルコ16章15節、ヨハネ17章3節)
2018年11月18日 主の日礼拝メッセージ要約
聖書 列王記上9章1~9節
メッセージ 『ソロモンの祈りを聞いてくださった神様』
メッセンジャー 田中文人牧師
1.ソロモンの祈りに答えてくださるために現われた神様:神殿奉献の祈りを終えたソロモンに神様は、再び現われてくださいました(1回目は、ソロモンが王に即位した時です[列王上3章参照])。彼の祈りは、「夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。…この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。」です(列王上8章29節)。
2.神様の答え:1)神殿は聖別される所=神殿はやはりただの建物ではありません。神様によってこの世から聖別された所です。
2)御名が置かれる所=聖別されるだけでなく、神様がご臨在され、愛といつくしみあわれみで満ちている場所、そこが神殿です。
3)ソロモンの王座の存続=父ダビデに約束された通り、ソロモンの王座も祝福されます。(Ⅱサムエル7章14節参照)。ですが、それは、ソロモンがダビデのように律法に従って主の道に歩むならば、です(5節)。
4)主の道に歩まないときの警告と預言=もしも律法に従わず偶像を拝むようになるならば、主を知らない外国から攻められ、捕え移され、それらの国民から嘲られてしまいます。残念ながらこの後のイスラエルの歴史は、この預言通りに進んでしまいました。
3.キリスト教会も主の御名とあわれみで満ちているところ:いまのキリスト教会の礼拝にも神様はご臨在しておられます。御名が置かれ、あわれみで満たしてくださっています。私たちは、このことをどれだけ意識し、感謝しながら、毎回教会に体を運んで礼拝しているでしょうか?自分の罪がイエスさまの十字架の血によって赦されたことを感謝する時、神様が喜ばれる心からの礼拝に導かれます。御名を讃美し、いつくしみとあわれみに感謝する思いに満たされます。示されている罪はすぐに認め、主の前に告白しましょう。どの様な罪(的外れ)でも、イエスさまは全部買い戻してくださいます。
4.御言葉をそのまま実行すること:4節の「…あなたに命じたことをことごとく行い」の「行ない」は、新改訳聖書(3版)では、「そのまま実行する」と訳されています。示された聖句をそのままやってみるところに、神様の祝福があります。イエスさまの弟子のペテロたちは、夜通しガリラヤ湖で漁をしても何も取れなかった時、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」とイエスさまから言われました。ペテロたちは、この御言葉に従って実際に網を下してみました。すると船が沈む程の大漁が与えられました。(ルカ5章参照)
御言葉を「そのまま」といっても、ある聖句を「文字通り」ということばかりではありません。その聖句が含まれている最低1段落の中でどの様な意味で告げられているのかをよくよく聞き取る必要があります。そのうえで、その意味に従って日常生活の中でやってみることです。今週も御言葉をやってみる一週間に遣わされましょう。そして、その感謝と喜びを次回の礼拝で分かち合いましょう。主は生きて働いておられます。
(参考聖書箇所:Ⅱサムエル7章14節、詩編51編17節、〃119編169節、ローマ3章10節)