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有明キリスト教会ブログ--今週の聖書の言葉
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日本バプテスト連盟 有明キリスト教会 主日礼拝「宣教」要約
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 『裁きとあわれみの神』

2017/06/11 17:53
2017年6月11日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第12章15節後半〜31節 
メッセージ  『裁きとあわれみの神』
メッセンジャー  田中文人牧師

 「旧約聖書に示されている神様は裁きの神」「新約聖書に示されている神様は愛の神」と受け取っているところはないでしょうか?キリスト信仰の神は、ただ一人(唯一様)です。そのご性質は、愛と慈しみであると共に、裁き主でもあられます。つまり旧約聖書にも愛と慈しみのご性質は表わされており、新約聖書にも裁き主のご性質が表わされています。

 1.自らの罪の刈り取りをしたダビデ:預言者ナタンからバト・シェバとの姦淫の罪と、彼女の夫ウリヤを戦死させた罪を指摘されたダビデは、すぐに悔い改めました。神様は、ナタンによって赦しを宣言され、ダビデの罪は赦されました。ですが、その刈り取りは、やはりしなくてはなりませんでした。それが、ふたりの間に生まれた息子の死でした。このことをダビデはどの様に受けとめたでしょうか?

 2.心を注ぎ出して祈ったダビデ:ナタンが告げた通り、息子は瀕死の病に罹りました。この時ダビデは、その子のために断食し、引き籠って七日間、周囲の者たちが心配するほど真剣に祈り続けました。この時ダビデは、ただ息子の癒しを願ったのではありませんでした。いま一度自らの罪を悔い改める中で、心を注ぎ出し、神様と人格で交わったのです。

 3.祈りの結果を受け入れたダビデ:彼の必死の祈りの結果は、ナタンが告げた通り、息子の死でした。ところがダビデは、息子の死を知ると、礼拝をし、着物を着替え、食事を取りました。喪に服すのでなく、日常の生活に戻ったのです。周りの者たちは大変驚きました。彼がこの様に出来たのは、息子の魂は確実に主の御もとで安らいでおり、ダビデもいつか同じところに行き、再会出来るところに希望が与えられていたからです。
 上記2.と3.は、やはり信仰の人ダビデの姿です。私たちも祈る時には、心を注ぎ出し、人格で主と交わりましょう。キリスト信仰の祈りは神様との対話です。その祈りの結果、願った通りにならないこともあります。ですが、それで神様は私たちを見捨てられたのではありません。心から主と交わろうとする者には「万事を益」にしてくださいます(ローマ8章28節)。そこに信頼し、さらに祈りましょう。

 4.主の慈しみ:神様はダビデとバト・シェバの間に、4人の子どもを与えられました。その一人がソロモンです。この息子を主は愛されナタンによってエディドヤ(主に愛された者)とも名付けられました。また、ラバとの戦いの勝利を将軍ヨアブの手柄ではなく、ダビデのものにされました。後継ぎが与えられ、周りの国に勝利したことは、イスラエルの国の王ダビデにとっては、神様からの大きな慈しみであり恵みでした。
 このダビデの家系から救い主イエス・キリストがお生まれになりました。全人類を救う神様のご計画と愛は、人には計り知れません。この愛に感謝して、今週も主の栄光を現わす歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:マタイ18章14節、Tヨハネ1章9節〜2章6節)
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『全く自由に何の妨げもなくローマで伝道したパウロ』

2017/06/04 16:30
2017年6月4日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     使徒言行録(使徒の働き)第28章17〜31節 
メッセージ    『全く自由に何の妨げもなくローマで伝道したパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日は、今年のペンテコステです。2000年前、約束の聖霊が使徒たちの上に降り、そこから彼らは全世界に遣わされ、イエス・キリストが救い主であられることを伝えていきました。
 ところで、いまの私たちもキリストを「私の救い主」と信じた時から同じ福音を伝える働きに遣わされます。このように聞くと、「いまの私の状況では…」と言いたくなるかも知れません。果たしてそうでしょうか?

 1.パウロの状況:ローマ皇帝に上訴したパウロは、他の囚人たちと一緒にカイサリヤから何カ月もかけ、様々な危険な体験もしながら、主の守りのもと、ローマに到着しました。そして、自費で借りた家に住みながら、裁判を待つことになりました。ですが、その家は番兵の監視付きでした。そのうえ、外出することも許されませんでした。

 2.主だったユダヤ人たちに説明したパウロ:パウロは早速三日目にローマに住んでいた主だったユダヤ人たちを家に招きました。そして、なぜ自分がローマに来ることになったのか、その経緯を説明しました。つまり、ユダヤの習慣や律法に反することも、ローマの法にふれる様なことも何ひとつしていないこと、ローマ人たちは自分を釈放しようとしたが、同邦のユダヤ人たちがそれを許さなかったこと、そのために、上訴し、ここローマに来ていること、イスラエルの民が望みをかけていることを語っているので鎖に繋がれていること…。
 この様に説明したところ、聞いていたユダヤ人たちは、次の様に言いました。エルサレムから手紙も届いていなければ、パウロについて悪い情報も聞いていない、しかし「この分派」(キリスト信仰)についてはいたるところで反対があることを耳にしている、そこでパウロが考えていることを直接聞きたい。

 3.伝道したパウロ:その後ユダヤ人たちは日を決めて今度は大勢でパウロの家にやって来ました。そこでパウロは、旧約聖書に預言されているイエス・キリストはこの世に来られ、十字架で死なれ、全人類を救う御業を実現されたこと、その三日後に死者の中から復活されたこと、このキリストを救い主と信じるだけで誰でも罪の赦しと永遠の命の約束にあずかれることを割り引くことなく伝えました。
 この福音(よき知らせ)を聞いていた人たちの反応は二分され、ある者はキリストを信じ、ある者は信じようとせず、意見は一致しませんでした。そこでパウロはイザヤ書6章の聖句を引きながら、この様な反応も預言通りであること、この神の救いは異邦人に向けられることを告げました。それでも彼らは論じ合いながら帰っていきました。

 パウロは、置かれている状況の中で、最大限出来ることをして伝道しました。私たちも状況や環境に関係なく救い主を伝える働きに用いられます。そこに期待し、ペンテコステの今日からそれぞれの場所に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:イザヤ6章9〜10節、使徒1章8節) 
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  『マルタ島で仕えたパウロ』

2017/05/28 13:00
2017年5月28日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     使徒言行録(使徒の働き)第28章1〜16節 
メッセージ    『マルタ島で仕えたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

  1.島民に迎えられたパウロたち:パウロたち計276名は、難破した船から脱出し、泳いで島に上陸しました。神様の約束通り、誰一人欠けることも、怪我をすることもありませんでした。
 上陸してみると、その島はマルタ島であることがわかりました。島の人たちは、初冬のこの時期に、ずぶ濡れで寒さに振るえていた大勢の上陸者のために、たき火をして迎えてくれました。

 2.自ら枯れ枝をくべたパウロ:パウロも囚人の一人でしたが、この時は、手足を鎖から解放され、自由に動けた様です。そこで彼は、自分でも積極的に小枝を集め、火にくべました。この様にしてパウロは、長い日数共に旅をして来て、海の難から守られた者たちが暖まるために業によって仕えました。

 3.蝮の害から守られたパウロ:ところが、パウロが枯れ枝をくべたところ、一匹の蝮が彼の手に絡みつき、ぶら下がりました。これを見た島民たちは、パウロを人殺しだと思い、「海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ」と言い出しました。
 ところがパウロは蝮を火に振り落し、何の害も受けませんでした。このこともキリストの約束通りでした(マルコ16章18節参照)。いつまで見ていてもパウロに何の変化もないので、島民たちは今度はパウロを「神様だ」と言い出しました。

