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有明キリスト教会ブログ--今週の聖書の言葉
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日本バプテスト連盟 有明キリスト教会 主日礼拝「宣教」要約
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『ソロモンの知恵による王国の確立』

2018/05/26 09:48
2018年5月20日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上第2章12〜46節  
メッセージ   『ソロモンの知恵による王国の確立』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.ペンテコステを感謝して:今日は今年のペンテコステです。イエスさまは、十字架で死なれてから三日目に死者の中から復活されました。その後40日間、人々に復活の姿を現わされました。それから弟子たちが見ている前で天に引き上げられました。その10日後に、イエスさまが約束された聖霊が弟子たちの上に降りました。この聖霊の力によって弟子たちは、以前とは見違えるように大胆に世界各地でキリストの福音を伝えていきました。同じ聖霊はイエスさまを「私の救い主」と信じた一人一人にも注がれます。今日もそのことを感謝しましょう。
 2.母よりも御心を優先したソロモンの知恵(13〜25節):今日の聖書箇所には、イスラエル第二代目の王座に着いたソロモンが、父ダビデ王の遺言に沿って4人の危険人物に対処したことが記録されています。
 一人目は自分が王座に着こうとしたアドニヤです。彼はダビデ王の晩年に仕えていたシュネム人の女アビシャグを自分の妻に迎えることをソロモンの母バト・シェバを通して願い出ました。しかしこれは王座を狙う表明に他ならず、以前にソロモンから言い渡されていたことにも反することでした(列王上1章52〜53節参照)。そこでソロモンは、今回は厳しく対応し、彼を討ちました。それが、イスラエル王国をソロモンによって確立する神様の御心に沿うことだったからです。
 ここでソロモンの知恵は、実の母バト・シェバからの願いよりも神様の御心を優先したところです。私たちも神様の御心と人との関係の板ばさみになることがあります。その葛藤もすべてご存知の主に信頼し、御心の方を選び取れるよう、聖霊の助けを願い出ましょう。
 3.預言の実現に用いられたソロモンの知恵(26〜27節):二人目は、祭司アビアタルです。彼はアドニヤの謀反に協力しました。ですがソロモンは彼が父ダビデを大きく支えたこと、主に仕える祭司であるので命を取ることには慎重でなくてはならないことを考慮し、アナトトの自分の耕地に帰るように命じました。この様にしてエリの家から祭司が絶えることになりましたが、これは、預言者によって告げられていたことの実現でした。
 4.律法に従ったソロモンの知恵(28〜35節):上記2人のことを知ったヨアブは、祭壇の角を掴んで命乞いをしました。彼の罪はアドニヤに味方したことと、ダビデに仕えていた時、自分の思いでアブネルとアマサを殺し、平和な時に血を流したことも挙げられています(列王上2章6節)。これは律法に反する罪であり、祭壇のもとからでも連れ出して処刑することが出来ました(出エジプト21章14節)。そこでソロモンは、ヨアブに祭壇から降りて来る様に命じましたが、彼が言うことを聞かず、その場で死ぬことを申し出たため、その様に対処しました。御言葉の原則に従ったことが、何よりのソロモンの知恵といえます。
 5.自滅に追い込んだソロモンの知恵(36〜46節):4人目はシムイです。彼は、ダビデを呪ったり出迎えたりと心変わりをする人物で、やはり危険でした。ソロモンは、彼にエルサレムに家を建てさせ、軟禁状態に置きました。そして、もしもエルサレムから出る様なことがあるならば、命を取ると命じました。ところが三年後、シムイはこの約束と恵みを忘れたのか、逃げた僕を追ってエルサレムから出ました。そこでソロモンは約束通り彼を討ったのです。シムイは自滅したことになります。
 私たちもソロモンの様に主よりの知恵を願い出ましょう。シムイの様に与えられた恵を忘れることなく、何より救いの恵みに感謝しながら聖霊に導かれ、今週も主の栄光を現わす歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:出エジプト記21章14節、列王記上1章51〜52節、詩編103編2節)
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『祈りと証しの生活を』

2018/05/26 09:47
2018年5月13日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第4章2〜6節  
メッセージ   『祈りと証しの生活を』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.母の日に当たって:今日は「母の日」です。母の日は、アメリカのキリスト教会から始まりました。有明教会では、今日も教会の母親役の女性方の働きを神様に感謝して、祝福祈祷をいたします。それぞれの母にも、何よりその母を遣わしてくださった神様に感謝を表しましょう。

 2.ひたすら祈るように(2〜4節):2〜6節は、パウロがコロサイ教会の教会員たちに書き送った最後の勧めです。その勧めのひとつ目が、「ひたすら祈る」ようにです。「ひたすら」は、「たゆまず」(新改訳聖書三版)、「たゆみなく」(同2017)です。1日中祈りにだけ時間を使う様にという意味ではありません。忍耐強く、明きらめずに祈り続けるようにとの勧めです。粘り強く、目を覚まして、目の前にいる人と対話をする様に、感謝の内に毎日祈り続けましょう。
 何を祈るのかが大切です。ひとつは、自分のためばかりでなく、人のための祈りです。また、自分のために祈ってもらうように祈りの要請をすることも必要です。そして、最も願い出たい内容は、「キリストの秘められた計画を語ることができる」ように=イエス・キリストが救い主であられることを聖書から大胆に語り続けられるように(3節)です。そこには労苦も伴います。私たちの祈りは「苦しみから解放されるように」というところで終わっていないでしょうか?「御心がなるように」(マタイ26章39節)と祈りの模範を示してくださったイエスさまに倣ってたゆみなく祈りましょう。

 3.時を用いて賢くふるまうように(5節):「ふるまう」は「知恵によって歩む」という意味です。この知恵は、キリストの知恵、神様の賢さです。私たちもソロモン王が願った様に、神様の知恵を願いましょう。その知恵は、聖書全体に示されています。その知恵によって日常生活を歩む中で、時を用いてキリストを紹介しましょう。

 4.塩で味付けされた言葉で語るように(6節):上記3.は、行動による証しといえます。もうひとつが言葉による証しです。塩は生きていく時に欠かすことが出来ません。体調管理にも必要です。適度に塩味が効いている食べ物は、好んで食べられます。その様な言葉を使うならば、人々からも聞いてもらえます。

 5.聖霊を願って:祈りにしても行動と言葉による証しにしても私たちの力ではとても出来ません。ですが、神様に不可能はありません。そこで助け主、聖霊の力と満たしを願いましょう。特に知恵については、「だれにでも惜しみなくとがめだてしないで」(ヤコブ1章5節)神様は与えてくださいます。
 今週も、ひたすら祈り、時を用いて神様からの知恵によって行動し、そして塩味の効いた言葉を語ることによって、主の栄光を現わす生活に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:イザヤ42章、マタイ12章18〜20節、〃26章39節、ヤコブ1章5節)

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 『何を言い残しますか?』

2018/05/26 09:46
2018年5月6日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上第2章1〜11節  
メッセージ   『何を言い残しますか?』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 いよいよダビデにも死期が近付きました。今日の聖書箇所には、次のイスラエル国王ソロモンにダビデが告げた遺言が記されています。それが、「あなたは勇ましく雄々しくあれ。」(2節)です。どういう意味でしょうか?
 また、5節以下には、三人について、対処が述べられています。ヨアブとシムイは平安の内に世を去らせることのない様に、一方バルジライの息子たちには、現代の年金を与え、手厚く生活を保証するように、です。

