アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
有明キリスト教会ブログ--今週の聖書の言葉
ブログ紹介
日本バプテスト連盟 有明キリスト教会 主日礼拝「宣教」要約
zoom RSS

『主に信頼していたパウロ』

2017/04/23 12:00
2017年4月23日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     使徒言行録(使徒の働き)第27章1〜26節 
メッセージ    『主に信頼していたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日の聖書箇所には、いよいよカイサリアからローマに向けて運ばれ始めたパウロが、囚人の身でありながら、むしろ旅をリードしている様子が記されています。パウロは、生きて働いておられる主に心から信頼していましたから、この様に行動出来たといえます。

 1.百人隊長から親切に扱われたパウロ:アジア州の各地に寄航する船でカイサリアを出発したパウロたち囚人は、翌日、シドンに着きました。この書の著者ルカとアリスタルコも一緒でした。このシドンでパウロは、百人隊長ユリウスからキリスト信仰者たちと交わり、もてなしを受けることを許されました。囚人でありながら、この様なことが許されるのは、異例中の異例といえます。
 パウロは、どの様な時でもいつもと変わらず主を礼拝し、祈り主との交わりを続けていたはずです。そして、「いつも喜び…すべてのことに感謝」していたことは間違いありません(Tテサロニケ5章16〜18節参照)。その信仰に基づく生活が、百人隊長からの信頼を得ることになったといえます。私たちも心から主に信頼しているならば、ノンクリスチャンからも信用されるようになります。
 2.忠告したパウロ:その後、船は航海を続けようとしましたが、既に季節は秋に入り、航海は危険な季節になっていましたそこでパウロは、このまま航海を続けるならば、積荷だけでなく人にも危険が及ぶことを伝え、「良い港」で冬を越すように忠告しました。これまで3回も伝道旅行をしたパウロの経験が生かされたことは間違いありません(Uコリント11章25〜26節参照)。
 ですが、それ以上に、パウロは、自然界を支配しておられる神様を心から畏れていました。その信仰が、彼を忠告に押し出したといえます。
 信仰による歩みは、いつでも「行け、行け!」ではありません。特に嵐等の自然現象に対しては、それをも支配しておられる主を畏れる思いが大切です。その様な時には、身を守る行動をとることが主を畏れる信仰の歩みです。(詩編107編参照)
 3.乗船者たちを励ましたパウロ:百人隊長は、上記のパウロの忠告ではなく、クレタ島のフェニクス港まで行って、そこで冬を越したいという船主と船員たちの意見の方を信用しました。その結果、船は、「エウラキロン」と呼ばれる嵐に巻き込まれ、積荷や船具まで海に捨てなくてはならなくなりました。人々も2週間何も食べない日が続きました。
 その様な中、パウロは天使からの御告げを受けました。つまり、1)「恐れるな」2)パウロは確実にローマまで行キリストを証しする3)一緒にいる全員をパウロの手に渡す。これらのことを人々に伝え、「だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」(34節)と人々を励ましました。
 私たちも平常時に日々御言葉につながり祈る主との交わりを続けていることが、災害等の非常時にものを言うことになるのではないでしょうか?もしも被災する時、最善に導いてくださる主からの御言葉をしっかり聞き取り、周囲の人たちを励ますところに用いられるならば幸いです。イエスさまは、主を信頼する者を見捨てるようなことは、決してされません。今週も心から主を畏れ、信頼する歩みを願い出ましょう。
(参考聖書箇所:イザヤ書40章28〜31節、Uコリント11章25〜26節、Tテサロニケ5章16〜18節)
記事へトラックバック / コメント


『死者の中から最初に復活されたイエス・キリスト』

2017/04/22 07:02
2017年4月16日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   使徒言行録(使徒の働き)第26章19〜32節 
メッセージ 『死者の中から最初に復活されたイエス・キリスト』
メッセンジャー 田中文人牧師
 1.イースター(復活祭)について:イースター、おめでとうございます。イースターは、教会歴では、移動祝日です。クリスマスのように毎年12月25日と決まってはいません。春分の後の満月の直後の日曜日ですから、3月の下旬から4月25日の間になります。今年は、3月20日が春分で、その後の満月が、4月11日でした。その直後の日曜ですから、今日16日がイースターです。
 イースターは、救い主イエス・キリストが十字架で死なれてから三日目に、死者の中から事実蘇られたことを記念して祝う日です。この死者からの復活を私たちは信じているでしょうか?歴史の事実と信じられるならば幸いです。
 2.死者からの復活を宣べ伝えていたために裁判を受けていたパウロ:今日の聖書箇所には、いまから約2000年前、ローマ総督フェストゥスが、アグリッパ王とパウロが会うための場で行なわれたことが書いてあります。パウロは、なぜ自分はローマの裁判に訴えられているのか、その理由を述べています。彼は、騒動を起こしたのでも、ローマの法律に反することをしたのでもありませんでした。イエス・キリストが、十字架で死なれたこと、その三日後に死者の中から復活されたこと、この事実をエルサレムでも人々に語っていただけでした。
 パウロもこのことを信じられず、先に信じていたキリスト信仰者たちを迫害する先頭に立っていました。ところが、ある時、復活されたキリストご自身から出会ってもらい、死者からの復活が本当だったことを思い知らされたのです。その時から、キリストを迫害する者からキリストの復活を述べ伝える者に180度かえられました。ただ復活を信じて伝えているだけでなく、死に解決が与えられ、パウロ自身もキリストが再臨される時に復活し、完全な天に迎え入れられるところに希望を持って生きていました。
 3.パウロの弁明の反応:死者からの復活を聞いた時、ローマ総督フェストゥスは、パウロが博学のために頭がおかしくなっていると言いました。フェストゥスは聖書をほとんど知らなかったと思います。また、神の国の原則や価値観でも生きていませんでした。ですから、死者が復活することなど信じることが出来ませんでした。一方、アグリッパ王は、聖書のことも知っていました。そこでパウロは彼に決心をうながしましたが、ユダヤ人たちとローマ帝国との板挟みになり、「パウロは、短い時間で自分をクリスチャンにしようとしている」と言い、自分の身を守りました。
 4.復活を信じて新しい人生へ:私たちの反応はどうでしょうか?確かに復活は不思議です。ですが、同じパウロは、次の様にも書いています。「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。…もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。」(Tコリント15章14〜16節)。ですから、聖書からキリストの復活を「事実」と信じて間違いありません。また、私たちもキリストが再臨される時、復活の恵みにあずからせていただけます。そこに希望を持ってこの世を生きていけるようになりますから、キリスト信仰は、失望に終わることはありません。聖霊の導きをいただいて、事実キリストが復活されたことを信じる信仰に一歩踏み出しましょう。聖書知識や求道の長さにはよりません。「いま」と感じた時が大切です。私たち自身も復活の恵みにあずかれますから、キリスト信仰に失望はありません。
 (参考聖書箇所:ローマ10章9〜10節、Tコリント15章1〜20節)
記事へトラックバック / コメント


『約束の実現に希望を抱いていたパウロ』

2017/04/22 07:01
2017年4月9日主の日礼拝式メッセージ要約

聖書    使徒言行録(使徒の働き)第26章1〜18節 
メッセージ   『約束の実現に希望を抱いていたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 私たちは希望をもって生きているでしょうか?目標にしろ、ヴィジョン(まぼろし)にしろ、希望を持って生きることは大事です。もしも人生に希望がなくなったならば、生きていけなくなるともいわれます。その点で私たちは、いろいろなヴィジョンを望み見ながら進み続けますが、人生最大の希望は何でしょうか?