 4.島の人々の病いを癒したパウロ:島の長官でプブリウスという人は、パウロとルカたちを自分の所有地に迎え、三日間もてなしてくれました。このプブリウスの父親が熱と下痢で床に就いていることを知ったパウロは、その家に行って手を置いて祈り、いやしの業を行ないましたこれを聞いた他の病人たちもパウロのところにやって来て、いやしてもらいました。

 5.ローマに到着したパウロ:この様にしてパウロたちは島の人々に受け入れられながら冬を越しました。三カ月後、再度ローマに向けて船出する時には、島の人たちはパウロたちに敬意を示し、必要な物を全部持って来てくれました。
 その後の旅は順調に進み、パウロたちは全員ローマに到着しました。ローマでは番兵付きではあったものの、パウロは、自分で借りた家に住むことが許され、何の妨げもなくイエス・キリストの福音を二年間にわたり伝え続けました。

 6.業によっても人々に仕える歩みを:パウロと聞くと、とかく「語る人」のイメージが強いのではないでしょうか?ですが上記のように彼は業によっても人々のために仕え続けました。私たちも自分がキリストの愛に生かされていることを感謝する思いから、どの様な人にでも愛を示す業に用いられることを願い出ましょう。業で仕えることを通しても、主はイエス・キリストの福音を語る機会を与えてくださいます。

 (参考聖書箇所:マルコ16章18節、使徒17章、同18章)
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『罪を取り除かれたダビデ』

2017/05/21 14:00
2017年5月21日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     サムエル記下第12章1〜15節 
メッセージ   『罪を取り除かれたダビデ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 誰かから自分の失敗や罪を指摘された時、私たちはどの様に反応するでしょうか?

 1.他人の罪には敏感だったダビデ(1〜6節):バト・シェバと姦通し、その夫ウリヤを敵の手によって殺す罪を犯してから約一年後、ダビデのところに神様に遣わされた預言者ナタンが来て、例えを語りました。その話しは、「あるところに裕福な男と貧しい男がいた。裕福な男は多くの牛や羊を持っていた。貧しい男は自分で買った雌羊一匹しか持っておらず、娘の様に大切にしていた。ある日、裕福な男のところに来客があったが、この男は自分の家畜を惜しんだ。そして、貧しい男の雌羊を取り上げて料理し、客をもてなした。」
 ここまで聞いた時ダビデは、激怒し、「その様な慈悲のない男は死罪だ!」と言いました。そのうえ、旧約の律法を適用し、「貧しい男に四倍の償いもすべきだ!」ともナタンに言いました。私たちも人の失敗や罪には敏感でよく気付くのではないでしょうか?

 2.自分の罪を指摘されたダビデ(7〜12節):そこでナタンは、「その男はあなただ。」とダビデの罪を割り引くことなく、はっきりと指摘し始めます。預言者は、この様な厳しいことも告げなくてはならない時があります。
 ナタンは、これまでダビデが神様から大きく祝福されて来たことをサウル王から追われた時も守られ、約束通り王座にまで着かせてくださったことを挙げながら話して聞かせました。それから、ダビデが欲望にまかせてバト・シェバを奪ったこと、ウリヤを戦死させた大きな罪に気付かせていきました。

 3.罪を悔い改めて赦されたダビデ:自分の大きな罪に気付かされた時のダビデの態度はやはり信仰の人でした。彼は、「わたしは主に罪を犯した。」(13節)とすぐに認めて悔い改めました。これを聞いたナタンは、「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。」とダビデの罪が赦されたことを告げました。
 ですが、それで罪の刈り取りをしなくてもよいということではありません。続けてナタンは、「しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」とバト・シェバが産んだばかりの息子の死を告げました。

 4.少しでも御心に沿う歩みを:私たちも失敗したことや罪を犯してしまったことに気付かされた時には、速やかに認めて主の赦しを請いましょう。私たちには、イエス・キリストの十字架の血による赦しの道が差し出されています。自分を守ろうとするならば、新たに的を外すことになりかねません。神様は、私たちに永遠の命を与え、ご自分のところに迎えようと招いてくださっています。この主の愛に感謝し、示された的外れ(罪)は悔い改めて十字架の血による赦しをいただきましょう。今週も少しでも御心に沿う歩みを願い、主の栄光を現わす歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:出エジプト22章1節、マタイ7章7節、ガラテヤ6章7〜10節)
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『約束に信頼して主を仰ぎ見続けたパウロ』

2017/05/14 18:30
2017年5月14日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第27章27〜44節 
メッセージ  『約束に信頼して主を仰ぎ見続けたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日は、「母の日」です。母を与えてくださった神様とそれぞれの母に、そして教会の母親の働きをしている女性方に感謝しましょう。有明教会では、女性会の姉方に感謝し、「祝福祈祷」をいたします。

 1.人を用いて御心を実現される神様:唯一生きて働いておられるキリスト信仰の神様は、ご計画を人に告げ、実現されます。その時、人を用いられます。そこで、人も知恵を働かせ、最善を尽して努力することが大事になります。
 2.パウロに示されていた主のご計画:パウロには、「エルサレムでイエス・キリストを証ししたように、ローマでも証しする」ご計画が示されていました(使徒20章11節参照)。ですが、ローマに護送される途中、船は嵐に巻き込まれ、漂流し、命すら危険な状況に見舞われました。そのような時、パウロは改めて確実にローマまで行く御告げを聞き取りました。それは、パウロだけでなく、一緒に船に乗っている計276人全員、「髪の毛一本失われることはない」という約束でした。
 3.船員の逃亡を止めたパウロ:漂流してから14日目の夜になり、船はどこかの陸地に近か付いていることがわかりました。そこで船員たちは海の深さを計り、座礁を避けるために、碇を降ろしました。
 この様にして夜が明けるのを待っていましたが、船員たちは碇を降ろすふりをして小船を海に降ろし、逃げ出そうとしました。これを見つけたパウロは、百人隊長と兵士たちに彼らがいないと助からないことをいち早く伝えました。これを聞いた兵士たちは、小船の綱を切って流れに任せました。神様はパウロの機転をきかせた行動も用いられました。
 4.食事を勧めたパウロ:次にパウロは、神様が全員無事にローマまで到着出来る約束をパウロに告げられたことを話し、元気を出し、上陸に必要な体力を回復するために食事を取る様に勧めました。そして自ら進んでパンを裂き、主に感謝して食べ始めました。この様にして276人全員が食べて元気を取り戻しました。
 5.泳いで上陸したパウロたち:朝になり、陸地と砂浜のある入江が見えました。そこに船を乗り入れようとしましたが、船首が砂にめり込み、ついに座礁してしまいました。兵士たちは、囚人たちが逃げることを恐れ、殺す計画をたてはじめました。ですが、百人隊長は、パウロを助けたいと思い、泳げる者は泳ぎ、泳げない者は板切れや船員につかまって陸に向かうように命じました。この様にして約束通り、一人も欠けることなく、パウロたちは上陸出来ました。
 6.約束に信頼し最善を尽す歩みを:私たちにも主はご計画を告げられることがあります。しかし、順調に実現するとはかぎりません。大きな課題に直面し不安になることもあります。そこでまずすることが、常に約束を確認することです。そして、知恵を尽して最善を尽すことです。パウロの様にどこででも主を仰ぎ感謝しながら(35節)、今週も主の御心に沿う歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:ローマ8章28節、フィリピ2章12〜16節)
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『約束に信頼して主を仰ぎ見続けたパウロ』

2017/05/14 12:00
2017年5月14日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第27章27〜44節 
メッセージ  『約束に信頼して主を仰ぎ見続けたパウロ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 今日は、「母の日」です。母を与えてくださった神様とそれぞれの母に、そして教会の母親の働きをしている女性方に感謝しましょう。有明教会では、女性会の姉方に感謝し、「祝福祈祷」をいたします。