 1.モーセの律法のとおりに歩むように(3節):ひとつは、「あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ。」です。モーセの律法と聞くと、厳しい掟の様に思うかも知れません。ですが、富んでいる人たちが貧しい人や弱い人たちの欠けを補い、満たすようにと定められています。イスラエルの国をその様な視点で運営するように、ダビデは言い送りました。「そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる。」(3節)。王家も国民も大きな祝福が与えられます。

 2.子孫が主の道に歩むように(4節):ダビデには神様から、ダビデの家系が絶えることはないと約束されていました(サムエル下7章14節参照)。だからといって、主から離れたり神様が喜ばれないことをしたりしても「大丈夫」ということではありません。その様なところに流れるならば、神様は一端ダビデ家を周辺諸国の手に渡されることもあります。そうならないために、ソロモン以下ダビデ家の人たちは、しっかりと主の道に歩むようにとダビデは言い残しました。

 3.約束を守られた神様:ソロモンは、初めのうちは上記1.2.に従っていましたが、次第に逸れていきました。その結果、次の代のレハブアム王の時、イスラエルは北と南に分かれてしまいます。さらに、北イスラエルは紀元前721年頃アッシリアに滅ぼされ、南ユダも同586年頃、バビロン捕囚に遭いました。一端神様はダビデ家を絶やされた様に思われます。
 ですが、紀元前538年、ペルシャ帝国のクロス王の時、バビロンからエルサレムに帰還が許されました。それから約500年後、ダビデの家系からイエス・キリストがお生まれになります。そして十字架によって全人類を救う御業を実現してくださいました。神様はダビデに告げられた約束を確実に守られました。

 4.私たちが言い残したいこと:それは、「勇ましく雄々しくあるように」です。自分の力に頼って強く生きるのではありません。神様を信じ、救い主に手を引かれながら聖霊の導きに委ねて生きるようにです。受け身の様に感じますが、最も安全で強い道です。確実に天にまで導かれます。
 まとめるならば、第一に神様を愛すること、続いて同じ様に隣人を愛することです。そのスタート地点は、罪の赦しと永遠の命の約束をしっかりいただくことです。キリストとキリストにある人生を伝えること、それが私たちの遺言です。

 (参考聖書箇所:サムエル下7章14節、マタイ22章37〜40節)
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『ソロモン王の即位』

2018/04/29 13:00
2018年4月29日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    列王記上第1章32〜53節  
メッセージ   『ソロモン王の即位』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.ソロモンの即位式(32〜40節):前回(4月15日)に聞き取った1章31節までには、晩年のダビデが、息子アドニヤから謀反を起こされた時ようやく自分の次の王がソロモンであることをはっきりさせたことが書いてありました。続く今日の箇所には、その後すぐにダビデがソロモンの即位式を行なうように、祭司ツァドク、預言者ナタン、ヨヤダの子ベナヤに指示したところからはじまっています。彼らはすぐにソロモンをダビデ王の“らば”に乗せてギホンという所に下って行きました。そして、神様が王や祭司たちを任職される時のやり方に則ってソロモンに油を注ぎ、正式な即位式をしました。

 2.逃げ出したアドニヤと仲間たち(41〜53節):ソロモンの即位式が行なわれたギホンから遠くないエン・ロゲルでは、アドニヤが将軍のヨアブたちと王座に着いたことを祝う食事会を行なっていました。ですが彼らの式は、羊、牛、肥えた家畜を屠ってささげてはいましたが、神様が立てられるやり方ではなく、ただの宴会に過ぎませんでした。そこえ祭司アビアタルの子ヨナタンが来て、ギホンでソロモンが正式な王に立てられたことを告げました。
 これを知ると、ヨアブたちは自分たちが謀反者であるとみなされるならば命がないことを悟り、アッという間に逃げ出しました。自分の命をかけてもアドニヤと最後まで行動を共にする者はひとりもいなかったことがわかります。アドニヤ自身も祭壇の角をつかんで命乞いをしました。

 3.御心だけがなること:上記イスラエル王国の王座争いから私たちが聞き取りたいことは、王座を狙って策をめぐらし実行したとしても、結局は御心だけがなることです。神様の御心は、アドニヤではなく、ソロモンがダビデの次の王座を継ぐことでした(サムエル記下7章14節参照)。
 ですが神様は人を用いて御心を実行されます。そこで私たちも「何をしていても御心だけがなるのだから…。」と言っているだけでなく、御心が実現するところに用いられることを願い出ましょう。主の最終的な御心は、イエスさまの再臨です。現代でも人がどの様に動こうとも、この世は再臨に向かっています。イエスさまを待ち望む中で、私たちは一人でも多くの人たちが再臨の時実現する天国(完全な新天新地)に入れてもらえるよう、魂の救いを願って伝道することが命じられています(マタイ28章18〜20節参照)。また、平和づくりの働きに励むこと、弱者と共に生きることも勧められています。

 4.ソロモン王の判断:命乞いをしたアドニヤにソロモン王は、「彼が潔くふるまえば髪の毛一筋さえ地に落ちることはない。しかし、彼に悪が見つかれば死なねばならない。」と告げました(52節)。そしてアドニヤに自分の家へ帰るように命じました。このソロモンの判断は、イエスさまが姦淫の場で捕えられた女性に言われた御言葉と重なります(ヨハネ8章11節参照)。イエスさまもただ「罪に定めず、許すから帰りなさい。」ではなく、「これからは、もう罪を犯してはならない。」と言い渡されました。
 今週も示された罪(的外れ)はすぐに悔い改め、十字架の血による赦しをいただきましょう。そして、少しでも御心が実現するために、主の栄光を現わす歩みに用いられましょう。

 (参考聖書箇所:サムエル下7章14節、ヨハネ8章11節、Tテサロニケ5章9〜11節)
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『何ごとも主に対してするように』

2018/04/22 13:00
2018年4月22日主の日礼拝メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第3章18〜4章1節  
メッセージ   『何ごとも主に対してするように』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 3章の前半でパウロは、キリストを着て生きるようにコロサイの信徒たちに書き送って来ました。今日の3章後半には、極めて具体的な人間関係のあり方について勧められています。それらが、夫婦(18・19節)、親子(20・21節)、そして僕と主人(22〜4章1節)です。

 1.夫婦(18・19節):妻は「主を信じる者に相応しく夫に仕え」るように。夫は、「妻を愛する」ように。この「愛する」は、アガペーの愛です。イエスさまが全人類を滅びから救うために自分の命を十字架の上で投げ出してくださった最大の愛です。妻も夫もそれぞれが主の愛を感謝し、イエスさまに仕える思いで仕え合うように勧められています。

 2.親子(19・20節):子どもたちには、「どんなことについても両親に従いなさい。」子どもは親に愛されることを通して、目に見えない神様の愛を知ります。また、目の前の親に従うことによって、永遠から永遠まで生きて存在しておられる目には見えない神様に従うことを学びます。
 一方親は、子どもの人格を尊重し、主に仕えて生きる者に成長するよう、しっかりと躾をする責任が主の前にあります。ですが、子どもをいらだたせてはなりません。それは、いじけるといけないからです。親子の関係も、上から押さえつけたり甘やかしたりするのではないことが分かります。主に仕える思いで神様から預かった子どもたちを育てることが大切です。特に子どもたちは教えられるまで神様も聖書の原則も知りませんから、何より救い主イエス・キリストのことを伝えることが最大の子育てです。

 3.僕と主人(22〜4章1節):僕は、主人に次の二点を以て仕える様勧めています。1)うわべだけでなく心から真心を込めて、2)何をするにも人にではなく、主に対してするように。御国を受け継ぐ約束(24節)が与えられていることに目と思いを向ける時、この様に主人に仕えるところにも導かれます。
 主人も僕だからといって物の様に扱ってはなりません。「正しく、公平に」(4章1節)接しなくてはなりません。この様な主従関係が実現するならば、奴隷制度は事実上なくなります。これが、内側からの改革と言えます。