 1.感謝の内に語り始めたパウロ:今日の聖書箇所には、ローマ総督フェストゥスが設定したアグリッパ王とパウロの会見の場の様子が記されています。フェストゥスが列席者たちにパウロについて述べた後、アグリッパ王がパウロに弁明をうながしました。これを受けて彼は、アグリッパ王の前で語る機会が与えられたことを心から感謝するところから語り始めました。
 会見の場とはいっても、ローマ総督とユダヤの一部を治めていた王夫妻、それにローマの主だった高官たちの前ですから、裁判を受けているような状況です。その中でもパウロが感謝の内に語り始められたところには、彼が確実に実現する希望に望みをかけていたからといえます。
 2.パウロが望みをかけていた希望:その希望が、まさに、いま彼が同邦のユダヤ人たちから訴えられている理由=死者の復活についてでした。パウロは、生粋のユダヤ人で、しかも限格なファリサイ派の出身です。死者からの復活に望みはかけていましたが、そのことが事実、イエス・キリストによって実現したことは信じられずにいました。
 3.パウロの回心の証し:そこでキリストの復活を信じていたクリスチャンたちをパウロは捕まえて牢に入れ、迫害する先頭に立っていました。その様なある日、彼は、クリスチャンを迫害する許可の手紙までもらい、ダマスコに向かっていた途中、復活され生きて働いておられるイエスさまから直接語りかけられたのです。この時ようやくパウロは、イエスさまが死者から事実復活されたことを知らされました、人生の向きを180度かえられ、それからは、このキリストを伝える働きに召されました。
 4.私たちの希望:私たちも人生最大の希望は、死者からの復活です。ここに望みを置いているならば、死にさえも解決と勝利が与えられますから、どの様な事態にみまわれたとしても、失望に終わることはありません。イエスさまは、聖書の御言葉を通して語りかけ、出会ってくださいます。聖霊に導かれて聖書を読むならば、聖句によって私たちもイエスさまが復活されたことを信じられるようになります。そこにとどまらず、私たち自身もいつか必ず復活の恵みにあずかるところに希望を持って日々、歩み続けられます。
 今日から今年の「受難週」です。死者から復活されるためには、一旦死ななくてはなりません。イエスさまは、私たちの罪を買い戻してくださり、神様の子どもに迎え入れてくださるために、最大の苦しみである十字架の死を通ってくださいました。十字架上で流された貴い血によって、救いの道が開かれたことをいつも以上に感謝する一週間を過ごしましょう。そして次週は、そのキリストの復活を心から喜ぶイースターを迎えましょう。
 
 (参考聖書箇所:箴言28章18節、イザヤ42章6〜9節)
記事へトラックバック / コメント


『契約を果したダビデ』

2017/04/22 07:00
2017年4月2日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   サムエル記下(第2)第9章1〜13節 
メッセージ 『契約を果したダビデ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 今日は、2017年度最初の礼拝式です。この一年も毎回、聖霊に導かれながら生きて働いておられる父なる神様、救い主イエス・キリストを心から礼拝しましょう。そして、聖書からイエス・キリスト救い主を聞き取り、その主に信頼して一週間の歩みに遣わされましょう。
 1.メフィボシェトに忠実を尽したダビデ:ダビデがイスラエル第2代目の王になり、約20年が過ぎました。その頃彼は、ヨナタンとの契約を思い出し、忠実を尽すことを実行に移しました。
 サウル家の僕だったツィバに聞くと、サウルの孫でヨナタンの息子メフィボシェトとその家族がいることがわかりました。そこでダビデは、メフィボシェトを呼び寄せ、祖父サウルの土地を帰すこと、これからはダビデの食卓で食事をするようにと言い渡しました。
 当時は王座を取り返すことがないように、前王家は根絶やしにすることが普通でした。そこでメフィボシェトもダビデ王から呼び出された時、覚悟をしたと思われます。ところが上記の様な申し渡しを聞きましたから、びっくりしました。ですが彼は感謝のうちにこの申し出を受け取りました。
 2.ヨナタンとの契約を果すため:この様にダビデがメフィボシェトに忠実を尽したことは、大変な危険を伴うことでもありました。メフィボシェト自身は、足が萎えており、王座には付けない身でしたから、その点でダビテは安心していたと思われます。ですが、メフィボシェトには息子ミカがいました。彼がいつ寝返らないともかぎりません。
 その様な中でもダビデがメフィボシェト家族を手厚く扱ったのは、ヨナタンと交わした契約を実現するためでした(1節)。サウル王がダビデを殺そうとしていることがわかったとき、ヨナタンはそのことをダビデに知らせました。そして、ダビデを逃がす時ヨナタンは次のように言いました。「そのときわたしにまだ命があっても、死んでいても、あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し、…あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい。」(サムエル記上20章14〜15節参照)。ヨナタンが命をかけて自分を逃がしてくれた愛に答える意味でも、ダビデも命をかけてこの契約を果したといえます。
 3.私たちへの主の愛:ダビデがヨナタンとの契約を果したところから、父なる神様が私たちとの間に結んでくださった新しい契約を思わされます。それが、御ひとり子イエス・キリストが十字架で自らの命を捨てて、私たちを滅びから永遠の命に救い出してくださった愛の御業です。貴い十字架の血によって結んでくださった新しい契約です。
 私たちもメフィボシェトのように、「僕など何者でありましょうか。」(8節)という者に過ぎません。ですが、そこで引っ込まず、感謝のうちに、差し出されている救い主を受け取るところに、祝福が備えられています。
 (参考聖書箇所:サムエル記上4章4節、黙示録3章20〜21節)


記事へトラックバック / コメント


『確実に伝わっていった福音』

2017/03/26 15:51
2017年3月26日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   使徒言行録(使徒の働き)第25章13〜27節 
メッセージ 『確実に伝わっていった福音』
メッセンジャー 田中文人牧師

 今日は、2016年度最後の主の日です。有明キリスト教会では、午後、この1年間の恵みを感謝し、2017年度を望み見る総会を開きます。
 教会にはいろいろな働きがありますが、すべては、救い主イエス・キリストを宣べ伝える「伝道」の業です。その視点で、今日の聖書箇所を読むと、確実にキリストの福音が世界に伝わり、広がっていったことがわかります。
 1.仕事に忠実だったフェストゥス:新しくカイサリアに着任したローマ総督フェストゥスは、前任者のフェリクスとは違い、仕事に忠実な人物でした。その一端が、挨拶に来たアグリッパ王とベルニケ夫妻がパウロに会うことを望んだとき、すぐ翌日に会う場を設けたところにも現わされています。またその会見の場で「囚人を護送するのに、その罪状を示さないのは理に合わないと、わたしには思われるからです。」(27節)と言っているところからも伺い知ることが出来ます。福音が広がっていくために神様は、この様な人物を総督に遣わされたといえます。
 2.確実に伝わったキリストの復活:ひとつは、福音の内容です。「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」(19節)。
 フェストゥス自身は信じていませんでしたが、パウロが伝え続けていた福音の核心=キリストの復活がユダヤ教の指導者たちとパウロとの争点であることを捕えていました。このことを通しても人々の間にキリストの復活のことが伝わることになりました。
 私たちが伝える福音も、イエス・キリストが復活された事実です。聞く人が信じても信じなくても、とにかくキリストが十字架で死なれてから三日目に死者の中から蘇られた歴史の事実を伝えましょう。
 3.確実にローマ人に伝わった福音:もうひとつは、アグリッパ王夫妻とパウロとの会見の場にローマの千人隊長等、主だった人物たちが呼ばれたことです。26章でパウロはこれらの人々にもキリストの福音を大胆に語ります。パウロはイエスさまご自身からローマでキリストを証しするヴィジョンが与えられていましたが、カイサリアにいる時から既にローマ人たちに福音を伝える機会を得ていたことになります。この様にして、キリストの福音は確実にローマに向かって伝わっていきました。
 4.フェストゥスの的外れ:上記の様にキリストの福音が伝わるために用いられたフェストゥスでしたが、パウロをどの様に扱うかという大問題を解決していくとき、大きく的を外していた点がありました。それが、エルサレムのユダヤ人たちからは話しを聞き、アグリッパ王にも相談しましたが、パウロ自身からは十分に聞かなかったところです。フィリピの看守の様に、「救われるためにはどうすべきでしょうか?(使徒16章30節)とパウロに尋ねていたならば、さらに的を射た課題の解決と救いに導かれたはずです。
 私たちが大問題に直面する時も、人々に相談する以上に神様に祈り、キリストの言葉である聖書によく聞きましょう。そこから聖霊なる神様が最前へと導いてくださいます。