 1.人を用いて御心を実現される神様:唯一生きて働いておられるキリスト信仰の神様は、ご計画を人に告げ、実現されます。その時、人を用いられます。そこで、人も知恵を働かせ、最善を尽して努力することが大事になります。
 2.パウロに示されていた主のご計画:パウロには、「エルサレムでイエス・キリストを証ししたように、ローマでも証しする」ご計画が示されていました(使徒20章11節参照)。ですが、ローマに護送される途中、船は嵐に巻き込まれ、漂流し、命すら危険な状況に見舞われました。そのような時、パウロは改めて確実にローマまで行く御告げを聞き取りました。それは、パウロだけでなく、一緒に船に乗っている計276人全員、「髪の毛一本失われることはない」という約束でした。
 3.船員の逃亡を止めたパウロ:漂流してから14日目の夜になり、船はどこかの陸地に近か付いていることがわかりました。そこで船員たちは海の深さを計り、座礁を避けるために、碇を降ろしました。
 この様にして夜が明けるのを待っていましたが、船員たちは碇を降ろすふりをして小船を海に降ろし、逃げ出そうとしました。これを見つけたパウロは、百人隊長と兵士たちに彼らがいないと助からないことをいち早く伝えました。これを聞いた兵士たちは、小船の綱を切って流れに任せました。神様はパウロの機転をきかせた行動も用いられました。
 4.食事を勧めたパウロ:次にパウロは、神様が全員無事にローマまで到着出来る約束をパウロに告げられたことを話し、元気を出し、上陸に必要な体力を回復するために食事を取る様に勧めました。そして自ら進んでパンを裂き、主に感謝して食べ始めました。この様にして276人全員が食べて元気を取り戻しました。
 5.泳いで上陸したパウロたち:朝になり、陸地と砂浜のある入江が見えました。そこに船を乗り入れようとしましたが、船首が砂にめり込み、ついに座礁してしまいました。兵士たちは、囚人たちが逃げることを恐れ、殺す計画をたてはじめました。ですが、百人隊長は、パウロを助けたいと思い、泳げる者は泳ぎ、泳げない者は板切れや船員につかまって陸に向かうように命じました。この様にして約束通り、一人も欠けることなく、パウロたちは上陸出来ました。
 6.約束に信頼し最善を尽す歩みを:私たちにも主はご計画を告げられることがあります。しかし、順調に実現するとはかぎりません。大きな課題に直面し不安になることもあります。そこでまずすることが、常に約束を確認することです。そして、知恵を尽して最善を尽すことです。パウロの様にどこででも主を仰ぎ感謝しながら(35節)、今週も主の御心に沿う歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:ローマ8章28節、フィリピ2章12〜16節)
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『御心を損なったダビデ』

2017/05/07 12:00
2017年5月7日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第11章1〜27節 
メッセージ   『御心を損なったダビデ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 今日の聖書箇所には、信仰の人ダビデが最大の罪を犯した時の出来事が記されています。それが、有名な家臣ウリヤの妻バト・シェバとの姦淫に始まるいくつもの罪です。
 1.ダビデの罪:ダビデは、次の点でモーセの十戒に反する罪を犯したと見なされます。
1)「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(十戒の第十戒)=汚れを清めるために水浴びをしていた美しい女性が、いま最前戦で戦っている家臣ウリヤの妻であることを知った時、誘惑に任せてバト・シェバを王宮に呼び寄せました。ここから罪は始まりました。
 2)「姦淫してはならない。」(十戒の第七戒)=王権を利用してバト・シェバと床を共にしたのですから、明らかな姦淫罪に当たります。
 3)「殺してはならない。」(十戒の第六戒)=バト・シェバが妊娠したことを知るとダビデはウリヤとバト・シェバとの間の子どもにしようと策略をめぐらし、実行します。ですが、忠実なウリヤはそれに巻き込まれません。するとダビデは、ウリヤを最前戦に出して戦死させるようにと手紙を書き、本人のウリヤに持たせて将軍ヨアブのもとに帰しました。ヨアブはここに従い、ウリヤは死にました。ウリヤの死は、戦死ではなく、ダビデによる殺人です。
 2.罪の原因:信仰の人ダビデがこの様な取り返しがきかない罪を犯すことになった原因は、油断があったからと言えます。そもそもアンモンとの戦いの最中、王であるダビデが、エルサレムの王宮に残り、昼寝までしていたところに、気の緩みが現わされています。そこをサタンにつけ込まれ、次から次へと罪を重ねていくことになったのです。
 3.知恵者とは:聖書で「知恵ある人」とは、誘惑に打ち勝つ力のある人、自制心を働かせ、欲望にまかせて行動しない人のことです(『オリーブライフ』3、4月号、「ティーチングレター」参照)。ダビデは、バト・シェバを自分の妻に迎えました。戦争未亡人を引き取ったのですから、人の目からは憐み深い王と思われたかも知れません。また、ウリヤは死んでしまいましたから、自分の罪も知られずに済みました。成功者の様に見えますが、神様の目からは、「主の御心に適わなかった」(27節)のです。それは、欲望のままに行動したからといえます。
 4.誘惑に勝利されたキリストに信頼して:私たちもダビデ同様、誘惑に負けることがあります。油断は禁物ですが、常に気を張り続けることは出来ません。
 そこで目を注ぎ、信頼したいところが、救い主イエス・キリストです。イエスさまはただ一人、すべての誘惑に打ち勝たれ、御心に従い通されました。この主に信頼し、聖書と祈りを通して今週も主との交わりを続けてまいりましょう。

 (参考聖書箇所:出エジプト20章3〜17節、レビ記11章45節、ヨハネ16章33節、フィリピ4章6〜7節、コロサイ4章2節、Tペトロ5章6〜11節)
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『小事に忠実だったダビデ』

2017/04/30 20:00
2017年4月30日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   サムエル記下第10章1〜19節 
メッセージ 『小事に忠実だったダビデ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 私たちは、小さいことと大きなこと、どちらに力を入れて取り組み、忠実であろうとするでしょうか?今日の聖書箇所には、イスラエル王国第二代目の王ダビデが、ことの大小に関係なく、忠実に対応したことが書いてあります。

 1.ダビデ王の忠実さ:1)アンモンに弔問団を送ったこと=ダビデはサウル王から命を狙われていた時、ナハシュに助けてもらったことがありました。この恩を忘れず、ナハシュが死んだことを知ると、弔問団を遣わしました。
 2)辱めを受けて帰された弔問団を丁重に扱ったダビデ=ところがナハシュの息子、アンモン人の新王ハヌンは、愚かな家臣たちの意見を聞き、弔問団をスパイと見なし、彼らの髭を剃り落とし、衣服の裾も短く切って追い返しました。いまから三千年前のイスラエルの民にとって、これは大変な侮辱行為でした。このことを知らされたダビデは、彼らの髭が延びるまで、エルサレムの手前のエリコの町に留まっているように伝え、辱めを受けた彼らに哀れみを示しました。
 3)戦いの先頭に立ったダビデ=イスラエルとアンモンの関係は悪くなり、戦いが起きました。アンモンはアラムと連合軍を組みましたが、イスラエル軍に追い散らされました。ところがアンモンは諦めず、ユーフラテス川の向こうの方からも援軍を集め、なおイスラエルに向かって来ました。そこでダビデ王自ら指揮を取り、先頭に立って戦いました。その結果、イスラエルはアンモンに勝利し、先祖アブラハムに神様が約束されていたユーフラテス川の向こうの地まで得ることになりました。