 4.何事も主に仕える思いで:上記の通り23節は、いまから2000年前の僕たちに勧められていますが、クリスチャンも、キリストに仕える僕です。そこで私たちも「人に対してではなく、主に対してするように、心から行」うことを願い出ましょう。この聖句を心に留めているならば、「人が見ているから…。」「いまは、誰も見ていないから…。」という生き方からも解放され、公平で誠実な歩みに導かれます。導いてくださるのは聖霊なる神様です。その主に信頼して今週も主に仕える歩みを願い出ましょう。

 (参考聖書箇所:ガラテヤ3章27〜28節)

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『ダビデ王の晩年』

2018/04/15 13:00
2018年4月15日 主の日礼拝メッセージ
聖書    列王記上第1章1〜31節 
メッセージ   『ダビデ王の晩年』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 今年度も有明キリスト教会の主の日の礼拝式では、原則奇数週は、旧約聖書(列王記)からメッセージを聞き取ります。
 この書はサムエル記の続きで、ダビデの後、古代イスラエルの王たちの列伝です。イスラエル王国は、4代目のレハブアムの時に北イスラエルと南ユダに分かれました。その後はそれぞれに約20人の王たちが立ちましたが、北は紀元前721年頃アッシリヤによって滅ぼされました。一方南は紀元前586年頃にバビロニヤによって捕囚になりました。

 1.視点と主役:普通王たちの列伝というと、それぞれの王たちの功績の記録と思います。ですが、イスラエル王国にとって最も大事なことは、神様が喜ばれる原則に従って王も国も歩んでいたかどうかです。偶像を拝む礼拝から離れ、唯一の神、主のみを礼拝し、信頼しているかどうか、モーセの十戒をはじめとする律法に従って国を治めているかどうか、それがこの書の視点です。この視点に照らすならば、いくら国が栄え国民も豊かな生活をしていたとしても、周りの国々との関係もうまくいっていたとしても、偶像を拝み、例えば貧しい人たちを虐げる様な政策をしたのであれば、その王は「悪王」です。残念ながらこの視点で北イスラエルは全員悪王でした。南ユダも7〜8人が善王で、あとの12〜13人は悪王でした。
 それでも神様は王たちとイスラエルの民に、悪から離れて主に立ち帰る様に働きかけ続けられました。そこで、この書の主役は、王たちではなく預言者たちと言えます。ところが、その預言者たちの言うことも民は聞こうとせず、逆に迫害しましたから、遂に一旦主を知らない国々に滅ぼされ、引き渡されてしまいました。
 私たちも人生で最も大事なことは、どれだけの功績をあげるかではありません。創像主であられる父なる神様の存在を認め、その主に信頼して生きることです。イエス・キリストを「救い主」と信じるところからその人生が始まります。

 2.次の王座を狙ったアドニヤ:ダビデ王も晩年を迎え、いくら着物を重ねても暖まらず、寝た切り状態になりました。ダビデには、ずっと前に(サムエル下7章14節、参照)次の王はソロモンであることを神様から告げられていました。ところがこのことを彼は家族や家臣たちにはっきりとは申し渡していなかったようです。また、ダビデは有能な王であり、信仰の勇者でしたが、家庭を治めることと子どもたちの教育については全く不十分でした。それらのことのために、アドニヤが王座を狙い、父ダビデ王に相談することもなく、仲間だけに呼びかけ、かってに即位式の様な宴会を開きました。

 3.ソロモンを王に任命したダビデ:アドニヤの動きを知った預言者ナタンは、ソロモンの母バト・シェバに、このままアドニヤが王になるならば、ソロモンもバト・シェバも命が危ないこと、第一神様はソロモンを次の王に決めておられることをしっかりダビデに確認するように話しました。バト・シェバはナタンからの指示に従って、ダビデに話しに行きました。また、ナタンもダビデの意志を確認しました。
 ダビデと言えども欠けが多くあり罪人の一人に過ぎませんでした。ですが、肝腎なところでは、預言者を通して語られる主の御声と御心に従いました。また、妻の声にもよく耳を傾けました。やはり「信仰の人」でした。今週私たちも主の御声である聖書の御言葉によく聞きましょう。また神様は人を通しても御心を示されることがありますから、人が言うことにも耳を傾け、御心を聞き分けましょう。
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『新しい人を着て新しい毎日を』

2018/04/08 17:00
2018年4月8日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第3章12〜17節  
メッセージ   『新しい人を着て新しい毎日を』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 クリスチャンは、「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝」(17節)する生活を願い出ています。ですが、我が身を振り返るならば、なかなかその様には歩めていないことに気付かされます。それでも、少しずつそこに近付けられるように、聖霊の助けを祈る者が、キリスト信仰者です。そのために、パウロは何を願い出るよう今日の聖書箇所で勧めているでしょうか?

 1.御霊の実を着ること:「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け」(12節)るように。これらは、御霊の実(ガラテヤ5章22〜23節参照)の一部です。すべて、イエスさまご自身が2千年前の御業の中で現わしてくださいました。そのイエスさまから愛され、神様に選ばれてクリスチャン(神様の子ども)に迎え入れられました。そのことに感謝して、これら五つを願い出ましょう。

 2.忍び合い赦し合うこと(13節):人間関係においては、自己中心でなく、相手の話しをよく聞き、協力し合うことを願いたいものです。そこには、忍耐と赦し合うことが必要になります。最大の模範は、イエスさまです。主の十字架の血による罪の赦しを頂いたところに、いつも立ち帰りましょう。そこを土台に隣人を見るならば、「この人も主に愛されて生かされている。」という思いになるのではないでしょうか?そこから忍耐と赦し合いも実現します。

 3.愛を身に着けること(14節):この「愛」は、アガペーの愛、自己犠牲の愛です。この愛の極みが、やはりイエスさまの十字架の死です。私たち全人類の身代りになって命を投げ出して、救いの御業を完成してくださった愛を感謝して受け取りましょう。この愛の帯を体にしっかりしめて、主の業に遣されましょう。

 4.礼拝、御言葉、讃美:上記1.〜3.を身に着けるために、まずは今年度も主の日の礼拝をライフスタイルの中心に据えましょう。それでも1年52回の内、何回かはやむを得ず出席出来ないこともあります。その時も諦めず、補う方法を探しましょう。有明教会では、申し出てくだされば、主の日の夕や平日にも礼拝出来ます。
 二つ目が「キリストの言葉が内側に宿るようにすること」(16節)です。教会に来ない日も、自分で毎日聖書を読み、聖句に養われましょう。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』」(マタイ4章4節参照)存在です。
 そして三つ目が、讃美です。讃美歌を歌うことによって、魂は神様と交わることが出来ます。喜びの時だけでなく、不調な時にこそたくさん讃美しましょう。主は御霊で満たしてくださいます。
 今週も、礼拝から遣わされ、日々聖句に養われ、讃美しながら、主の栄光を現わす歩みに用いられましょう。

 (参考聖書箇所:マタイ9章36節、フィリピ4章6〜7節)
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『毎日新しい一日を』

2018/04/01 13:00
2018年4月1日 主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第3章1〜11節  
メッセージ   『毎日新しい一日を』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 1.イースターを感謝して:今日は、今年のイースターです。イエス・キリストが十字架で死なれてから三日目に、「事実」死者の中から復活されたことを記念して祝う日です。クリスチャンは、それまでの土曜日からこの日(日曜日)に礼拝する様になりました。