(参考聖書箇所:ヨハネ20章31節、使徒1章8節、使徒16章31節、ローマ10章9〜15節、Uテモテ3章16節)
記事へトラックバック / コメント


『祈りながら愛の業による改革をしたネヘミヤ』

2017/03/19 12:00
2017年3月19日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   ネヘミヤ記第13章1〜31節
メッセージ 『祈りながら愛の業による改革をしたネヘミヤ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 キリストを信じて十字架の血による罪の赦しをいただいたときは、みな感謝と喜びで満たされています。イエスさまが復活されたことを信じて永遠の命の約束にまであずかるのですから、死にさえも解決が与えられ、完全な天を望み見ながら希望のうちに新しい人生を進み始められます。この世の基準ではなく、天国の原則=神様を第一とし、自分を愛する様に隣人を愛する生活へと生き方が変えられます。
 ところが、クリスチャン生活に慣れて来ると、次第に救われる前の、自分と生活に戻ることがあります。そのような逆戻りにならず、成長しながら天を目指す歩を続けるには、どの様にしたらよいのでしょうか?

 1.もとに戻っていたイスラエルの民:城壁の奉献礼拝も終わり、ネヘミヤは、一旦ペルシアに帰りました。その後どれくらい後かはわかりませんが、再びネヘミヤは、エルサレムにやって来ました。すると、あれ程自ら悔い改めて内側の信仰を回復していた民は、以前の生活に戻ってしまっていたのです。

 2.ネヘミヤの改革(4〜29節):1)城壁修復工事を妨害したトビヤが祭司しか入れない神殿の部屋をネヘミヤの留守中に占領していました。そこで、彼と荷物を追い出し、祭具を収め直しました。 2)十分の一の献げ物が疎かにされていたため、祭司やレビ人たちがエルサレムの外で農作業等をして生計を立てていました。そこでネヘミヤは彼らを神殿に戻し、十分の一の献げ物を貯蔵庫に収めました。3)安息日に売り買いもしないという約束も破られていました。ネヘミヤは、安息日には商売人たちを徹底的に排除しました。 4)異教徒との結婚によって生まれた子どもたちがユダの言葉を話せなくなっていましたので、ネヘミヤは厳しく責め、その子たちを異教徒と結婚させないよう誓わせました。

 3.厳しさが伴う愛:この様に見て来ると、ネヘミヤはかなり厳しい改革をしたことがわかります。この改革は、「すべての異民族から彼らを清め、祭司とレビ人に守るべき務めを定め、それぞれその任務に就かせ」た(30節)とまとめられます。ですが、ただの厳しさではなく、神様の方からユダの民を愛してくださっている、その愛による、愛に答える改革だったといえます。

 4.何より祈っていたネヘミヤ:上記の様な愛による改革が断行できたのは、ネヘミヤが神様との交わりを常に保っていたからです(14節他)。
 神様は、いまの私たちも主の方から愛してくださっています。その極みが、イエス・キリストの十字架上での死、貴い血による罪の赦しです。御ひとり子を一端死に引き渡される程の愛です。ですから、そこには厳しさが伴います。イエスさまも神殿が強盗の巣になっていたことに対しては、厳しく宮清めをされました。受難節を過ごしているこの時期、この主の愛の大きさをしっかり受け止めましょう。聖霊の助けと励ましをいただきながら、主の愛に答える一週間に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:民数記22〜25章、申命記23章3〜5節、Tペトロ1章15〜25節)
記事へトラックバック / コメント


『正義の訴えを貫いたパウロ』

2017/03/12 12:00
2017年3月12日主の日礼拝式メッセージ要約

聖書    使徒言行録(使徒の働き)第25章1〜12節
メッセージ  『正義の訴えを貫いたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.職務に忠実だった総督フェストゥス:パウロがカイサリアで留置され二年が過ぎたとき、フェリクスに替ってフェストゥスが総督に着任しました。前任者と異なり彼は、職務を誠実に果そうとする人物でした。そのことが、着任後三日経った時、エルサレムを訪れたことにも現わされています。彼はエルサレムで、ユダヤ教の指導者たちからパウロについていろいろな訴えを聞き、エルサレムでもう一度裁判を開くことと、そのためにパウロを連れて来てほしいという要求を受けました。彼らは二年経ってもなおパウロを暗殺する陰謀を諦めていなかったのです。ですがフェストゥスは、パウロがカイサリアで監禁されていること、自分も間もなくカイサリアに戻ることを理由に、パウロについて不都合があるのであれば、有力者たちがカイサリアまで自分と一緒に来て告発するようにと話しました。このフェストゥスの忠実さも用いられ、パウロは守られたと言えます。

 2.フェストゥスによる裁判:カイサリアに帰るとフェストゥスは、さっそく翌日、裁判を開き、パウロを呼び出しました。エルサレムからやって来たユダヤ人たちは、いろいろと訴えましたが、立証することは出来ませんでした。パウロはここでも、律法に対しても、神殿に対しても、そしてローマ皇帝に対しても何も罪を犯してはいないことを弁明しました。ここまでであれば、二年前と同じように、裁判は行き詰ってしまうことになります。
 ところが、この後、事態は動きました。職務に忠実だったフェストゥスにもやはりローマの支配地域であるエルサレムのユダヤ人たちから気に入られたいという思いがありました。そこで彼はパウロにエルサレムで裁判を受けたいと思うかどうか尋ねました。

 3.正義を貫いたパウロ:この質問にパウロは、はっきりと自分はローマ皇帝の法廷で裁判を受けているのだから、…上訴する、と正義に立った意思を述べました。パウロはれっきとしたローマ市民でした。ローマ市民から皇帝の前での裁判の申し出があったとき総督は、それを実現していかなくてはなりません。フェストゥスは陪審員と相談したうえでパウロに「皇帝のもとに出頭するように」に答えました。このことによって、パウロのローマ行きが現実のものになっていったのです。

 4.タイミングを逃さないために:パウロは実にみごとに時を捕え、自分に与えられていたローマ市民の特権を用いました。そして、主から告げられていたローマへ行ってキリストを伝えるヴィジョンに大きく前進していきました。時を逃さず、特権を正しく用いることも、正義に生きることといえます。
 私たちも主から与えられているヴィジョンの実現に向かって、タイミングよく特権や賜物を用いることを願い出ましょう。そのためには、その時を祈っている必要があります。祈っているならば、主は必ず「時」を教えてくださいます。今週も正義の道を歩み通された救い主イエス・キリストに手を引かれながら、その御後に従ってまいりましょう。

 (参考聖書箇所:創世18章19節、エフェソ6章10〜20節、Uテモテ6章11〜12節)
記事へトラックバック / コメント


『大いなる喜びの城壁奉献礼拝』

2017/03/05 12:00
2017年3月5日 主の日礼拝式メッセージ要約

聖書   ネヘミヤ記第12章27〜47節 
メッセージ 『大いなる喜びの城壁奉献礼拝』
メッセンジャー 田中文人牧師

 「キリスト教会の礼拝」と聞くとき、どの様なことを思うでしょうか?厳か、静か、畏れかしこむ等、緊張感のある事柄を思い浮べるのではないでしょうか?
 今日の聖書箇所には、エルサレムの城壁修復工事を終えた民が、感謝の内に、喜びの城壁奉献礼拝をしたことが書いてあります。ここから、私たちも喜びに満ち溢れる礼拝を献げてよいことがわかります。