 2.結果を主に委ねたヨアブ:アモン人との戦いの時、将軍ヨアブ兵士たちには、「我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように。」と言いました。出来ることを精一杯やり、結果は御心がなるように主に委ねたのです。
 ここにキリスト信仰者が生きる姿勢が表わされているといえます。私たちも、全身全霊を尽し、知恵も能力も出し切ってやれることを精一杯やり通します。そして結果は「主が良いと思われることを行ってくださるように。」と委ねます。全力でことに当たる者を主が見捨てられるはずはありません。もしも思い通りの結果にならない時も、神様には私たちにいまは理解出来ない深いご計画があるに違いないと受け入れるところに導かれます。思い通りの結果になった時も、結果は主から与えられた恵と受け止めますから、「私が頑張ったから…私の力で勝ち取った…!」という高ぶる思いからも解放されます。今週も万事を益になるように働いてくださる主に信頼して、事の大小には関係なく、全身全霊で最善を尽くし、結果は主に委ねましょう。そこに祝福があります。

 (参考聖書箇所:創世記15章18〜21節、サムエル記下7章9節、ローマ8章28節、ヘブライ3章5〜6節、黙示録2章10節)
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『主に信頼していたパウロ』

2017/04/23 12:00
2017年4月23日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     使徒言行録(使徒の働き)第27章1〜26節 
メッセージ    『主に信頼していたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日の聖書箇所には、いよいよカイサリアからローマに向けて運ばれ始めたパウロが、囚人の身でありながら、むしろ旅をリードしている様子が記されています。パウロは、生きて働いておられる主に心から信頼していましたから、この様に行動出来たといえます。

 1.百人隊長から親切に扱われたパウロ:アジア州の各地に寄航する船でカイサリアを出発したパウロたち囚人は、翌日、シドンに着きました。この書の著者ルカとアリスタルコも一緒でした。このシドンでパウロは、百人隊長ユリウスからキリスト信仰者たちと交わり、もてなしを受けることを許されました。囚人でありながら、この様なことが許されるのは、異例中の異例といえます。
 パウロは、どの様な時でもいつもと変わらず主を礼拝し、祈り主との交わりを続けていたはずです。そして、「いつも喜び…すべてのことに感謝」していたことは間違いありません(Tテサロニケ5章16〜18節参照)。その信仰に基づく生活が、百人隊長からの信頼を得ることになったといえます。私たちも心から主に信頼しているならば、ノンクリスチャンからも信用されるようになります。
 2.忠告したパウロ:その後、船は航海を続けようとしましたが、既に季節は秋に入り、航海は危険な季節になっていましたそこでパウロは、このまま航海を続けるならば、積荷だけでなく人にも危険が及ぶことを伝え、「良い港」で冬を越すように忠告しました。これまで3回も伝道旅行をしたパウロの経験が生かされたことは間違いありません(Uコリント11章25〜26節参照)。
 ですが、それ以上に、パウロは、自然界を支配しておられる神様を心から畏れていました。その信仰が、彼を忠告に押し出したといえます。
 信仰による歩みは、いつでも「行け、行け!」ではありません。特に嵐等の自然現象に対しては、それをも支配しておられる主を畏れる思いが大切です。その様な時には、身を守る行動をとることが主を畏れる信仰の歩みです。(詩編107編参照)
 3.乗船者たちを励ましたパウロ:百人隊長は、上記のパウロの忠告ではなく、クレタ島のフェニクス港まで行って、そこで冬を越したいという船主と船員たちの意見の方を信用しました。その結果、船は、「エウラキロン」と呼ばれる嵐に巻き込まれ、積荷や船具まで海に捨てなくてはならなくなりました。人々も2週間何も食べない日が続きました。
 その様な中、パウロは天使からの御告げを受けました。つまり、1)「恐れるな」2)パウロは確実にローマまで行キリストを証しする3)一緒にいる全員をパウロの手に渡す。これらのことを人々に伝え、「だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」(34節)と人々を励ましました。
 私たちも平常時に日々御言葉につながり祈る主との交わりを続けていることが、災害等の非常時にものを言うことになるのではないでしょうか?もしも被災する時、最善に導いてくださる主からの御言葉をしっかり聞き取り、周囲の人たちを励ますところに用いられるならば幸いです。イエスさまは、主を信頼する者を見捨てるようなことは、決してされません。今週も心から主を畏れ、信頼する歩みを願い出ましょう。
(参考聖書箇所:イザヤ書40章28〜31節、Uコリント11章25〜26節、Tテサロニケ5章16〜18節)
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『死者の中から最初に復活されたイエス・キリスト』

2017/04/22 07:02
2017年4月16日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   使徒言行録(使徒の働き)第26章19〜32節 
メッセージ 『死者の中から最初に復活されたイエス・キリスト』
メッセンジャー 田中文人牧師
 1.イースター(復活祭)について:イースター、おめでとうございます。イースターは、教会歴では、移動祝日です。クリスマスのように毎年12月25日と決まってはいません。春分の後の満月の直後の日曜日ですから、3月の下旬から4月25日の間になります。今年は、3月20日が春分で、その後の満月が、4月11日でした。その直後の日曜ですから、今日16日がイースターです。
 イースターは、救い主イエス・キリストが十字架で死なれてから三日目に、死者の中から事実蘇られたことを記念して祝う日です。この死者からの復活を私たちは信じているでしょうか?歴史の事実と信じられるならば幸いです。
 2.死者からの復活を宣べ伝えていたために裁判を受けていたパウロ:今日の聖書箇所には、いまから約2000年前、ローマ総督フェストゥスが、アグリッパ王とパウロが会うための場で行なわれたことが書いてあります。パウロは、なぜ自分はローマの裁判に訴えられているのか、その理由を述べています。彼は、騒動を起こしたのでも、ローマの法律に反することをしたのでもありませんでした。イエス・キリストが、十字架で死なれたこと、その三日後に死者の中から復活されたこと、この事実をエルサレムでも人々に語っていただけでした。
 パウロもこのことを信じられず、先に信じていたキリスト信仰者たちを迫害する先頭に立っていました。ところが、ある時、復活されたキリストご自身から出会ってもらい、死者からの復活が本当だったことを思い知らされたのです。その時から、キリストを迫害する者からキリストの復活を述べ伝える者に180度かえられました。ただ復活を信じて伝えているだけでなく、死に解決が与えられ、パウロ自身もキリストが再臨される時に復活し、完全な天に迎え入れられるところに希望を持って生きていました。
 3.パウロの弁明の反応:死者からの復活を聞いた時、ローマ総督フェストゥスは、パウロが博学のために頭がおかしくなっていると言いました。フェストゥスは聖書をほとんど知らなかったと思います。また、神の国の原則や価値観でも生きていませんでした。ですから、死者が復活することなど信じることが出来ませんでした。一方、アグリッパ王は、聖書のことも知っていました。そこでパウロは彼に決心をうながしましたが、ユダヤ人たちとローマ帝国との板挟みになり、「パウロは、短い時間で自分をクリスチャンにしようとしている」と言い、自分の身を守りました。
 4.復活を信じて新しい人生へ:私たちの反応はどうでしょうか?確かに復活は不思議です。ですが、同じパウロは、次の様にも書いています。「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。…もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。」(Tコリント15章14〜16節)。ですから、聖書からキリストの復活を「事実」と信じて間違いありません。また、私たちもキリストが再臨される時、復活の恵みにあずからせていただけます。そこに希望を持ってこの世を生きていけるようになりますから、キリスト信仰は、失望に終わることはありません。聖霊の導きをいただいて、事実キリストが復活されたことを信じる信仰に一歩踏み出しましょう。聖書知識や求道の長さにはよりません。「いま」と感じた時が大切です。私たち自身も復活の恵みにあずかれますから、キリスト信仰に失望はありません。
 (参考聖書箇所:ローマ10章9〜10節、Tコリント15章1〜20節)
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『約束の実現に希望を抱いていたパウロ』

2017/04/22 07:01
2017年4月9日主の日礼拝式メッセージ要約

聖書    使徒言行録(使徒の働き)第26章1〜18節 
メッセージ   『約束の実現に希望を抱いていたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 私たちは希望をもって生きているでしょうか?目標にしろ、ヴィジョン(まぼろし)にしろ、希望を持って生きることは大事です。もしも人生に希望がなくなったならば、生きていけなくなるともいわれます。その点で私たちは、いろいろなヴィジョンを望み見ながら進み続けますが、人生最大の希望は何でしょうか?