 2.キリストが復活された意味:いくつもありますが、今日は、ひとつだけ挙げます。それが、全人類が復活する初穂(第1号)になってくださったことです。人は死んで終わりではありません。イエスさまがもう一度この世に来られる「再臨」の時、それまでに死んだ人たちは、皆、復活の恵みに与ります(4節)。そして、イエスさまから、「私(キリスト)」を信じていたかどうかだけ尋ねられます。「はい。」と答えたならば、完全な天に迎え入れられます。キリストを「救い主」と信じるだけで永遠の命にあずかれるのですから、これ程単純で感謝な信仰はありません。

 3.「日々新たにされながら:クリスチャンは、古い自分をイエスさまと一緒に十字架に付けました。そして、キリストと共に復活する恵みに与り、新しい人生を始めました。(1節)。バプテスマの水に沈むことと水から上がることが、これらのことを現しています。それからの毎日は、造り主の姿に倣う新しい人を身につけ、キリストに似る者につくり変えられながら、天を目指して進み続けています(10節)。それが、「上にあるものを求め」る歩みです。

 4.捨て去るもの:古い自分に死んだのですから、キリストを信じる前、持っていたものを捨て去りました。
 1)貪欲(5節):自分の欲を満たすために「もっと、もっと!」という思いが貪欲です。そこから唯一の創造主以外を神に祭り上げたり、それらを拝んだりするようになります。自分を信じることもその一つです。キリストを知る以前は多かれ少なかれ、その様に生きていたのではないでしょうか?そこから性の乱れもおきて来ます(5節前半)。
 2)怒り、憤り、悪意等:感情に任せて怒ったり憤ったりするならば、祝福されません。悪意による策略や復習も同様です。だからといって、全く怒ってはならない等と聖書は勧めていません。イエスさまも神様が神様とされていない時には怒りを表わされました。私たちも不正に気付いた時、それを見過ごすならば、不正の側の見方になってしまいます。聖書に反することに気付いた時には、怒り、主が喜ばれることを伝える必要があります。ですが、相手を陥れる策略をめぐらしたり、復習したりしてはなりません。復習は、神様ご自身がしてくださいます。また、怒っても、それをいつまでも根に持ってはなりません。その日の内に神様によって怒りから解放されるよう祈りましょう。
 自分の力で貪欲や怒り憤り、悪意を捨て去ることは出来ません。ですが、イエスさまの十字架の血による赦しを感謝して受け取り、赦された喜びで満たされるならば捨て去らせていただけます。今日から2018年度が始まりました。この一年も、毎日古い自分を脱ぎ捨て、聖霊の助けを得て「主の栄光を現わす歩み」に遣わされましょう。次回(4月8日)は、キリストを着ることについて聞き取ります。

 (参考聖書箇所:Uコリント5章17〜18節)
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『キリストにあって歩みましょう』

2018/03/25 13:00
2018年3月25日 主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第2章6〜23節  
メッセージ   『キリストにあって歩みましょう』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 2017年度最後の主の日は、キリストにあって(結ばれて)生きることについて聞き取りましょう。

 1.注意すること:いまから2000年前のコロサイ教会には、既に違うキリスト信仰が入り込んでいました。そこでパウロは、次の点に注意する様、書き送っています。
 1)「人間の言い伝えに過ぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人の虜にされないように」(8〜10節) 哲学それ事態が悪いのではありません。ですが、有益な哲学だったとしても、いつしかその哲学を唱えている哲学者を信奉する危険性があります。いくら優れた哲学でもキリストに従うものではありません。私たちには神様を現してくださった救い主イエス・キリストがおられます。しかも、キリストを信じる者たちの内側を満たしてくださっています。それで十分です。
 2)旧約の割礼を守る様な教えに注意する様に(11〜15節) 肉にではなく、心に割礼を受け、キリストを「救い主」と告白してバプテスマを受ければ、それで十分です。
 3)食物や祭りや安息日、天使礼拝には注意する様に(16〜18節) それらすべては、キリストが来られる前の「型」にすぎません。キリストを頭(かしら)に私たちはその体の部分に結び合わされ、キリストに似るところへ成長させていただけます。
 4)禁欲主義に注意(20〜23節) 禁欲生活をしても、それは人を満足させることにしかなりません。聖霊の力によって必要なだけ、主の栄光を現すために用いることが大切です。

 2.主の栄光を現わすために: それが、教会の頭であるイエス・キリスト救い主にしっかり連がり、キリストにあって(結ばれて)生きることです(6〜7節)。
 1)「キリストに根を下ろ」すこと 植物が根から養分等必要なものを吸い上げて成長するように、私たちは聖書の御言葉から毎日霊の糧、知恵や工夫等を得ていきましょう。
 2)「造り上げられ」ること これは、キリストの土台の上に建て上げられるという意味です。いくら立派な建物でも土台がしっかりしていないならば、砂上の楼閣に過ぎません。嵐に会えば、アッという間に倒れてしまいます。キリスト信仰の土台は、イエス・キリスト(聖書の御言葉)です。御言葉から知らされる天国の原則に従って生きてみることです。そうするならば、人生の嵐にも耐えられ、守られます。
 3)「教えられたとおりの信仰をしっかり守」ること 「使徒信条」等に告白されているキリスト信仰にしっかり留まりましょう。そこに祝福があります。
 4)「あふれるばかりに感謝」すること 何といっても感謝しましょう。最大の感謝は、イエスさまによって的外れの人生が買い戻され、的を射た人生、天を目指して進み続ける歩みに向きが変えられたことです。今週は受難週です。十字架の御業の大きさをいつも以上に感謝する週に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:Tテサロニケ5章18節)
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主の御手に落ちることを選び取ったダビデ

2018/03/18 13:00
2018年3月18日 主日礼拝式メッセージ要約
聖書   サムエル記下第24章1〜25節  
メッセージ  主の御手に落ちることを選び取ったダビデ  
メッセンジャー 田中文人牧師

 1.人口調査をしたダビデ:ダビデがヘブロンからエルサレムに移ってから間もなくの頃と思われます。神様は再びイスラエルの民に怒りを燃やされました。そしてダビデに兵士を数える様に誘われました。ダビデもこの誘いにのり、将軍ヨアブが止めるのも聞かずに調査を命じました。
 ここだけを読むと神様は「なぜダビデを誘われたのか?」と言いたくなるかも知れません。ですが、神様は全く聖なるお方で、罪がある人をそのまま受け入れることは出来ないご性質です。人は、生まれながらの罪人ですから、神様からいきなり怒りが下っても不思議ではありません。それにもかかわらず神様はここでダビデの意志を確認されたのです。ここに主の人に対するあわれみと慈しみが表されています。

 2.悔い改めて主の御手の業を選び取ったダビデ:ところが、ダビデは、兵を数えたことに心の責めを感じ悔い改めの祈りをしました。すると翌朝すぐに預言者ガドが彼のところに来て三つの内ひとつを選ぶ様に神様からの提案を告げました。1)七年間の飢饉、2)三カ月間敵に追われて逃げる、3)三日間の疫病。どれもダビデにとっても全イスラエルの民にとっても大きな苦しみでした。ですがダビデは3)を選び取りました。疫病であれば、王も民も平等に罹るからです。何より主の慈悲は大きいからです。
 私たちも選択肢が示された時には、人ではなく、主の御手がより多く働く方を選び取りましょう。神様はその様な者を決して見捨てることはされません。