 1.身を清めた奉仕者たち(27〜30節):礼拝の前に、エルサレム周辺に住んでいた詠唱者(聖歌隊)の奉仕者たちが、呼び集められました。そして、身を清めて礼拝奉仕の備えをしました。奉仕者だけでなく、他の民と城壁、城門も清めました。
 私たちも喜びの礼拝を献げるためには、身を清めることが大切です。示された罪は日々悔い改め、十字架の血による赦しをいただきましょう。内側が聖霊で満たされることが、何よりの清めであり、礼拝への備えです。

 2.聖歌隊による礼拝のリード(31〜43節):詠唱者たちによって、ふたつの聖歌隊が編成されました。これら二隊は、同じ場所から出発し、一隊は反時計回りに、もう一隊は時計回りに楽器と歌で讃美しながら神殿に向け、城壁の上を歩いていきました。エズラとネヘミヤは、それぞれの聖歌隊に加わりましたが、彼らではなく、詠唱者たちが先頭に立って進みました。そして、神殿に着くと、大いなる生贄を献げ、さらに喜びに満たされた礼拝を献げました。詠唱者たちは、この礼拝のリードにも当たりました。
 私たちの礼拝も、聖歌隊が導くならば、いま以上に喜びに満たされるのではないでしょうか?有明教会にはまだ聖歌隊はありません。いつか、聖歌隊が編成され、毎週の礼拝をリードするところを望み見、祈りはじめたいものです。

 3.十分の一を喜んで献げた民(44〜47節):喜びの奉献礼拝を献げた民は、祭司たちが神殿奉仕に専念出来るよう、倉に初物の収穫物等の十分の一を持って来ました。そして、祭司たちがこれらの献げ物で養われ、奉仕することを喜びました。祭司たちも、それらの献げ物の十分の一を献げました。その他、門の警備にも民は喜んで立つようになりました。
 いまの私たちにとっても十分の一献金は、決して小さな額ではありません。本気で献げようとするならば、犠牲が伴います。ですが、一ヶ月導かれたことを感謝し、喜んで神様から与えられたものの中からお返しする思いで献げるならば、主は大きく祝福してくださいます(マルコ10章の2レプトン銅貨を献げたやもめの記事も参照)。生活の必要も神様は満たしてくださいます。そこに信頼して、大胆に献げましょう。
 今週も、喜びの礼拝からそれぞれの一週間の生活に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:詩編51編12節、マルコ12章41〜44節、ヨハネ4章、フィリピ4章4〜7節)
記事へトラックバック / コメント


『忍耐しながら伝道したパウロ』

2017/02/26 12:00
2017年2月26日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   使徒言行録第24章1〜27節 
メッセージ 『忍耐しながら伝道したパウロ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 計画(ヴィジョン)を実現していくとき、あるところで前に進まなくなることがあります。今日のパウロもその様な中にありました。

1.フェリクスの前で訴えられたパウロ:大祭司アナニヤは、長老数名と弁護士テルティロを連れてエルサレムからカイサリアに来ました。そして、総督フェリクスにパウロについて1)疫病(ペスト)の様な男であること、2)ナザレ人(イエス・キリスト)の分派の主謀者であること、3)神殿を汚そうとしたことを訴え出ました。

2.パウロの弁明:総督フェリクスから発言を促されたパウロは、喜んで(10節)上記3点について弁明をはじめました。1)については、エルサレムに帰って来て一週間しか経たないので、陰謀を企て、それを疫病のように広げることなど不可能であること。2)については、確かに自分は「ナザレ人の分派」と呼ばれているイエス・キリストを信じる者だが、旧約聖書全部を信じており、キリストの復活も信じ、自らの復活にも望みを抱いていること。3)については、神殿を汚すどころか何の問題も起きていなかったこと、自分を捕まえた者たちがここに来てそのことを話すべきであると述べました。

3.フェリクスの判断:これらを聞いた総督フェリクスは、千人隊長リシアが来るまで判決を先延ばしにしました(22節)。そしてパウロをそれまである程度の自由を与えたうえで留置しておくように命じました。フェリクスは、度々パウロを呼び出し、妻のドルシラと一緒に話しを聞きました。パウロからお金をもらう下心もあったからです。決局その様な日数は二年にも及びました。

4.パウロがしたこと:この様にパウロはカイサリアで2年間も足留めされることになりました。初めから「2年間」と決まっていたわけではありませんでしたから、パウロにとっては、いつまで続くのかわからない中で不安や心配もしながら過ごした年数だったはずです。
 その間にパウロがしたことが、フェリクスとドルシラ夫婦に福音を伝えることでした(24〜25節)。特に彼らは旧約聖書に反する結婚をしていましたからパウロは呼び出される度に、正義と節制について大胆に語りました。もちろん、その様な罪もキリストの十字架の血によって赦されること、復活を信じるならば、永遠の命の約束にもあずかれること等、キリストの愛についても語り続けたはずです。ですが、結局彼らは救いの恵みにを受け取る決心はしませんでした。それでもパウロにとってこの2年間は、忍耐を養うために大きく役立ちました。

5.私たちの信仰:私たちもヴィジョンがうまく進まなくなったときすることは、委ねられている働きに忠実に励むことです。神様は、ご計画に従って召された者たちを見捨てることはされません。「万事を益」にしてくださいます。そこに信頼しながら、忍耐強く主の栄光を現わす歩みに今週も遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:ローマ5章1〜5節)
記事へトラックバック / コメント


『城壁の奉献に当って』

2017/02/19 20:00
2017年2月19日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     ネヘミヤ記第12章1〜26節
メッセージ    『城壁の奉献に当って』
メッセンジャー  田中文人牧師

 有明キリスト教会では、会員ひとりひとりが賜物を献げ、礼拝式他の奉仕に仕えています。キリスト教会は、キリストの体に喩えられます。頭は救い主キリスト、教会員はキリストの体につながる各部分です。
 ところで、教会の奉仕に立つ時、いまの環境や状況が改善される必要はあるでしょうか?あるいは、直面している課題の解決は必要でしょうか?また、個人の賜物は、どれだけレベルが上がり、成長すれば、奉仕に立ってよいのでしょうか?
 1.城壁奉献式の奉仕に当たるレビ人祭司たちの名簿:ネヘミヤ記の12章の前半26節までには、エルサレムの城壁修復工事が終わった後、奉献礼拝に当たるレビ人と祭司たちのリストが記されています。日本語の聖書で読むと、カタカナが並んでいるだけのように感じるかも知れません。ですが、次の様に三区分された整った神殿奉仕者の名簿になっています。
 1〜11節が、この時よりも約百年前、バビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰って来た時の祭司とレビ人のリストで、シェアルティエルの子ゼルバベルとイエシュア以下、計22人でした。12〜21節が、その後の時代、ヨヤキムが大祭司だった時代の祭司たち、計22人です。そして22〜26節が、エルヤシブが大祭司だった時代のリストで、城壁修復工事の頃の祭司とレビ人たちのリストです。神殿で礼拝の奉仕に当たる部族は、アロンの家系、レビ人と定められていましたから、先祖をしっかり辿る必要があったといえます。
 2.欠けていた祭司の数:上記のリストは、歴代誌下(U)24章にもあります。ところが、歴代誌では24人挙げられているところ、今日のリストでは、22人です。捕囚中にわからなくなった家族があったのかも知れません。エルサレムに帰還した後、十分な人口調査が出来なかったことも考えられます。
  ここで聞き取りたいことは、この時のレビの家系が先祖の時代よりも数の点からも、また信仰の面からも十分ではなかったことです。それでも彼らはその不十分なままで感謝と喜びの内に、27節以後にある通り、主の奉仕に仕えていきました。
 3.私たちの奉仕:私たちが奉仕に立っていくときも、状況が良くなることや課題が解決することは、必ずしも必要ありません。大原則は、神様、イエスさまからその働きに仕えるように告げられているかどうかです。賜物も同様です。技術面に不十分さを感じているとしても、主の前に謙って賜物を差し出すならば、主ご自身が欠けを補ってくださり、用いてくださいます。もちろん、そこに甘んじて怠慢になってはいけません。より良い献げ物となるよう常に訓練は必要です。
 新年度を臨み見、備える時期になりました。ひとりひとりに主はどの様な教会の奉仕に立つよう示しておられるでしょうか?聖書のみことばと祈りによって主の招きを聞き取りましょう。その招きを確信したならば、いまの状況の中からその奉仕に立ちましょう。そこに祝福があります。