 1.感謝の内に語り始めたパウロ:今日の聖書箇所には、ローマ総督フェストゥスが設定したアグリッパ王とパウロの会見の場の様子が記されています。フェストゥスが列席者たちにパウロについて述べた後、アグリッパ王がパウロに弁明をうながしました。これを受けて彼は、アグリッパ王の前で語る機会が与えられたことを心から感謝するところから語り始めました。
 会見の場とはいっても、ローマ総督とユダヤの一部を治めていた王夫妻、それにローマの主だった高官たちの前ですから、裁判を受けているような状況です。その中でもパウロが感謝の内に語り始められたところには、彼が確実に実現する希望に望みをかけていたからといえます。
 2.パウロが望みをかけていた希望:その希望が、まさに、いま彼が同邦のユダヤ人たちから訴えられている理由=死者の復活についてでした。パウロは、生粋のユダヤ人で、しかも限格なファリサイ派の出身です。死者からの復活に望みはかけていましたが、そのことが事実、イエス・キリストによって実現したことは信じられずにいました。
 3.パウロの回心の証し:そこでキリストの復活を信じていたクリスチャンたちをパウロは捕まえて牢に入れ、迫害する先頭に立っていました。その様なある日、彼は、クリスチャンを迫害する許可の手紙までもらい、ダマスコに向かっていた途中、復活され生きて働いておられるイエスさまから直接語りかけられたのです。この時ようやくパウロは、イエスさまが死者から事実復活されたことを知らされました、人生の向きを180度かえられ、それからは、このキリストを伝える働きに召されました。
 4.私たちの希望:私たちも人生最大の希望は、死者からの復活です。ここに望みを置いているならば、死にさえも解決と勝利が与えられますから、どの様な事態にみまわれたとしても、失望に終わることはありません。イエスさまは、聖書の御言葉を通して語りかけ、出会ってくださいます。聖霊に導かれて聖書を読むならば、聖句によって私たちもイエスさまが復活されたことを信じられるようになります。そこにとどまらず、私たち自身もいつか必ず復活の恵みにあずかるところに希望を持って日々、歩み続けられます。
 今日から今年の「受難週」です。死者から復活されるためには、一旦死ななくてはなりません。イエスさまは、私たちの罪を買い戻してくださり、神様の子どもに迎え入れてくださるために、最大の苦しみである十字架の死を通ってくださいました。十字架上で流された貴い血によって、救いの道が開かれたことをいつも以上に感謝する一週間を過ごしましょう。そして次週は、そのキリストの復活を心から喜ぶイースターを迎えましょう。
 
 (参考聖書箇所:箴言28章18節、イザヤ42章6〜9節)
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『契約を果したダビデ』

2017/04/22 07:00
2017年4月2日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   サムエル記下(第2)第9章1〜13節 
メッセージ 『契約を果したダビデ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 今日は、2017年度最初の礼拝式です。この一年も毎回、聖霊に導かれながら生きて働いておられる父なる神様、救い主イエス・キリストを心から礼拝しましょう。そして、聖書からイエス・キリスト救い主を聞き取り、その主に信頼して一週間の歩みに遣わされましょう。
 1.メフィボシェトに忠実を尽したダビデ:ダビデがイスラエル第2代目の王になり、約20年が過ぎました。その頃彼は、ヨナタンとの契約を思い出し、忠実を尽すことを実行に移しました。
 サウル家の僕だったツィバに聞くと、サウルの孫でヨナタンの息子メフィボシェトとその家族がいることがわかりました。そこでダビデは、メフィボシェトを呼び寄せ、祖父サウルの土地を帰すこと、これからはダビデの食卓で食事をするようにと言い渡しました。
 当時は王座を取り返すことがないように、前王家は根絶やしにすることが普通でした。そこでメフィボシェトもダビデ王から呼び出された時、覚悟をしたと思われます。ところが上記の様な申し渡しを聞きましたから、びっくりしました。ですが彼は感謝のうちにこの申し出を受け取りました。
 2.ヨナタンとの契約を果すため:この様にダビデがメフィボシェトに忠実を尽したことは、大変な危険を伴うことでもありました。メフィボシェト自身は、足が萎えており、王座には付けない身でしたから、その点でダビテは安心していたと思われます。ですが、メフィボシェトには息子ミカがいました。彼がいつ寝返らないともかぎりません。
 その様な中でもダビデがメフィボシェト家族を手厚く扱ったのは、ヨナタンと交わした契約を実現するためでした(1節)。サウル王がダビデを殺そうとしていることがわかったとき、ヨナタンはそのことをダビデに知らせました。そして、ダビデを逃がす時ヨナタンは次のように言いました。「そのときわたしにまだ命があっても、死んでいても、あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し、…あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい。」(サムエル記上20章14〜15節参照)。ヨナタンが命をかけて自分を逃がしてくれた愛に答える意味でも、ダビデも命をかけてこの契約を果したといえます。
 3.私たちへの主の愛:ダビデがヨナタンとの契約を果したところから、父なる神様が私たちとの間に結んでくださった新しい契約を思わされます。それが、御ひとり子イエス・キリストが十字架で自らの命を捨てて、私たちを滅びから永遠の命に救い出してくださった愛の御業です。貴い十字架の血によって結んでくださった新しい契約です。
 私たちもメフィボシェトのように、「僕など何者でありましょうか。」(8節)という者に過ぎません。ですが、そこで引っ込まず、感謝のうちに、差し出されている救い主を受け取るところに、祝福が備えられています。
 (参考聖書箇所:サムエル記上4章4節、黙示録3章20〜21節)


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『確実に伝わっていった福音』

2017/03/26 15:51
2017年3月26日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   使徒言行録(使徒の働き)第25章13〜27節 
メッセージ 『確実に伝わっていった福音』
メッセンジャー 田中文人牧師