 3.疫病を止められた主:ダビデの選択に従って神様は疫病をもたらされました。ダビデは7万人の兵を失うことになりました。そして主の使いの手がエルサレムに延ばされようとした時、神様はその手を止められました。ダビデは国内の悲惨さを見て、罪を犯したのは自分だから、この災が民にではなく、ダビデ家に下るようにと、主に言いました。                                            
 4.犠牲を払って礼拝したダビデ:再び預言者のガドがダビデのところに来て、主が御使いの手を止められた場所=アラウナの麦打ち場=で礼拝する様に告げました。ダビデは早速そこへ行き、ただでその土地と献げ物の動物を提供しましょう、というアラウナからの申し出を断り、銀50シェケルで麦打ち場と牛を買い取りました。そして心からの礼拝を献げたのです。この様にして、疫病は止みました。
 自ら大きな犠牲を払って礼拝したところに、ダビデの信仰が表わされています。私たちは礼拝のために、どれ程の犠牲を払っているでしょうか?「礼拝第一」を願い出ましょう。

 5.麦打ち場のその後:この後ダビデの息子ソロモンは、この場所に神殿を建てました。そしてイエスさまは、約一千年後、この場所で十字架について死なれ、人の罪を買い戻す救いの御業を実現してくださいました。あわれみ深い神様の人類救済のご計画に感謝しましょう。

 (参考聖書箇所:哀歌3章32節、ホセア6章6節)


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『キリストによって戦ったパウロ』

2018/03/11 13:00
2018年3月11日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第1章24〜2章5節  
メッセージ   『キリストによって戦ったパウロ』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 イエスさまの十字架の血による罪の赦しと永遠の命の約束をいただいたクリスチャンは、その感謝と喜びを伝えていきます。ですがその時、反対など多くの迫害に遭います。それは、霊の戦いです。その戦う力は、どこから与えられるのでしょうか?

 1.内側で働くキリストの力によって:その力が、「わたしの内に力強く働く、キリストの力」によって(29節)です。パウロも私たちも、キリストを「私の救い主」と信じた時、それまでの古い自分に死にました。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2章20節参照)。このキリストの力によって生かされている人たちがキリスト信仰者(クリスチャン)です。福音も自分の力ではなく同じキリストの力によって伝えていますから、迫害に会う時も、行き詰ったり潰れてしまったりすることはありません。
 それでも疲れを感じることはあります。その時は、旧約聖書の預言者エリヤの様に、神様は回復に必要なすべてを与えてくださいます(列王記上19章参照)。何よりイエスさまは復活され、いつも共にいてくださいますから、力付けてもくださいます。

 2.全世界の人たちが愛によって結び合わされるために:何のために、パウロも現代のクリスチャンも労苦してまで、キリストの力によって福音を伝えているのでしょうか?「それは、この人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。」(2章2節)。全世界すべての人がキリストによる救いに与るため、キリストの愛による平和な関係に迎え入れられ、天国の原則に従って支え合い、助け合って生きていくため、さらには、そのキリストを深く知って悟るためです。

 3.キリストを深く悟ること:キリストを信じた時から、今の私たちの内にもキリストが住んでおられ、労苦に耐え、霊の戦いに必要な力も与えてくださいます。このことに感謝し、さらに深くイエス・キリストを毎日、知らされましょう。パウロの時代には、まだ聖書はまとめられていませんでした。今の私たちには、旧新両約聖書66巻が完成しています。聖書は、どこにでもイエスさまが証しされており、そのご性質を読み取れます。「誤りなき神の言葉」の視点で、メッセージを聞き取り、魂に霊の糧をいただきましょう。そして、キリストにある平和の関係が実現していくために遣わされましょう。そこには多くの労苦がありますが、聖書の御言葉から力をいただき、進み続けましょう。この世に完全な平和な世界は実現しません。完全な平和は、キリストが再臨される時に実現します。ですが、少しでもその完全な天に近か付く様に、天国の原則に従ってこの世で私たちが生きることを神様は望んでおられます。

 (参考聖書箇所:ヨハネ17章3節、ガラテヤ2章19〜20節、Uコリント5章17節、Uテモテ3章
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『何に命をかけますか?』

2018/03/04 13:00
2018年3月4日 主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第23章8〜39節  
メッセージ   『何に命をかけますか?』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 「命をかけているのだから…」と言うことがあります。文字通り「死ぬか生きるか」ということもありますが、「生活がかかっている」という意味で言うことが多いのではないでしょうか?では、人生そのもので「命をかける」こととは何でしょうか?

 1.多くの勇者たちに支えられていたダビデ:ここには37名もの兵士たちの名と功績が記されています。ダビデ自身大変な勇者だったことは間違いありません。ですが、彼一人で周辺諸国に勝利したのではありませんでした。また、国も一人で治めていたのでもありませんでした。神様は、これら多くの人々も用い、ダビデを支えて彼にイスラエルの王の働きを全うさせてくださったのです。聖書はそのことをしっかり書き残しています。

 2.その一人にウリヤもいたこと:39節にはウリヤの名も記されています。彼は、ダビデが姦淫の罪を犯したあのバト・シェバの夫ウリヤです。ここに名が残される程の勇者であり、ダビデに忠誠を尽していたそのウリヤを彼は敵の手を使って殺すことまでしたのですから、取り返しのつかない大きな罪だったことが分かります。ですが、聖書は、そのことも割引くことなくしっかりと書き残しています。

 3.水を汲んできた三勇士:おそらくダビデが、まだサウル王に命を狙われていた時のことだと思われます。アドラムの洞窟にいたダビデをこの三勇士が訪ねて来ました。その時ダビデは、「ベツレヘムの城門の傍らにある、あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに」と言いました。この言葉を本気で受け止めた三人は、敵陣を突破し、その水を汲んでダビデのところまで帰って来たのです。まさしく「命がけ」の業でした。

 4.飲まずに礼拝のために献げたダビデ:ところがダビデはその水を飲もうとしませんでした。彼らの功績を称えて三人に飲ませたのでもありませんでした。「主よ、わたしはこのようなことを決してすべきではありません。これは命をかけて行った者たちの血そのものです。」(17節)と言って礼拝のために献げました。
 血は命です(レビ17章11節)。血を飲むことは律法で禁じられています。ダビデは、三勇士が命がけで汲んで来た水を、「命」だと受け止めましたから飲めなかったのです。また、命は主のために献げます。三勇士のこの働きも、ダビデの背後におられる主に忠実だった命がけの働きと言えます。ですからダビデは、その様な水を自分が飲むことなど到底できず、3人を立てて用いてくださった主に献げたのです。ここに、主を第一にするダビデの信仰の姿が現わされています。

 私たちも命がけですることがあるとすれば、それは主のための働きです。まずは、礼拝第一を願い出ましょう。また、様々な人々に支えられる時も、第一に神様に感謝を表しましょう。今週も命がけで「主の栄光を現わす」生活に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:レビ)17章10〜11節、マタイ16章24〜26節)
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信仰に踏みとどまり福音の希望から離れないように

2018/02/25 13:00
2018年2月25日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    コロサイの信徒への手紙第1章13〜23節  
メッセージ   『信仰に踏みとどまり
         福音の希望から離れないように』   
メッセンジャー   田中文人牧師

 1.キリスト信仰者(クリスチャン)とは:今日の聖書箇所から聞き取るならば、「父なる神様によって、闇の力から救い出され、御子(キリスト)の支配の元に移してもらった人たち」(13節)と言えます。罪(的外れ)をキリストの十字架の血で買い戻してもらい、神様と人との間の関係に回復が与えられた人たちです。同じイエス・キリストは、死者の中から復活し、私たちの復活の初穂(第1号)になられました。復活されたのですから、いまも生きて働いておられ、私たちと共にいてくださいます。私たちももう一度イエスさまが来られる時(再臨)、それまで死んだとしても復活の恵みに預からせていただけます。
 このキリストを信じ、信頼し、完全な天を望み見ながら、与えられた日常生活の中で主の栄光を現わす歩みを願い出ている人たちがキリスト信仰者です。
 そのためには、聖書からイエス・キリストのご性質をしっかり知らされそこに立ち続ける必要があります。そうでないと、いまから2000年前のコロサイの信徒たちと同じ様に、はじめは健全なキリスト信仰を頂いていたとしても、いつしか様々な違ったキリスト像や教えに惑わされかねません。