 (参考聖書箇所:T歴代24章、Tコリント12章19〜28節)
記事へトラックバック / コメント


『不思議な方法でカイザリアに運ばれたパウロ』

2017/02/12 12:00
2017年2月12日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録第23章12〜35節
メッセージ   『不思議な方法でカイザリアに運ばれたパウロ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 計画(ヴィジョン)が実現に向かう時、思いもよらない方法で進むことがあります。その点で、私たちは、思いも頭も柔軟にしておく必要があるといえます。
 パウロもローマまで行って証しをするというヴィジョンをイエスさまから告げられていました。今日の聖書箇所には、まずエルサレムから約100q離れたカイザリアまで行った時のことが記されています。ですが、その方法は、パウロ自身、思いもよらない運ばれ方でした。神様は、様々な人々を用いて着実にローマに向けてエルサレムを脱出させてくださったのです。

 1.暗殺計画をパウロに知らせた甥:おそらくサドカイ派と思われる人々が、翌日もユダヤの最高議会を招集し、そこにパウロが連れて来られる途中で殺してしまう暗殺計画を立てました。そのうえ彼らは、パウロを殺すまでは飲み食いをしないという誓いまで立てたのです。この企みに40名もが加わりました。
 ところが、この陰謀をパウロの妹の息子(甥)が聞きつけ、兵営に留置されていたパウロに伝えました。パウロは百人隊長に、甥を千人隊長のところに連れて行ってほしいと頼みました。この様にして、パウロの暗殺計画は、アッという間に千人隊長まで伝わりました。

 2.千人隊長の計らい:この陰謀を知った千人隊長は、その夜のうちに歩兵二百名、騎兵七十名、補助(槍)兵二百名を準備するように百人隊長に命令しました。この様にしてパウロは、過剰とも思える数の兵隊たちによって、その夜9時にエルサレムを出発し、カイザリヤに向け護送されていきました。

 3.千人隊長の手紙:千人隊長のクラウディウス・リシアは、カイザリヤに駐屯していたローマ総督フェリクスに手紙を書き、パウロのあつかいを委ねました。多少クラウディウス・リシアに都合のよいように事実と異なる内容もありますが、パウロがローマ法に反することではなく、ユダヤ人の信仰に関することで訴えられていることについては、しっかり書かれていました。この手紙を読んだ総督は、訴えている者たちがカイザリヤに到着するまでパウロをヘロデの官邸に留置することにしました。
 これらすべてのことの背後で、主の働きがあったことが読み取れます。

 4.私たちの計画実行:私たちの計画も、第1に、神様から告げられていることをしっかり確認いたしましょう。第2に、その計画が間違いなく主からのものであることを確認したならば、うまく進まない時があっても、「必ずなる」と信頼し続けましょう。第3に、計画実現に向けて具体的な方法は、私たちが立てたやり方に固執するのでなく、むしろ主が働かれるところに用いられることを願いましょう。

 (参考聖書箇所:イザヤ55章11〜13節)
記事へトラックバック / コメント


『エルサレムの民に祝福された人たち』

2017/02/05 12:00
2017年2月5日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    ネヘミヤ記第11章1〜36節
メッセージ  『エルサレムの民に祝福された人たち』
メッセンジャー  田中文人牧師

 良い条件と悪い方、選べるとするならば、どちらを選び取るでしょうか?わざわざ条件が悪い方を選択する人はなかなかいないかも知れません。ですが、聖書の原則によると、人の目や知恵では、どこから見ても悪いとしか思えない方に祝福が備えられていることもあります。大切なことは、神様が行く様に示しておられる方を選び取ることです。

 1.城壁修復終了直後のエルサレム:今から二千四百四十数年前のエルサレムには、人はあまり住んでいませんでした。神殿の再建も城壁の修復も民の内側の信仰回復も終わりましたが、肝腎のエルサレムに住む人が少数では、都という点でも神殿がある町という点でも相応しくありません。そこでネヘミヤは、当時御心を知るために用いられていたくじによって、移り住んで来る民を決めました。ですが、くじで神様からエルサレムに引っ越すように示されても、その通りには出来ない人たちもいたようです。それは、エルサレムでは、2.にある様な生活を覚悟しなくてはならなかったからです。ところが、その様な悪条件にもかかわらず、自ら進んで移住を申し出る人たちもあらわれました。

 2.エルサレムの生活状況:1)ユダヤ人以外の人たちが、エルサレムに住んでいる人たちに宗教的な理由から偏見を持っていたため、物の売り買いも思う様に出来ない状況でした。 2)エルサレムに家を建て直し、仕事もエルサレムでみつけなくてはなりませんでした。 3)神殿が近くなるので、エルサレムの外に住んでいる時よりも、より信仰深い生活が求められました。(以上、『ディボーショナル聖書注解』より)
 進んで移住を希望した人たちは、家族と一緒にそれまでの生活すべてを変える覚悟を決めて、申し出たのです。この決断は、既にエルサレムに住んでいた民たちから喜ばれ、祝福されました。神様ご自身も大きく祝福されました。

 3.救い主イエス・キリストを望み見て:私たちも、どこから見ても「悪条件」としか思えない方に進むように示されることもあります。その時は、イエスさまを思い出しましょう。イエスさまは、神様のもとから罪のこの世に、私たち人と同じ姿で来てくださいました。全人類を救い、天に迎え入れてくださるために、十字架の上で死なれました。私たちの身代りに神様から一旦完全に引き離される最大の苦しみまで味わい尽されました。その御ひとり子を神様は、十字架から三日目に死者の中から復活させられ、最大の課題である死にさえも勝利されました。
 このイエスさまが、いまも私たちと共にいてくださいます。助け主(ぬし)、聖霊を遣わし励まし、力を与えてくださいます。そこに信頼し、条件の良し悪しではなく、神様が行く様に示しておられる道を選び取ることを願い出ましょう。そこに必ず祝福があります。
 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(マタイ26章39節)

 (参考聖書箇所:詩編92編6節、使徒21章14節、フィリピ2章1〜11節)
記事へトラックバック / コメント


『わたしたちも神殿をおろそかにしません』

2017/01/29 12:00
2017年1月29日主の日礼拝式メッセージ要約

聖書   ネヘミヤ記第10章1〜40節
メッセージ 『わたしたちも神殿をおろそかにしません』
メッセンジャー 田中文人牧師

 エルサレム神殿の再建も、城壁の修復も終わり、御言葉(モーセの律法)に立ち帰り、悔い改めた民は、日常生活面でも、御心に適う歩みをはじめ直す決断をしました。今日の31節までに、誓約書に捺印した人たちの名簿が記されています。

 1.具体的な生活(32〜40節):32節以下が、民が立ち帰る決断をした掟に適う生活です。 1)異邦の民つまり偶像を拝む人たちとは結婚しないこと。(31節) 2)安息日と安息年を守ること(32節)=毎週の安息日(当時は土曜)には、物を売りに来ても買わない、七年の一度の安息年には、畑も休ませ、借金も免除する。 3)神殿税を納め、その献金は礼拝のために用いる。(33〜34節) 4)動物の献げ物を焼くための薪の納入(35節) 5)初物の献げもの(36〜37節)=主を第一にし、感謝する献げもの。 6)祭司のための献げ物=献げものを受け取った祭司たちもその10分の1を献げました。
 城壁の修復のためにも民は献品し労力も献げましたから、さらにこの掟に従う生活をしていくには、大きな犠牲が伴ったと思います。それでも民は、決断し、誓約しました。