 今日は、2016年度最後の主の日です。有明キリスト教会では、午後、この1年間の恵みを感謝し、2017年度を望み見る総会を開きます。
 教会にはいろいろな働きがありますが、すべては、救い主イエス・キリストを宣べ伝える「伝道」の業です。その視点で、今日の聖書箇所を読むと、確実にキリストの福音が世界に伝わり、広がっていったことがわかります。
 1.仕事に忠実だったフェストゥス:新しくカイサリアに着任したローマ総督フェストゥスは、前任者のフェリクスとは違い、仕事に忠実な人物でした。その一端が、挨拶に来たアグリッパ王とベルニケ夫妻がパウロに会うことを望んだとき、すぐ翌日に会う場を設けたところにも現わされています。またその会見の場で「囚人を護送するのに、その罪状を示さないのは理に合わないと、わたしには思われるからです。」(27節)と言っているところからも伺い知ることが出来ます。福音が広がっていくために神様は、この様な人物を総督に遣わされたといえます。
 2.確実に伝わったキリストの復活:ひとつは、福音の内容です。「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」(19節)。
 フェストゥス自身は信じていませんでしたが、パウロが伝え続けていた福音の核心=キリストの復活がユダヤ教の指導者たちとパウロとの争点であることを捕えていました。このことを通しても人々の間にキリストの復活のことが伝わることになりました。
 私たちが伝える福音も、イエス・キリストが復活された事実です。聞く人が信じても信じなくても、とにかくキリストが十字架で死なれてから三日目に死者の中から蘇られた歴史の事実を伝えましょう。
 3.確実にローマ人に伝わった福音:もうひとつは、アグリッパ王夫妻とパウロとの会見の場にローマの千人隊長等、主だった人物たちが呼ばれたことです。26章でパウロはこれらの人々にもキリストの福音を大胆に語ります。パウロはイエスさまご自身からローマでキリストを証しするヴィジョンが与えられていましたが、カイサリアにいる時から既にローマ人たちに福音を伝える機会を得ていたことになります。この様にして、キリストの福音は確実にローマに向かって伝わっていきました。
 4.フェストゥスの的外れ:上記の様にキリストの福音が伝わるために用いられたフェストゥスでしたが、パウロをどの様に扱うかという大問題を解決していくとき、大きく的を外していた点がありました。それが、エルサレムのユダヤ人たちからは話しを聞き、アグリッパ王にも相談しましたが、パウロ自身からは十分に聞かなかったところです。フィリピの看守の様に、「救われるためにはどうすべきでしょうか?(使徒16章30節)とパウロに尋ねていたならば、さらに的を射た課題の解決と救いに導かれたはずです。
 私たちが大問題に直面する時も、人々に相談する以上に神様に祈り、キリストの言葉である聖書によく聞きましょう。そこから聖霊なる神様が最前へと導いてくださいます。

(参考聖書箇所:ヨハネ20章31節、使徒1章8節、使徒16章31節、ローマ10章9〜15節、Uテモテ3章16節)
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『祈りながら愛の業による改革をしたネヘミヤ』

2017/03/19 12:00
2017年3月19日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   ネヘミヤ記第13章1〜31節
メッセージ 『祈りながら愛の業による改革をしたネヘミヤ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 キリストを信じて十字架の血による罪の赦しをいただいたときは、みな感謝と喜びで満たされています。イエスさまが復活されたことを信じて永遠の命の約束にまであずかるのですから、死にさえも解決が与えられ、完全な天を望み見ながら希望のうちに新しい人生を進み始められます。この世の基準ではなく、天国の原則=神様を第一とし、自分を愛する様に隣人を愛する生活へと生き方が変えられます。
 ところが、クリスチャン生活に慣れて来ると、次第に救われる前の、自分と生活に戻ることがあります。そのような逆戻りにならず、成長しながら天を目指す歩を続けるには、どの様にしたらよいのでしょうか?

 1.もとに戻っていたイスラエルの民:城壁の奉献礼拝も終わり、ネヘミヤは、一旦ペルシアに帰りました。その後どれくらい後かはわかりませんが、再びネヘミヤは、エルサレムにやって来ました。すると、あれ程自ら悔い改めて内側の信仰を回復していた民は、以前の生活に戻ってしまっていたのです。

 2.ネヘミヤの改革(4〜29節):1)城壁修復工事を妨害したトビヤが祭司しか入れない神殿の部屋をネヘミヤの留守中に占領していました。そこで、彼と荷物を追い出し、祭具を収め直しました。 2)十分の一の献げ物が疎かにされていたため、祭司やレビ人たちがエルサレムの外で農作業等をして生計を立てていました。そこでネヘミヤは彼らを神殿に戻し、十分の一の献げ物を貯蔵庫に収めました。3)安息日に売り買いもしないという約束も破られていました。ネヘミヤは、安息日には商売人たちを徹底的に排除しました。 4)異教徒との結婚によって生まれた子どもたちがユダの言葉を話せなくなっていましたので、ネヘミヤは厳しく責め、その子たちを異教徒と結婚させないよう誓わせました。

 3.厳しさが伴う愛:この様に見て来ると、ネヘミヤはかなり厳しい改革をしたことがわかります。この改革は、「すべての異民族から彼らを清め、祭司とレビ人に守るべき務めを定め、それぞれその任務に就かせ」た(30節)とまとめられます。ですが、ただの厳しさではなく、神様の方からユダの民を愛してくださっている、その愛による、愛に答える改革だったといえます。

 4.何より祈っていたネヘミヤ:上記の様な愛による改革が断行できたのは、ネヘミヤが神様との交わりを常に保っていたからです(14節他)。
 神様は、いまの私たちも主の方から愛してくださっています。その極みが、イエス・キリストの十字架上での死、貴い血による罪の赦しです。御ひとり子を一端死に引き渡される程の愛です。ですから、そこには厳しさが伴います。イエスさまも神殿が強盗の巣になっていたことに対しては、厳しく宮清めをされました。受難節を過ごしているこの時期、この主の愛の大きさをしっかり受け止めましょう。聖霊の助けと励ましをいただきながら、主の愛に答える一週間に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:民数記22〜25章、申命記23章3〜5節、Tペトロ1章15〜25節)
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『正義の訴えを貫いたパウロ』

2017/03/12 12:00
2017年3月12日主の日礼拝式メッセージ要約

聖書    使徒言行録(使徒の働き)第25章1〜12節
メッセージ  『正義の訴えを貫いたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.職務に忠実だった総督フェストゥス:パウロがカイサリアで留置され二年が過ぎたとき、フェリクスに替ってフェストゥスが総督に着任しました。前任者と異なり彼は、職務を誠実に果そうとする人物でした。そのことが、着任後三日経った時、エルサレムを訪れたことにも現わされています。彼はエルサレムで、ユダヤ教の指導者たちからパウロについていろいろな訴えを聞き、エルサレムでもう一度裁判を開くことと、そのためにパウロを連れて来てほしいという要求を受けました。彼らは二年経ってもなおパウロを暗殺する陰謀を諦めていなかったのです。ですがフェストゥスは、パウロがカイサリアで監禁されていること、自分も間もなくカイサリアに戻ることを理由に、パウロについて不都合があるのであれば、有力者たちがカイサリアまで自分と一緒に来て告発するようにと話しました。このフェストゥスの忠実さも用いられ、パウロは守られたと言えます。

 2.フェストゥスによる裁判:カイサリアに帰るとフェストゥスは、さっそく翌日、裁判を開き、パウロを呼び出しました。エルサレムからやって来たユダヤ人たちは、いろいろと訴えましたが、立証することは出来ませんでした。パウロはここでも、律法に対しても、神殿に対しても、そしてローマ皇帝に対しても何も罪を犯してはいないことを弁明しました。ここまでであれば、二年前と同じように、裁判は行き詰ってしまうことになります。
 ところが、この後、事態は動きました。職務に忠実だったフェストゥスにもやはりローマの支配地域であるエルサレムのユダヤ人たちから気に入られたいという思いがありました。そこで彼はパウロにエルサレムで裁判を受けたいと思うかどうか尋ねました。

 3.正義を貫いたパウロ:この質問にパウロは、はっきりと自分はローマ皇帝の法廷で裁判を受けているのだから、…上訴する、と正義に立った意思を述べました。パウロはれっきとしたローマ市民でした。ローマ市民から皇帝の前での裁判の申し出があったとき総督は、それを実現していかなくてはなりません。フェストゥスは陪審員と相談したうえでパウロに「皇帝のもとに出頭するように」に答えました。このことによって、パウロのローマ行きが現実のものになっていったのです。

 4.タイミングを逃さないために:パウロは実にみごとに時を捕え、自分に与えられていたローマ市民の特権を用いました。そして、主から告げられていたローマへ行ってキリストを伝えるヴィジョンに大きく前進していきました。時を逃さず、特権を正しく用いることも、正義に生きることといえます。
 私たちも主から与えられているヴィジョンの実現に向かって、タイミングよく特権や賜物を用いることを願い出ましょう。そのためには、その時を祈っている必要があります。祈っているならば、主は必ず「時」を教えてくださいます。今週も正義の道を歩み通された救い主イエス・キリストに手を引かれながら、その御後に従ってまいりましょう。