 2.イエス・キリストのご性質:1)神の姿(15節前半)=目には見えない神様(創造主)のご性質がイエスさまの内には現わされています。 2)最初から父なる神様と一緒におられたお方(15節後半)。 3)地球とその中の生物・無生物全部、宇宙のすべてのものをつくる御業に関わられたお方(16節)=人をはじめ全ての被造物は、キリストのためにつくられました。4)すべての被造物よりも先に存在され、全部を支え、保っておられます(17節)。 5)イエスさまの体である教会の頭です(18節)。 6)死者の中から最初に復活されたお方です(18節後半)。

 3.キリストにある希望:1)神様と全被造物との和解=十字架の血によって一人一人と神様との関係に回復が与えられるだけでなく、全被造物と神様との間の関係にも和解が実現しました。完全な和解と回復は、キリストの再臨の時実現します。完全な平和もその時現実のものになります。ですから、キリスト信仰には、「希望」があります。大きな希望です!そのために、聖霊の導きと力を願いましょう。
 2)天の御国の相続=イエスさまが復活の初穂になってくださった事実に従って私たちも同じ復活の恵みにあずかれます。死は終わりではなく、通過点に過ぎません。イエスさまが再臨される時、復活した私たちはただ一つ、イエスさまの前で「生きている間にイエスさまを信じていたかどうか」だけ尋ねられます。「はい」と答えた人は、完全な天に迎え入れられ、天国を受け継がせていただけます。永遠の命の約束が実現する時です。
 聖書からイエス・キリストを読み取っていくならば、人生の意味も目的も示されます。これ程の「よい知らせ」(福音)はありません。今週も、聖書からもっともっとイエスさまのご性質を知らされましょう。知らされた主に信頼し、平安の内に主の栄光をあらわす業に遣わされましょう。
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『感謝ととりなしの祈りから書き始めたパウロ』 

2018/02/11 13:00
2018年2月11日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   コロサイの信徒への手紙第1章1〜12節  
メッセージ 『感謝ととりなしの祈りから
                 書き始めたパウロ』   
メッセンジャー田中文人牧師

 今日から原則偶数週は、コロサイの信徒への手神からメッセージを聞き取ります。この手紙もパウロがローマで裁判を待つ間、軟禁状態の中でコロサイの信徒たちに書き送った「獄中書簡」のひとつです。

 1.執筆の事情:コロサイの教会は、パウロによってではなく、パウロから福音を聞いてキリストを信じたエパフラスの伝道によって出来ました。そして、健善なキリスト信仰にしっかり立ってはいましたが、当時既に入り込んでいた違う教えの影響を受け始めていました。その様な現状をエパフラスがローマのパウロのところに来て伝え、それを聞いたパウロが勧めをする必要を感じて書き送りました。

 2.感謝を伝えたパウロ:挨拶に続いてパウロは、コロサイの信徒たちがイエス・キリストを信じていることを神様に感謝しています(3節)。それは、彼らがキリストの愛に根ざし、希望に基づいて実を結び、成長していたからです。「成長」は、「広がる」とも訳されます(新改訳)。信仰、希望、愛に生かされ、キリストの福音が周りに伝わっていたことをパウロは、心から神様に感謝し、祈っていたのです。

 3.御心を悟るように(9節):続けてパウロは、コロサイ教会にあった課題について祈っていることを書き送っています。ですが、課題を指摘するのでなく、健善な信仰に立ち続けるために、さらに成長する視点で勧めています。
 それが「神の御心を十分悟」るように(9節)。人の知恵ではなく「霊によるあらゆる知恵と理解によって悟るようにです。いまの私たちにとっては、何より「聖書は誤りなき神の言葉」であるところにしっかり立って読み、御心を知らされなくてはなりません。

 4.すべての点で主に喜ばれるように(10節):キリスト信仰は信じるだけでなく、信じている神様から知らされた天国の原則を日常生活の中でやってみることが大切です。それが、キリストに従うことになります。コロサイの信徒たちは既に愛の業を実践していました(4節)が、パウロはさらに彼らが成長することを祈っています。そしてますます御心を知るように願っていると書き送っています。

 5.強められ耐え忍ぶように:神様からの力を願いますが、その栄光の力に信頼して従うように、根気よく忍耐強く信仰に立ち続けるように祈っています。大切なことは、喜びの内に忍耐することです。それは、天国を受け継ぐ約束までいただいている喜びです(12節)。
 今週も御心を知らされる祈りから課題の解決を祈り、知らされた御心に喜んで感謝のうちに従う歩みに遣わされましょう。
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『ダビデの感謝と讃美U謙遜なキリストに信頼して』

2018/02/04 13:00
2018年2月4日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第22章26〜51節
メッセージ   『ダビデの感謝と讃美U
          謙遜なキリストに信頼して』
メッセンジャー  田中文人牧師

 22章の後半でもダビデは表題(1節)にあるように、神様がすべての敵(特にサウル)から救い出してくださったことを振り返って感謝しています。

 1.主の慈しみに生きる人には慈しみを示される主(26〜47節):神様のご性質は、主の慈しみに生きようとする人に慈しみを示されます(26節)。清くあろうとする者に清くふるまわれます(27節)。そして、貧しい民を救い上げてくださいます(28節)。人生の道の灯となり、行く手を光で照らしてくださいます(29節)。攻めて来る諸国に勝利を与え、ダビデをイスラエルだけでなく、周辺諸国の頭にまで立ててくださいました。
 一方、主の慈しみに生きようとせず、驕る者は引き下ろされます。これが、神様が「全能なお方」であることのご性質です。

 2.旧約の限界:この歌の中には、「敵を絶やし/滅ぼすまで引き返さず」(38節)「打ち、再び立つことを許さない。彼らはわたしの足もとに倒れ伏す。」(39節)「敵の首筋を踏ませてくださる。」(41節)の様に、残酷に感じる内容も歌われています。
 ですが、旧約時代の祝福は、子孫や広い領土等が与えられることでした。神様ご自身のご性質は、旧約時代も新約(イエス・キリスト)以後も変わりません。そこで、目に見える相手と戦って徹底的に勝利することは、旧約の限界と受け止められます。

 3.新約時代の戦い:イエスさまは、ひとりひとりと神様との関係、人と人との関係に回復の道を開いてくださるために、十字架の上で死んでくださいました。貴い十字架の血で全人類の的外れを買い戻し、「敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄され、平和を実現」してくださいました(エフェソ2章14〜15節)。
 そこで、いまの私たちにとっての戦いは、悪の諸霊との戦いです。人々には、キリストによる救いの恵みにあずかった感謝と喜びから、愛の業を表わします。日々聖書から天国の原則を知らされ、示された聖句を聖霊の助けを得てやってみることが、謙遜になられたイエス・キリストに信頼して歩む人生といえます。そこに、主の祝福があります。

 4.再び主を讃美したダビデ(47〜51節):ダビデにも多くの弱点と罪がありました。ですが彼は、それらを指摘された時、即座に認めて悔い改めました。神様もダビデの罪を許してくださいました。そのうえ諸国の頭にまで立ててくださった主の恵みを振り返ってダビデは、最後に感謝し讃美しています。
 今週も、謙遜に歩まれたイエスさまに手を引かれながら、主の慈しみに信頼して歩みましょう。