 2.私たちにとっての神殿:私たちにとっての神殿もひとつは、キリスト教会といえます。もうひとつが、キリストの十字架の血によって買い戻された私たち自身です(Tコリント6章19〜20節)。

 3.私たちの決断:二千数百年前のイスラエルの民は、この様な誓約をしましたが、結局、これも守ることは出来ませんでした。
 いまの私たちには、これらの律法全部を実現してくださったイエス・キリストが差し出されています。ですから、イエスさまを「私の救い主」と信じるだけで、誰でも救いの恵みにあずかり、律法全部を行ったと見なされ、神様に受け入れていただけます。救われるのは、行いによらず、ただ信じるだけです。ですが、だからといってそれからのクリスチャン生活も救われる前と同じでよいということにはなりません。罪の赦しと永遠の命の約束をいただいたならば、その感謝の思いから、少しでも天国に迎え入れられる者に相応しく神の民の歩みを願い出たいものです。
 この機会に私たちも、今日の聖書箇所に沿って自分の生活を見直してみましょう。基準は、この世と妥協せず、神様を第一にすること、同じ様に隣人を心から愛すること、そして主の栄光を現わす生活です。そこに祝福があります。

 (参考聖書箇所:ローマ12章1〜2節、Tコリント6章19〜20節、〃10章31節)
記事へトラックバック / コメント


『エルサレムでキリストを力強く証ししたパウロ』 

2017/01/22 12:00
2017年1月22日 主の日礼拝式メッセージ要約
聖書  使徒言行録(使徒の働き)第22章30節〜23章11節
メッセージ 『エルサレムでキリストを力強く証ししたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 人前で説明を求められたり、申しひらきをしなくてはならない状況に立たされたりする時、私たちは、何を基準に語るでしょうか?
 1.議会の主導権を取ったパウロ:なぜパウロがユダヤ人たちから訴えられているのかを知るために開かれたユダヤの最高議会で、まずパウロは、自分は、イエス・キリストと出会い、救いの恵みにあずかってから「今に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。」(1節)と語り始めました。これは、主の前に、キリストと共に、聖霊の導きに従って歩んで来たという意味でしょう。これを聞いた大祭司アナニヤは、ユダヤの法律に反して、パウロの口を打つように命じました。そこでパウロは、このことに異議を唱え、「白く塗った壁よ…。」(3節)と、アナニヤを批判しました。最高議会でユダヤの法律に則らないような者が大祭司とはとても思えない、という思いが表わされている発言です。
 これに対して近くに立っていた者たちは、「神の大祭司をののしる気か。」(4節)とパウロの方を攻めました。そこでパウロは、「兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした。確かに『あなたの民の指導者を悪く言うな』と書かれています。」(5節)と旧約聖書の律法に沿って応じました。被告人であるはずのパウロの方が、議会をリードしている様子が読み取れます。

 2.賢く知恵を用いたパウロ:パウロのリードはまだ続きます。議員の一部が、ファリサイ派とサドカイ派であることを見てとったパウロは、自分もファリサイ派であること、復活に望みを抱いていることで裁判を受けていると発言しました(6節)。これを聞いた議場は、復活を信じていたファリサイ派と信じていなかったサドカイ派の議員たちの間で大論争が起き、分裂状態に陥りました。パウロの身に危険が及びそうになったため、ローマの役人たちは、彼を兵営に連れていき、彼の身は守られました。

 3.議会の主導権を握り、知恵を用いることが出来た理由:この様にパウロが議会を常に主導し、うまく知恵も用いていったのは、彼がローマまで行き、キリストの福音を伝える使命をイエスさまから与えられていたからといえます。もしもこの最高議会で決定が出されてしまうならば、ローマ行きが実現しなくなってしまうことが十分予想されました。そこでパウロはこのとき神様から、議会が決定を出さないように知恵が与えられ、それをうまく用いたと言えます。「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」(ルカ12章11〜12節)の御言葉通りです。

 4.日頃から心がけたいこと:私たちも説明や申しひらきを求められた時、語る基準は、「主の前で、与えられている目的のために語る」ことです。そこに立って大胆に語るためには、日頃から主との交わりをしっかり持ち続けていることが大切です。主との交わりは、聖書を読み、祈る時ばかりではありません。日常、社会生活の中で「手の業をする時も神様の前で憩いながら…」(『いのちのことば1月号「全生活をディボーションに」より)今週も聖書につながり祈り、その他の時も主の前で憩う歩みを続けましょう。予期せぬ事態に直面した時も、主は語るべきことを教えてくださいます。
 (参考聖書箇所:出22章27節、ルカ11章11〜12節、ヨハネ17章3節)
記事へトラックバック / コメント


『安息への道』

2017/01/15 12:00
2017年1月15日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    ネヘミヤ記第9章1〜37節  
メッセージ 『安息への道』
メッセンジャー 田中文人牧師

 私たちは、しっかり「安息」を得ているでしょうか?「安息」とは、「心身をやすらかにし、静かに休むこと。」(三省堂 大辞林)です。そこでまず思いつくことが、体をゆったりと休めることでしょう。忙し過ぎる時は、疲れ切ってしまいますから、体力回復のためにも身体を休める必要があります。また心も休めて、「身心」の両方に安らぎを得ていくことになります。心の休息には、スポーツや趣味等、リフレッシュ出来ることが有益です。ですが、それだけで本当に「安息」が得られるでしょうか?

 1.半日礼拝した民(1〜5節):ネヘミヤ記9章には、仮庵の祭りを終えた二日後(ユダヤ歴の7月24日)にもう一度集まったときのことが書いてあります。民は、心から罪を告白して悔い改めました。そして、日中の四分の一の時間、律法の書の朗読を聞き、他の四分の一の時間は、悔い改めの祈りをしました。
 日中の四分の一の時間は、約三時間に当たります。いまの私たちは、三時間、聖書朗読をしたり聞いたり、礼拝すると聞くと、どう感じるでしょうか?今日の9章一章分(37節)でも、「長い」と感じないでしょうか?いまから二千数百年前、エルサレムの城壁の修復を終えた直後の民は、それ程御言葉に飢え渇いていたといえます。私たちもその日の聖書箇所が短く感じるくらい、「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳(聖書の御言葉)を慕い求め」ましょう(Tペトロ2章2節)。

 2.心から祈った民(6〜37節):民は、父なる神様が、アブラハムの時から、慈しみと哀れみをもって導き続けてくださったことを先祖の歴史を振り返りながら感謝しています。それに対して先祖たちは、神様に背いては立ち替える繰り返しであったことを告白しました。また、その同じ罪は、先祖だけのことでなく、自分たちの罪でもあることも認め悔い改めました。
 神様は私たちにも同じ様に慈しみと哀れみを注ぎ続けてくださっています。ですが、当時の民と同様、私たちもその主の愛に感謝しては背き、また立ち替える繰り返しではないでしょうか?私たちには、その様な罪を完全に赦してくださる救い主イエス・キリストによる赦しの道が差し出されています。イエスさまの十字架の血による赦しをいただくならば、誰でも、どこからでも神様との関係の回復が与えられます。人との関係にも回復の道が開かれます。そのうえ復活を信じるだけで、永遠の命の約束までいただけます。

 3.安息を得るために:本当の「安息」は、霊が神様、隣人との関係に回復が与えられるところから始まります。まずは、礼拝をライフサイクルの中心に据えましょう。礼拝が何よりの安息の時です。次に、毎日聖書につながり、神の国の原則を聞き取りましょう。今週も「あなたは正しく行動されました。」(33節)と祈りながら、主からの安息をいただき、主の栄光を現わす生活に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:フィリピ4章6〜7節)
記事へトラックバック / コメント