 (参考聖書箇所:創世18章19節、エフェソ6章10〜20節、Uテモテ6章11〜12節)
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『大いなる喜びの城壁奉献礼拝』

2017/03/05 12:00
2017年3月5日 主の日礼拝式メッセージ要約

聖書   ネヘミヤ記第12章27〜47節 
メッセージ 『大いなる喜びの城壁奉献礼拝』
メッセンジャー 田中文人牧師

 「キリスト教会の礼拝」と聞くとき、どの様なことを思うでしょうか?厳か、静か、畏れかしこむ等、緊張感のある事柄を思い浮べるのではないでしょうか?
 今日の聖書箇所には、エルサレムの城壁修復工事を終えた民が、感謝の内に、喜びの城壁奉献礼拝をしたことが書いてあります。ここから、私たちも喜びに満ち溢れる礼拝を献げてよいことがわかります。

 1.身を清めた奉仕者たち(27〜30節):礼拝の前に、エルサレム周辺に住んでいた詠唱者(聖歌隊)の奉仕者たちが、呼び集められました。そして、身を清めて礼拝奉仕の備えをしました。奉仕者だけでなく、他の民と城壁、城門も清めました。
 私たちも喜びの礼拝を献げるためには、身を清めることが大切です。示された罪は日々悔い改め、十字架の血による赦しをいただきましょう。内側が聖霊で満たされることが、何よりの清めであり、礼拝への備えです。

 2.聖歌隊による礼拝のリード(31〜43節):詠唱者たちによって、ふたつの聖歌隊が編成されました。これら二隊は、同じ場所から出発し、一隊は反時計回りに、もう一隊は時計回りに楽器と歌で讃美しながら神殿に向け、城壁の上を歩いていきました。エズラとネヘミヤは、それぞれの聖歌隊に加わりましたが、彼らではなく、詠唱者たちが先頭に立って進みました。そして、神殿に着くと、大いなる生贄を献げ、さらに喜びに満たされた礼拝を献げました。詠唱者たちは、この礼拝のリードにも当たりました。
 私たちの礼拝も、聖歌隊が導くならば、いま以上に喜びに満たされるのではないでしょうか?有明教会にはまだ聖歌隊はありません。いつか、聖歌隊が編成され、毎週の礼拝をリードするところを望み見、祈りはじめたいものです。

 3.十分の一を喜んで献げた民(44〜47節):喜びの奉献礼拝を献げた民は、祭司たちが神殿奉仕に専念出来るよう、倉に初物の収穫物等の十分の一を持って来ました。そして、祭司たちがこれらの献げ物で養われ、奉仕することを喜びました。祭司たちも、それらの献げ物の十分の一を献げました。その他、門の警備にも民は喜んで立つようになりました。
 いまの私たちにとっても十分の一献金は、決して小さな額ではありません。本気で献げようとするならば、犠牲が伴います。ですが、一ヶ月導かれたことを感謝し、喜んで神様から与えられたものの中からお返しする思いで献げるならば、主は大きく祝福してくださいます(マルコ10章の2レプトン銅貨を献げたやもめの記事も参照)。生活の必要も神様は満たしてくださいます。そこに信頼して、大胆に献げましょう。
 今週も、喜びの礼拝からそれぞれの一週間の生活に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:詩編51編12節、マルコ12章41〜44節、ヨハネ4章、フィリピ4章4〜7節)
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『忍耐しながら伝道したパウロ』

2017/02/26 12:00
2017年2月26日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   使徒言行録第24章1〜27節 
メッセージ 『忍耐しながら伝道したパウロ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 計画(ヴィジョン)を実現していくとき、あるところで前に進まなくなることがあります。今日のパウロもその様な中にありました。

1.フェリクスの前で訴えられたパウロ:大祭司アナニヤは、長老数名と弁護士テルティロを連れてエルサレムからカイサリアに来ました。そして、総督フェリクスにパウロについて1)疫病(ペスト)の様な男であること、2)ナザレ人(イエス・キリスト)の分派の主謀者であること、3)神殿を汚そうとしたことを訴え出ました。

2.パウロの弁明:総督フェリクスから発言を促されたパウロは、喜んで(10節)上記3点について弁明をはじめました。1)については、エルサレムに帰って来て一週間しか経たないので、陰謀を企て、それを疫病のように広げることなど不可能であること。2)については、確かに自分は「ナザレ人の分派」と呼ばれているイエス・キリストを信じる者だが、旧約聖書全部を信じており、キリストの復活も信じ、自らの復活にも望みを抱いていること。3)については、神殿を汚すどころか何の問題も起きていなかったこと、自分を捕まえた者たちがここに来てそのことを話すべきであると述べました。

3.フェリクスの判断:これらを聞いた総督フェリクスは、千人隊長リシアが来るまで判決を先延ばしにしました(22節)。そしてパウロをそれまである程度の自由を与えたうえで留置しておくように命じました。フェリクスは、度々パウロを呼び出し、妻のドルシラと一緒に話しを聞きました。パウロからお金をもらう下心もあったからです。決局その様な日数は二年にも及びました。

4.パウロがしたこと:この様にパウロはカイサリアで2年間も足留めされることになりました。初めから「2年間」と決まっていたわけではありませんでしたから、パウロにとっては、いつまで続くのかわからない中で不安や心配もしながら過ごした年数だったはずです。
 その間にパウロがしたことが、フェリクスとドルシラ夫婦に福音を伝えることでした(24〜25節)。特に彼らは旧約聖書に反する結婚をしていましたからパウロは呼び出される度に、正義と節制について大胆に語りました。もちろん、その様な罪もキリストの十字架の血によって赦されること、復活を信じるならば、永遠の命の約束にもあずかれること等、キリストの愛についても語り続けたはずです。ですが、結局彼らは救いの恵みにを受け取る決心はしませんでした。それでもパウロにとってこの2年間は、忍耐を養うために大きく役立ちました。

5.私たちの信仰:私たちもヴィジョンがうまく進まなくなったときすることは、委ねられている働きに忠実に励むことです。神様は、ご計画に従って召された者たちを見捨てることはされません。「万事を益」にしてくださいます。そこに信頼しながら、忍耐強く主の栄光を現わす歩みに今週も遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:ローマ5章1〜5節)
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『城壁の奉献に当って』

2017/02/19 20:00
2017年2月19日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     ネヘミヤ記第12章1〜26節
メッセージ    『城壁の奉献に当って』
メッセンジャー  田中文人牧師