 (参考聖書箇所:マタイ10章14節、エフェソ2章14〜15節、〃6章12節)

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『主にある喜びで満たされる献げ物を』

2018/01/28 13:00
2018年1月28日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    フィリピの信徒への手紙第4章10〜23節  
メッセージ   『主にある喜びで満たされる献げ物を』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 私たちは、教会の献金はじめ、事前事業の募金等をどの様な思いでしているでしょうか?奉仕活動はどうでしょうか?また、自分がそれらを受ける側になる時は、どの様な思いで受け取っているでしょうか?
 1.貧しい中から献げていたフィリピ教会:パウロは、フィリピの信徒たちから届いた贈り物(献金等)を、心から感謝しています(10節)。それは、彼らが、有り余る中からではなく、貧しい中から喜んで差し出した献げ物だったからでもあります。
 私たちも豊な生活が出来ているから献げるのではありません。与えられている中から、示された時に、示されたところに従って差し出すことが大切です。
 2.パウロの感謝:パウロは、フィリピの信徒たちから物(お金)が届いたことだけに感謝しているのではありません。彼自身は、貧しくても富んでいてもいかなる場合にも対処する秘訣を神様の力によって知っていました(12〜13節)。パウロが感謝したのは、フィリピの信徒たちからの贈り物が「香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえ」(信仰による献げ物)だったからです(18節後半)。信仰による献げ物だったところをパウロは心から喜び、感謝を表し、神様に栄光を帰しました。
 3.信仰による献げ物への祝福:信仰による献げ物とは、イエス・キリストの十字架の血による罪の赦しと永遠の命の約束をいただいていることへの感謝の思いから差し出す献金他の贈り物です。その様に喜んで差し出された献げ物は、神様から大きく祝福されます。受け取った人たちの必要はもちろんのこと、差し出した人たちの必要も満たされます(19節)。何より、献げた人たちに「豊かな実」(17節)が与えられます。これは、内側が満たされる祝福です。
 4.献げる時と受け取る時:私たちが教会に献金する時も、慈善事業に寄付をする時も、お金や物ではなく奉仕する時も、イエス・キリストに救われた感謝の思いから喜んで差し出すことを願いましょう。そこへ導いてくださるのも、神様ご自身です(13節)。逆に私たちが受け取る側になった時も、「申しわけない!」ではなく、相手がキリスト信仰者かどうかに拘わらず感謝を表し、その方々への祝福を祈りましょう。何より、それらの人々に働きかけ、動かしてくださった主に栄光を帰しましょう。
 上記の様に贈り物を指し出し、受け取るならば、「してあげた」「恩を感じて心苦しい…」という思いからも解放されるはずです。主に栄光を帰しながら、受け取り献げる相方それぞれが祝福を願うところに、神様から命が与えられキリストの愛に生かされる人本来の交わりがあります。
 (参考聖書箇所:マタイ6章30節、Uコリント8章1〜4節、〃9章6〜8節)
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『ダビデの感謝の讃美T 主が私を喜びとされたから』

2018/01/21 13:00
2018年1月21日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第22章1〜25節
メッセージ   『ダビデの感謝の讃美T
        主が私を喜びとされたから』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 「絶対絶命」の中から助け出されたことはあるでしょうか?たまたま助かったのでも、偶然にその危機から逃れられたのでもなく、神様が助け出し、救い出してくださったと受けとめ、感謝するならば幸いです。

 1.二十二章の背景:この章もサムエル記の付録ですから、ダビデがいつ歌った讃美なのか、いつ体験したことを感謝しているのか、はっきりはしていません。ですが、サウル王に追われ、実際に何度となく命の危機にさらされた体験が背景になっていることは間違いありません。
 2.主に祈ったダビデ:その様な状況に置かれた時、ダビデは、主を「呼び求め」(4節)ました。その祈りは主の「耳に届」(7節)きました。そして、「大岩、避けどころ/わたしの盾、救いの角、砦の塔」(3節)になって守ってくださいました。
 私たちも八方塞がりの状態に追い込まれることがあります。ですが、上は空いています。祈りは「神様との直通電話」です。電池も電波も必要ありません。祈るところから助けを願いましょう。主は必ず聴いておられます。
 3.自然界に働きかけられる主:ダビデがどの様な自然現象によって危機から逃れられたのかはわかりません。地震や雷の様な激的な状況変化をこの様に歌っているのかも知れません(8〜15節)。とにかく彼は助け出される体験を通して、神様が自然界をも支配され、そこに働きかけ、動かされるお方であることを知らされ、感謝しています。そしてダビデは敵に囲まれる中から広い所に導き出されました。自由が与えられ、再びノビノビと前を向いて生きるようにもなりました(20節)。
 現代でも主は生きて働いておられます。自然界も支配しておられます。イエスさまも共にいてくださるインマヌエルの主です。聖霊の助けもあります。私たちも広い所に導き出されます。自然現象もその様に受け取れるならば幸いです。
 4.喜び迎えてくださる主:信仰の勇者であったダビデも多くの罪を犯した「罪人の一人」に過ぎません。その様な彼を主が喜んで迎え入れてくださることとは、罪を指摘された時、すぐに悔い改めたダビデを受け入れてくださったという意味です。確かに彼はナタンからバト・シェバとの関係で犯したいくつもの罪を指摘された時、即座に認めて悔い改めました。その罪の許しをナタンもすぐに言い表しました(サムエル下7章参照)。
 新約時代の私たちには救い主イエスさまの十字架の御業が2000年前に実現しています。どの様な罪(的外れ)でも認めて赦しを請うならば、全部十字架の血で赦し、なかったことにしてくださいます。神様が喜んで受け入れてくださることを心から感謝しましょう。今週も主に助けられた恵みをたくさん数えながら、主の栄光を現わす生活に遣わされましょう。
 (参考聖書箇所:ヘブライ12章1〜4節)
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『弱いところに現わされるキリストの恵み』

2018/01/14 13:00
22018年1月14日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     コリントの信徒への手紙第12章1〜10節  
メッセージ   『弱いところに現わされるキリストの恵み』   
メッセンジャー   田中文人牧師

 今日は、韓国馬山栄光キリスト教会から伝道ティームをお迎えし、共に礼拝する時が与えられ、感謝しています。
 ところで、私たちには、「これさえなければ、もっと出来るのに…。」と感じている弱さがあるのではないでしょうか?その弱さをどの様に受け止めて生きるように、今日の聖書箇所から聞き取れるでしょうか?
 1.パウロの体験:1〜6節には、パウロに与えられた体験が書いてあります。「彼は楽園にまで引き上げられ」(4節)とありますが、「彼」とは、パウロ自身のことです。彼は天国に引き上げられ、「人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉」を聞きました。生きていながら天国の体験が与えられたのです。
 2.パウロの課題:ところが、その様なパウロにも大きな課題がありました。それが「身に一つのとげ」(7節)が与えられていたことでした。この「とげ」は、持病だったとも、その他の課題だったともいわれています。いずれにしても、「これさえなければ、もっと自由にキリストを述べ伝えられるのに…。」と思わざるを得ない大きな課題だったことは間違いありません。
 3.懇願したパウロ:パウロは、この課題が取り去られるように「三度主に願」いました(8節)。これは、必死で願った、懇願したという意味です。
 4.主からの答え:ところがこの祈りへの答えが、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(9節)でした。「それ程取り去ってほしいのならば、取り除けよう」ではなかったのです。「弱さがあるままで伝道しなさい。だが、そのことのために行き詰まるようなことはない。」でした。
 5.主からの答えを受け入れたパウロ:この答えを聞いたパウロは、その弱さに現わされるキリストの力と恵みをむしろ誇って生きるようになりました(10節)。パウロは、ローマまでの旅を数えると、計4回も伝道の旅をしました。様々な危険や労苦はありましたが、確かにその都度守られ、必要は満たされ、行き詰まることはありませんでした。
 6.思い上がらないためのとげ:最も大切なことは、神様の前に謙ることです。パウロと言えども、天国の体験を証しするうちに、いつしか自分を誇るようになっていたかも知れません。彼は、9節の答えを主からいただいた時、「自分にある弱さ」は、その「思い上がり」から守られるために与えられた「とげ」だと受け止めたのです。
 主の恵みは、上から下に注がれます。私たちも課題が取り去られる様に祈ることは許されていますし、おおいに祈ることが必要です。ですが、祈りの結果、9節の様な答えをいただくこともあります。その時は、自分が神様を差し置いて思い上がらないために与えられている課題であると受け止めるなら幸いです。
 イエスさまご自身、最も主の前に謙り、救いの道を開いてくださるために、十字架で死なれ、その貴い血によって人の罪を買い戻してくださいました。その救い主を神様は、死者の中から復活させられ、神様と等しいところに引き上げられました。同じイエスさまがいつも共にいてくださり、聖霊を送り私たちの弱さにも力と恵みを注いでくださいます。感謝の内に、今週も弱いところに現わされる主の恵みを数える歩みに遣わされましょう。
 (参考聖書箇所:詩編119編71節、フィリピ2章6〜8節)


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『灯(ひ)を消さないよう心がける一年を』

2018/01/07 13:00
2018年1月7日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   サムエル記下第21章15〜22節 
メッセージ  『灯(ひ)を消さないよう心がける一年を』   
メッセンジャー 田中文人牧師

 1.年頭に:2018年が始まって一週間が過ぎました。既に仕事を始めた方もおられるでしょうし、年末年始に関係なく、通常のシフトで働いた方々もおられるでしょう。児童生徒たちは、まだ冬休み中で、今週から新学期でしょうか?
 そうこうしている内に、1月も3分の1が終わります。今年も、主の日の礼拝を生活の中心に据え、主との交わりを絶やさないことを願い出ましょう。そして、「主の栄光を現わす」生活に遣わされましょう。
 2.21〜24章について:サムエル記下(第2)も終わりが近付いて来ました。この最後のまとまりは、この書の付録といわれています。六つの記事が収められていますが、年代順とはかぎりません。いつ、どこで起こった出来事かも、はっきりしていない記事も含まれています。ですが、「誤りなき神の言葉」であることに変わりはありません。その視点で、しっかり聞き取りましょう。
 3.ダビデの晩年にあった戦い:今日の聖書箇所には、ペリシテ人が4回ダビデ王時代のイスラエルと戦ったことが記録されています。これらの戦いも、いつ起こった事なのかは、はっきりしていないとされています。ですが、「ダビデは疲れていた」(15節)とありますから、ダビデの晩年だったことがわかります。
 4.ダビデにとって「灯」を消さないようにすること:ダビデの家来たちは疲れた彼を助け、敵を打ち、イスラエルは勝利しました。そして1回目の戦の後「以後、我々と共に戦いに出てはなりません。イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください。」と、ダビデに戦いに出ないように誓わせました(17節)。
 「イスラエルの灯とは、ダビデの家系のことです。ダビデが戦死する様なことになれば、一家全員の命も危険にさらされることになりかねません。ダビデは以前「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」(Uサムエル7章16節)と主から約束を頂いていました。この約束が実現するためには、最大限危険をおかさないことが必要です。その視点で主が家来たちに臨まれ、ダビデが戦死することから守られたと受け取れます。
 5.私たちの「灯」:@灯は光です。イエスさまは、「わたしは世の光である。・・・」(ヨハネ8章12節)と仰いました。聖書の御言葉の光に照らされ続けながら主の道を歩むこと、それが私たちにとって灯を絶やさないことです。
 A「灯」を絶やさないためには、油が必要です。油は祈りです。祈りは主との対話であり霊の交わりです。信仰の歩みに祈りは欠かせません。
 Bキリストの光をこの世に伝え、広げ(伝道)ましょう。今年もキリストの光を輝かす良き証し人に立てられてまいりましょう(マタイ5章15〜16節)。
 (参考聖書箇所:Uサムエル7章16節、詩編119編105節、
マタイ5章15〜16節、ヨハネ8章12節、Uテモテ4章2節)


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『ダビデの対応』

2018/01/07 12:30
2017年12月31日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第21章1〜14節 
メッセージ   『ダビデの対応』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日は、ことし最後の日です。この一年を振り返るとき、ひとりひとり、いろいろなことがあったと思います。なかには、自分がしてしまったことが原因ではないにもかかわらず、その課題を解決していかなくてはならないこともあったかも知れません。これは、割りに合わないことです。その様な課題を私たちは、どの様に受け止め、取り組んだらよいでしょうか?

 1.つぶやかなかったダビデ:ダビデがイスラエルの国の王だった時に、三年続いて飢饉がありました。その原因を神様にダビデが尋ねたところ、「前王サウルがギブオン人を約束に反して打ったから」という答えがありました。三年も続いている飢饉の原因は、ダビデ自身にはなく、サウル王にあったのです。ですが、このことを知らされた時ダビデは、つぶやくことなく、主と人々の前に忠実に解決に当たっていきました。私たちも、つぶやかないことが大切です。

 2.祈ったダビデ:つぶやかないためにも私たちがしたいことが、祈りです。ダビデは、飢饉の原因を神様に祈りを通して尋ねました。祈りは「対話」ですから、自分の思いだけを一方的に申したてるのではありません。神様が言われることも、しっかり聞くことが大切です。

 3.ギブオン人の願いを聞き入れたダビデ:サウルよりも前、ヨシュアは、ギブオン人に彼らの町は決して滅ぼさないと神様の前に誓約していました。ところが、サウルはこれを破り、ギブオン人を打ちました(聖書にこの出来事はありません。) 飢饉の原因は、このサウルの誓約違反にあったことを知らされると、ダビデは、ギブオン人から彼らの願いを聞き取りました。そして、その願いを受け入れる決断をします。

 4.主の前に忠実だったダビデ:サウルとは異なりダビデは神様の前でヨナタンとの間に結んだ約束を守り通しました。それが、ギブオン人の要求を受け入れサウルの子孫7人を差し出さなくてはならなかった時、ヨナタンの息子メフィボシェトを選ばなかったことです。
 私たちが課題を解決していくときの第一の基準も、神様との約束は、どこまでも守ることです。それが、神様を愛することになります。

 5.隣人を愛したダビデ:苦渋の決断の結果、ダビデは、アヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子、それに、サウルの娘ミカルとアドリエルとの間に生まれた五人の息子たちの計7人をギブオン人に引き渡しました。ギブオン人はこれら7人を一度に処刑し、さらし者にしました。アヤの娘リツパは、荒布を広げて息子たちの遺体を鳥や野獣から守りました。このリツパの行ないを知ったダビデは、彼らの遺体をサウルとヨナタンの骨と一緒に引き取り、丁重に葬りました。ここに隣人を愛するダビデの姿が現わされています。

 どの様な課題であってもつぶやかず、主と人の前に忠実に解決を願っていくところに、祝福があります。主から与えられたこの一年の恵みを数えて感謝の内に新年を迎えましょう。

 (参考聖書箇所:申命35章33節、ヨシュア9章15節、ローマ12章19節、黙示録1章4節)
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