『賢く特権を用いたパウロ』

2017/01/08 12:00
2017年1月8日主の日(新年)礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第22章17〜29節
メッセージ 『賢く特権を用いたパウロ』
メッセンジャー   田中文人牧師
 キリスト信仰者にとって、最大のヴィジョンであり目指すところは、完全な天国で安らぐことです。ですが、この世で生かされている間も、様々なヴィジョンが示されます。そのヴィジョン(目標)が人生の節目にもなるといえます。
 1.パウロに与えられていたヴィジョン:今日の聖書箇所には、パウロにとって同邦の民だったユダヤ人から捕えられ、ローマの役人に引き渡された時、パウロがユダヤ人たちに話したことが書いてあります。その中でパウロは、キリストと出会い、自分が迫害していたイエス・キリストが間違いのない救い主であることを思い知らされ、クリスチャンに回心しました。そこで今度は、同じユダヤ人たちにこの救い主を伝えることが使命だと感じ、伝えていました。その様な時エルサレムで祈っていると、イエスさまが再び出会ってくださり、すぐにエルサレムから出て行くように、出て行って、ユダヤ人ではなく、異邦人にキリストの福音を伝えるように、と告げられました。これが、パウロに与えられた主からのヴィジョンでした。
 私たちのヴィジョンも、自分の思いや希望に沿うことばかりとはかぎりません。パウロのように、思いもよらない働きを告げられることもあります。ですが、聖書によく照らし、祈っても、その様に示されるならば、それこそが、主からのヴィジョンと受けとめ、その実現に向けて一歩踏み出しましょう。
 2.ユダヤ人たちの反応:当時のユダヤ人たちにとって、イスラエルの民以外の異邦人が、キリストの福音を聞いて救いの恵みにあずかること等、全く受け入れられないことでした。そこで彼らは、パウロから異邦人伝道のヴィジョンを聞いた時、猛反発し、激怒したのです。
 私たちも、先入観に捕われていると、イエスさまからのヴィジョンを受け入れられないことがあり得ます。その様にならないために、いつも、心を柔らかくし、御言葉に聞くようにしましょう。人の意見を通して神様は御心を示されることもあります。人が言うことにも、心を柔らかくし、そこから主のヴィジョンを聞き取る様にしたいものです。
 3.パウロに与えられていた特権:ローマの役人たちは、ヘブル語やアラム語がよくわからなかったようです。そのためにパウロが同邦のユダヤ人たちに語った内容と、それを聞いたユダヤ人たちがなぜさらに激しく怒っているのか、理解出来ませんでした。そこでパウロを鞭で打って、そのわけを知ろうとしました。
 その時パウロが百人隊長に告げたことが、自分は、ローマの市民権を持っていることでした。ローマ市民を裁判にもかけずに鞭打つことは、違法であり、逆に役人の方がローマ帝国から罰を受けることになりかねません。そこで百人隊長は、上司の千人隊長に報告しました。千人隊長は、パウロが生まれながらのローマ市民であることを確認すると、恐れを感じ、パウロを縛っていた紐を解きました。当時の鞭打ちは過酷で、命を落すこともありました。ですから、パウロは実に良いタイミングでローマの市民権を用いたと言えます。
 私たちも、主から与えられているヴィジョン実現のためであるならば、パウロの様に、与えられている特権や賜物を時に適って用いることが大切です。その時や方法も、よく祈り、聖書に聞く毎日を続ける中で、示されていきます。今年もまずは主からのヴィジョンを願いましょう。そして、与えられたヴィジョンに向かい、特権や賜物を十分に用いましょう。
 (参考聖書箇所:箴言29章18節)
記事へトラックバック / コメント


『神に喜ばれるように仕える一年を』

2017/01/01 12:00
2017年1月1日主の日(新年)礼拝式メッセージ要約
聖書    ヘブライの信徒への手紙第12章1〜29節
メッセージ  『神に喜ばれるように仕える一年を』
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.年頭に当たって: 新年、おめでとうございます。この一年、どの様な希望を抱いて、いま礼拝しておられるでしょうか?昨年は、熊本震災はじめ、国内外で様々な災害もありました。政局でも、平和とは逆の方にどんどん進んで行ったとしか思えない一年でした。外国では、あちこちでテロも起きました。その様な中で迎えた2017年、何から目を離さずに歩むことを願えば、一歩一歩着実に天へ向かえるのでしょうか?
 2.キリストから目を離さずに: 11章でヘブル書の記者は、旧約時代の信仰の大先輩たちの名を記してきました。私たちもそれらの信仰者に囲まれているのですから、身軽になって、定められている競走を忍耐強く走り抜くようにと勧められています(1節)。その時、何といっても、信仰の創始者であり完成者である救い主イエス・キリストから目を離さないことが大切です。
 人生の走路には、様々な労苦もあります。疲れを感じることもあります。その時は、天に入れていただく時、より相応しくしていただくために、霊の父(神様)が鍛錬してくださっていると受け止めましょう。そして、最大の苦しみを忍耐してくださったイエスさまを思うならば、私たちにも耐える力が与えられます。
 3.聖なる生活を願って: では、具体的に、毎日願い、目指すことは何でしょうか? それが、「聖なる生活」(14節)です。キリスト信仰者は、罪のこの世から救い出され、聖なる神様に受け入れていただいています。感謝のうちに、次のことを目指したいものです。
 1)主の日の礼拝を第一に=聖なる神様を第一にすることとは、何といっても礼拝第一の生活を目指すことです。今年も、主の日の礼拝出席を生活の中心に据えましょう。どうしても難しい時は、様々なことで補いましょう。礼拝第一の生活が、神様を全身全霊で愛することになります。
 2)倫理道徳面=キリスト信仰者は、聖書の価値観で生かされています。この世では「当たり前」とされていることでも神様が喜ばれないことが多くあります。隣人を愛することを基準にし、特に、倫理道徳面では、身を正したいものです。それが、良き証しにもなります。
 3)偶像から離れる=「これだけは、手離せません…。」というものや思いがあるでしょうか?もしも、「手離しなさい…。」と神様から告げられた時に手離さず、握りしめたままでいるならば、それも「偶像」です。神様は、私たちに出来ないことは要求されません。聖霊なる神様の励ましと助けを必ず送って共に歩んでくださいます。そこに信頼して、気付かされている偶像からは離れることを願い出ましょう。(Tペトロ4章3節以下、参照)

 今年は、マルティン・ルターの宗教改革から500年目です。私たちも、例年に増して、聖書に立ち帰る一年になるよう、主に期待しましょう。

 (参考聖書箇所:Tペトロ4章3〜10節)
記事へトラックバック / コメント


『救い主イエス・キリストの愛』

2016/12/25 21:43
2016年12月25日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第21章39〜22章16節
メッセージ 『救い主イエス・キリストの愛』
メッセンジャー   田中文人牧師

 クリスマスおめでとうございます。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日です。「クリスマス」は、クリスト・マス(ミサ)=救い主を礼拝するという意味です。霊なる神様の助けと導きを得ながら、父なる神様、救い主イエス・キリストを礼拝することが、理に適ったクリスマスのお祝いです。

 1.パウロの証し:今日の聖書箇所には、エルサレム神殿で同邦のユダヤ教徒たちに捕えられ、ローマの役人に引き渡されたパウロが、イエス・キリストを大胆に証ししたことが書いてあります。彼は、要塞に連れて行かれようとした時、自分を捕えた人たちに話しをさせてほしいと申し出ました。
 その申し出が役人たちに認められ、まずパウロが語ったことは、自らも彼らと同じ生粋のユダヤ人であること、以前は、自分もキリストを信じている人たちを迫害していたことです。最初の殉教者ステパノの死にもパウロは立ち合い、石を投げつける許可まで出したことも話しました。
 その様なパウロに復活されたイエス・キリストが、出会ってくださいました。その時も彼は、キリスト信仰者を迫害するためにダマスコに向かっている途中でした。彼は突然光に照らされ地面に倒れました。そして、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と語りかけられる御声を聞いたのです。この時ようやくパウロは、それまで自分が迫害していたキリスト信仰者たちが信じていたイエスさまが、本当の救い主であられること、事実復活して生きて働いておられることを思い知らされました。
 そして、そのイエスさまから今度は、パウロが選ばれ、アナニヤを通して、罪を悔い改め、バプテスマを受けてキリスト信仰者になるように告げられたのです。そのうえ、これからは、救い主を伝える働きに遣わされるというイエスさまのご計画まで知らされました。