 有明キリスト教会では、会員ひとりひとりが賜物を献げ、礼拝式他の奉仕に仕えています。キリスト教会は、キリストの体に喩えられます。頭は救い主キリスト、教会員はキリストの体につながる各部分です。
 ところで、教会の奉仕に立つ時、いまの環境や状況が改善される必要はあるでしょうか?あるいは、直面している課題の解決は必要でしょうか?また、個人の賜物は、どれだけレベルが上がり、成長すれば、奉仕に立ってよいのでしょうか?
 1.城壁奉献式の奉仕に当たるレビ人祭司たちの名簿:ネヘミヤ記の12章の前半26節までには、エルサレムの城壁修復工事が終わった後、奉献礼拝に当たるレビ人と祭司たちのリストが記されています。日本語の聖書で読むと、カタカナが並んでいるだけのように感じるかも知れません。ですが、次の様に三区分された整った神殿奉仕者の名簿になっています。
 1〜11節が、この時よりも約百年前、バビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰って来た時の祭司とレビ人のリストで、シェアルティエルの子ゼルバベルとイエシュア以下、計22人でした。12〜21節が、その後の時代、ヨヤキムが大祭司だった時代の祭司たち、計22人です。そして22〜26節が、エルヤシブが大祭司だった時代のリストで、城壁修復工事の頃の祭司とレビ人たちのリストです。神殿で礼拝の奉仕に当たる部族は、アロンの家系、レビ人と定められていましたから、先祖をしっかり辿る必要があったといえます。
 2.欠けていた祭司の数:上記のリストは、歴代誌下(U)24章にもあります。ところが、歴代誌では24人挙げられているところ、今日のリストでは、22人です。捕囚中にわからなくなった家族があったのかも知れません。エルサレムに帰還した後、十分な人口調査が出来なかったことも考えられます。
  ここで聞き取りたいことは、この時のレビの家系が先祖の時代よりも数の点からも、また信仰の面からも十分ではなかったことです。それでも彼らはその不十分なままで感謝と喜びの内に、27節以後にある通り、主の奉仕に仕えていきました。
 3.私たちの奉仕:私たちが奉仕に立っていくときも、状況が良くなることや課題が解決することは、必ずしも必要ありません。大原則は、神様、イエスさまからその働きに仕えるように告げられているかどうかです。賜物も同様です。技術面に不十分さを感じているとしても、主の前に謙って賜物を差し出すならば、主ご自身が欠けを補ってくださり、用いてくださいます。もちろん、そこに甘んじて怠慢になってはいけません。より良い献げ物となるよう常に訓練は必要です。
 新年度を臨み見、備える時期になりました。ひとりひとりに主はどの様な教会の奉仕に立つよう示しておられるでしょうか?聖書のみことばと祈りによって主の招きを聞き取りましょう。その招きを確信したならば、いまの状況の中からその奉仕に立ちましょう。そこに祝福があります。

 (参考聖書箇所:T歴代24章、Tコリント12章19〜28節)
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『不思議な方法でカイザリアに運ばれたパウロ』

2017/02/12 12:00
2017年2月12日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録第23章12〜35節
メッセージ   『不思議な方法でカイザリアに運ばれたパウロ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 計画(ヴィジョン)が実現に向かう時、思いもよらない方法で進むことがあります。その点で、私たちは、思いも頭も柔軟にしておく必要があるといえます。
 パウロもローマまで行って証しをするというヴィジョンをイエスさまから告げられていました。今日の聖書箇所には、まずエルサレムから約100q離れたカイザリアまで行った時のことが記されています。ですが、その方法は、パウロ自身、思いもよらない運ばれ方でした。神様は、様々な人々を用いて着実にローマに向けてエルサレムを脱出させてくださったのです。

 1.暗殺計画をパウロに知らせた甥:おそらくサドカイ派と思われる人々が、翌日もユダヤの最高議会を招集し、そこにパウロが連れて来られる途中で殺してしまう暗殺計画を立てました。そのうえ彼らは、パウロを殺すまでは飲み食いをしないという誓いまで立てたのです。この企みに40名もが加わりました。
 ところが、この陰謀をパウロの妹の息子(甥)が聞きつけ、兵営に留置されていたパウロに伝えました。パウロは百人隊長に、甥を千人隊長のところに連れて行ってほしいと頼みました。この様にして、パウロの暗殺計画は、アッという間に千人隊長まで伝わりました。

 2.千人隊長の計らい:この陰謀を知った千人隊長は、その夜のうちに歩兵二百名、騎兵七十名、補助(槍)兵二百名を準備するように百人隊長に命令しました。この様にしてパウロは、過剰とも思える数の兵隊たちによって、その夜9時にエルサレムを出発し、カイザリヤに向け護送されていきました。

 3.千人隊長の手紙:千人隊長のクラウディウス・リシアは、カイザリヤに駐屯していたローマ総督フェリクスに手紙を書き、パウロのあつかいを委ねました。多少クラウディウス・リシアに都合のよいように事実と異なる内容もありますが、パウロがローマ法に反することではなく、ユダヤ人の信仰に関することで訴えられていることについては、しっかり書かれていました。この手紙を読んだ総督は、訴えている者たちがカイザリヤに到着するまでパウロをヘロデの官邸に留置することにしました。
 これらすべてのことの背後で、主の働きがあったことが読み取れます。

 4.私たちの計画実行:私たちの計画も、第1に、神様から告げられていることをしっかり確認いたしましょう。第2に、その計画が間違いなく主からのものであることを確認したならば、うまく進まない時があっても、「必ずなる」と信頼し続けましょう。第3に、計画実現に向けて具体的な方法は、私たちが立てたやり方に固執するのでなく、むしろ主が働かれるところに用いられることを願いましょう。

 (参考聖書箇所:イザヤ55章11〜13節)
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『エルサレムの民に祝福された人たち』

2017/02/05 12:00
2017年2月5日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    ネヘミヤ記第11章1〜36節
メッセージ  『エルサレムの民に祝福された人たち』
メッセンジャー  田中文人牧師

 良い条件と悪い方、選べるとするならば、どちらを選び取るでしょうか?わざわざ条件が悪い方を選択する人はなかなかいないかも知れません。ですが、聖書の原則によると、人の目や知恵では、どこから見ても悪いとしか思えない方に祝福が備えられていることもあります。大切なことは、神様が行く様に示しておられる方を選び取ることです。

 1.城壁修復終了直後のエルサレム:今から二千四百四十数年前のエルサレムには、人はあまり住んでいませんでした。神殿の再建も城壁の修復も民の内側の信仰回復も終わりましたが、肝腎のエルサレムに住む人が少数では、都という点でも神殿がある町という点でも相応しくありません。そこでネヘミヤは、当時御心を知るために用いられていたくじによって、移り住んで来る民を決めました。ですが、くじで神様からエルサレムに引っ越すように示されても、その通りには出来ない人たちもいたようです。それは、エルサレムでは、2.にある様な生活を覚悟しなくてはならなかったからです。ところが、その様な悪条件にもかかわらず、自ら進んで移住を申し出る人たちもあらわれました。

 2.エルサレムの生活状況:1)ユダヤ人以外の人たちが、エルサレムに住んでいる人たちに宗教的な理由から偏見を持っていたため、物の売り買いも思う様に出来ない状況でした。 2)エルサレムに家を建て直し、仕事もエルサレムでみつけなくてはなりませんでした。 3)神殿が近くなるので、エルサレムの外に住んでいる時よりも、より信仰深い生活が求められました。(以上、『ディボーショナル聖書注解』より)
 進んで移住を希望した人たちは、家族と一緒にそれまでの生活すべてを変える覚悟を決めて、申し出たのです。この決断は、既にエルサレムに住んでいた民たちから喜ばれ、祝福されました。神様ご自身も大きく祝福されました。

 3.救い主イエス・キリストを望み見て:私たちも、どこから見ても「悪条件」としか思えない方に進むように示されることもあります。その時は、イエスさまを思い出しましょう。イエスさまは、神様のもとから罪のこの世に、私たち人と同じ姿で来てくださいました。全人類を救い、天に迎え入れてくださるために、十字架の上で死なれました。私たちの身代りに神様から一旦完全に引き離される最大の苦しみまで味わい尽されました。その御ひとり子を神様は、十字架から三日目に死者の中から復活させられ、最大の課題である死にさえも勝利されました。
 このイエスさまが、いまも私たちと共にいてくださいます。助け主(ぬし)、聖霊を遣わし励まし、力を与えてくださいます。そこに信頼し、条件の良し悪しではなく、神様が行く様に示しておられる道を選び取ることを願い出ましょう。そこに必ず祝福があります。
 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイ26章39節)

 (参考聖書箇所:詩編92編6節、使徒21章14節、フィリピ2章1〜11節)
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