 2.私たちも選んで遣わされる主:自分を迫害していた者を選んで、遣わす人が、どこの世にいるでしょうか…?しかも、イエスさまは、迫害する人のためにも十字架で死んでくださいました。ここに、キリスト信仰の「愛」が現わされています。
 私たちもパウロ程ではないにしても、イエスさまのことを知ろうとしなかったり、神様のみ業ではなく、自分の智恵と力で人生を切り開き、生きていると思っているところがあるのではないでしょうか?それらも、キリストを無視し、神様に背を向ける、的外れ(罪)です。
 その様な私たちにもイエスさまは聖書のみ言葉を通して語りかけ、イエスさまを「救い主」と信じて主と共に歩む人生に招き続けてくださっています。主からの招きを聞き取ったならば、私たちも、いまのままで信仰の手を出して、救い主を受け取りましょう。キリストを受け取る時、聖霊によって魂はつくりかえられ、新しい人生が始まります。そして、日々キリストに似るところに近付けられ、自分中心ではなく、主の栄光を現わす人生に立ててくださいます。主の愛を感謝するクリスマスの一日を過ごしましょう。

 (参考聖書箇所:ルカ1章34節、Tヨハネ4章9〜10節)
記事へトラックバック / コメント


『魂の回復U = 御言葉を調べて実行した民』

2016/12/18 12:00
2016年12月18日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   ネヘミヤ記第8章13〜18節
メッセージ 『魂の回復U = 御言葉を調べて実行した民』
メッセンジャー 田中文人牧師

 城壁の修復も終わり、町の安全も守られるようになりましたが、なお民は幸福ではありませんでした。礼拝がおろそかにされ、聖書(神の国)の原則に沿う日常生活から離れていたままだったからです。ですが、ユダヤの暦で第7の月(いまのカレンダーでは10月頃)の第一日に、イスラエルの民は、エズラのもとに自発的に集まり、律法の書の朗読を願い出ました。そこから魂の回復が与えられていきました(8章1〜12節)。今日の箇所には、その翌日のことが書いてあります。

 1.御言葉を深く悟ろうとした民: すべての民の家長たちは、エズラのところにもう一度集まり、律法の書(創世記〜申命記)の意味を深く悟ろうとしました。「悟る」は、「調べる」とも訳されています(新改訳)。
 私たちも聖書のひとつひとつの聖句につながること自体によって、霊で神様との交わりが与えられます。ですが、聖句の意味をしっかり知ることにより、神様、イエスさま、聖霊なる神様のご性質を深く知らされます。そのためには、その聖書箇所の意味をよく調べることが大切です。ベレアの人たちも、パウロが語るメッセージが聖書(旧約)通りかどうか、よく調べました。その結果、多くの人たちが救い主を信じる信仰にあずかりました(使徒17章11〜12節、参照)。

 2.御言葉を行なった民: 律法の書をよく調べた民は、仮庵の祭りをするよう、神様が命じておられることを悟りました。そこで、その通りに枝を集めて仮の小屋をつくり、一週間、そこに住み、実際に野宿同然の生活をやってみたのです。ただ、先祖がやっていたことを再現しただけではありませんでした。城壁が完成したこと、そのため仮庵に泊まっても安全が守られることを実感し、主の大きな恵みを心から感謝したのです。
 私たちも、御言葉を調べてその意味を悟ったならば、その聖句をやってみることが大切です。御言葉を実践してみることによって、自分勝手に生きていた時とは全く違う、主の恵みと聖霊の守りを体験出来ます。

 3.喜びに満たされた民: 仮庵に住んだ民は、喜びに満たされ、祝いました。
 私たちは、「聖書から聞き取った意味に沿って生きるように」と聞くと窮屈に思うかも知れません。ですが、それは逆です。天国の原則に沿う歩みをしてみるのですから、最も安全で、祝福され、喜びに満たされます。
 救いは、御言葉を実行することによっては得られません。ただイエス・キリストを「救い主」と信じるだけで与えられます。キリストを信じるだけで律法も行なったことと見なしていただけます。ですが、そのキリストを信じ、信頼して新しい人生をはじめたのですから、キリストが歩まれたように生きたいと願い出たいものです。そこに、喜びと祝福される人生があります。今週も、御言葉を調べ、遣わされる所で実践してみましょう。

 (参考聖書箇所:使徒17章10〜12節、ヤコブ1章22〜25節)
記事へトラックバック / コメント


『覚悟を決めていたパウロ』

2016/12/11 12:00
2016年12月11日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第21章1〜16節
メッセージ  『覚悟を決めていたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 ヴィジョンの実現のためには、覚悟を決めて一歩踏み出すことが大切です。覚悟がなければ、反対や困難に直面したとき、挫折しかねません。それでは、ヴィジョンはとても実現していきません。その覚悟は、どこから与えられるのでしょうか?

 1.各地で反対されたパウロ:第三回伝道旅行の帰り道、パウロたちの一行は、ミレトスでエフェソの人たちに別れのメッセージをしてから、船を乗り継ぎ地中海を渡ってティルスに着きました。荷物の積み降ろしの間の七日間、パウロたちは、現地の弟子たちと主にある交わりをしました。ところが弟子たちは、霊に動かされ、パウロにエルサレムには行かない様に繰り返し言いました。それでもパウロは、七日後、また船に乗り込み、エルサレムを目指して出発して行きました。
 プトレマイスを経て次に立ち寄った場所はカイザリヤでしたが、そこでは、預言をする4人の未婚の娘を持つ宣教者フィリポの家に泊まっていました。すると何日か経った時、ユダヤからやって来たアガポが帯で自分の手足を縛って、エルサレムに行くならば、この様になると示しました。そこで、同行していたルカたちもパウロにエルサレム行きをやめる様、しきりに頼みました。
 ですが、その時のパウロの答えが、「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」(13節)でした。これを聞いたルカたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐみました(14節)。
 パウロはこの様に何度もエルサレムで苦難に会うことを告げられましたが、それ以前に彼自身にもイエスさまから知らされていました。ですから、パウロにとってこれらの預言は、主から告げられていたことを確認したに過ぎなかったといえます。
 2.御言葉による覚信と覚悟:ですが、いくら事前に主から直接知らされていたとは言え、なぜパウロはこれ程までに覚悟を貫き通せたのでしょうか?それは、やはり同じ主イエス・キリストからその先のヴィジョン=ローマに行きキリストを伝える使命=まで与えられており、そのヴィジョンのためにイエスさまご自身がパウロを遣わし、守るという御言葉まで与えられていたからです(使徒22章21節参照)。そこでパウロの覚悟は、彼自身の強さによるのではなく、御言葉によるものだったのです。ですから、いくら人々から苦難を予告されても、全く怯むことなくローマを望み見ながら、エルサレムに向かって、進み続けられたのです。
 3.私たちの覚悟:私たちもヴィジョンの実現に向けて一歩踏み出し、進み続ける時、覚悟が必要です。私たちには、聖書66巻が完成して与えられています。祈りと聖書によく聞くことを通して、何より聖句によって主から与えられたヴィジョンであることを確認しましょう。その確認が与えられるならば、覚悟も決まります。主から決断に導かれた覚悟であるならば、反対して来る人たちにも配慮を示しながら、ヴィジョンの実現に向かって進み続けられます。パウロも、反対者たちに愛を示し配慮を忘れませんでした。だからこそ多くの弟子たちが別れを惜しんで船まで見送りに来たのでした。

 (参考聖書箇所:マタイ16章24〜25節、タマルコ8章31節、ルカ9章51節、使徒20章22節、)
記事へトラックバック / コメント


続きを見る

トップへ

月別リンク

有明キリスト教会ブログ--今週の聖書の言葉/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる