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有明キリスト教会ブログ--今週の聖書の言葉
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日本バプテスト連盟 有明キリスト教会 主日礼拝「宣教」要約
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『ひたすらキリストの福音にふさわしい生活をV互いに心がけたいこと』   

2017/08/13 20:00
2017年8月13日 主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   フィリピの信徒への手紙第2章1〜11節 
メッセージ 『ひたすらキリストの福音にふさわしい生活をV 
                = 互いに心がけたいこと』   
メッセンジャー 田中文人牧師

 キリスト教会は、神様から呼び集められた者たちの群です。いうまでもなく、その神様、救い主イエス・キリストを聖霊の導きによって礼拝するために集められています。礼拝では、創造主の前でその主を讃美し、祈ります。聖書の御言葉から慰め、励まし、戒めを受け、1週間の生活に遣わされます。キリスト教会には、多くの奉仕があります。そのために互いに仕え合います。この様にして、ひとりひとりはキリストを頭に、その体である教会に連なり、ひとつにされていきます。
 今日聞き取りたいことは、どの様な思いで互いに仕えあうならば、一致した群の歩み、ひとつの群の歩みになっていくのかについてです。

 1.パウロの心配:フィリピの教会は、健全な群でした。ですが、地上の教会で完全な群はありません。健全と思われる群にも、どこか課題はあり、その解決のために祈り合っています。
 フィリピ教会にあった課題は、今日の2章には記されていませんが、どうやらエボディアとシンティケ、二人の婦人たちのことだったようです(フィリピ4章2節参照)。彼女たちは、フィリピ教会で大切な奉仕を担っていました。ところが、いつしか、自分のための奉仕になっていた様です。二人同士で競い合う様なこともしていたのかも知れません。いくら大切な働きを担い、大きな奉仕に用いられていたとしても、その様になっていくと、いつしか教会の群全体が一致出来なくなっていきます。

 2.パウロの勧め:そこでパウロは次の様に勧めます。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(3〜4節参照)。「利己心」は、自己中心です。神様の前に謙遜になり、救いの恵みにあずかった感謝と喜びで奉仕する様に。他の人たちを尊敬し、配慮し合い仕え合う様に。そこを外さないならば、霊の一致に導かれます。フィリピ教会がそこを目指していることが、ローマで軟禁状態に置かれていたパウロにとって、さらに喜びになると記しています。

 3.キリストを見上げて:ですが、現代の教会でも「なかなか実際の歩みは…。」と言いたくなるかも知れません。そこでいつも見上げていたいところが、救い主イエス・キリストです(6〜11節)。
 イエスさまは、初めから神様(創造主)と共におられ、創造の御業にも関わられました。ですが、その身分に拘わらず、人の姿でこの世に来てくださいました。これだけでも十分過ぎますが、人を救うために十字架の死まで遂げてくださいました。そのキリストを神様は天に引き上げられました。いまキリスト教会では、このキリストを礼拝し、讃美しています。
 このキリストのことをいつも思いながら、今週も心からの礼拝を献げ、仕え合いましょう。そして、主の栄光を現す一週間の歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:コロサイ1章15節、エフェソ5章21節)
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『自分のための謀反と民のための都逃れ』

2017/08/06 12:00
2017年8月6日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第15章1〜23節  司式者
メッセージ   『自分のための謀反と民のための都逃れ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日の聖書箇所には、王位に就く野望を実現するために父親でもあるダビデ王に謀反を起したアブサロムのことと、国民の命を最優先するために、一旦、都を明け渡したダビデの様子が記されています。
 1.謀反の準備:アブサロムは、4年かけて周到に謀反の準備をしていきました。ひとつが、自分に力があることを国民に印象付けるために、軍馬と戦車、それに50名の兵を整えたことです。もうひとつが、国民の心をダビデから自分の方に向けさせ、盗み取ったことです。
 そして4年が過ぎた時、アブサロムは父ダビデ王にヘブロンに行き、誓願を果すために礼拝を献げさせてほしいと申し出ました。初めからヘブロンで自分が王になったことを宣言しようとしていましたから、これは、礼拝を自分の野望を実現するために利用したことになります。何より、主の名をみだりに唱えることであり、モーセの十戒の第三戒に明らかに反することでした。 一方のダビデは、全く無警戒でした。すぐにヘブロンに行く許可を出し、祝福までして送り出したのです。
 2.謀反の実行:すべて自分の計画通りに進めて行ったアブサロムは、200人の者たちを連れてヘブロンに下りました。そのうえ、ダビデ王の家臣のひとりだったアヒトフェルを招き、自分の側に付け、陰謀を固めていきました。この様にして、遂にアブサロムは、角笛を吹いて、イスラエルの王になったことを宣言したのです。
 3.ダビデ王の対応:この謀反を知ったダビデは、すぐに都であるエルサレムから出て行くことを決めました。あまりにも諦めるのが早い様に思いますが、ここにダビデの信仰による選び取りが表わされています。
 ダビデの決断の基準は、イスラエルの民を戦争に巻き込みたくないということでした。息子と一戦を交えたくないという思いもありましたが、それ以上に国民の命を守ることを第一にするならば、王のプライドを捨てることも、杉材でつくった高級な家を手離すことも出来たのです。
 この様に潔い決断が出来たのは、すべてを導いてくださる主にダビデが信仰によって信頼していたからと言えます。御心であるならば、また都に帰り、王座に戻してくださると確信していましたから、10人の側女もエルサレムに残したままにしておきました。
 4.都を逃れた結果:信仰による決断をしたダビデに神様はいくつもの恵みをあらわしてくださいました。ひとつが、彼に冷静な判断力を与えたことです。エルサレムを出ると離宮で立ち止り、みかたが何人いるのかを数えました。ふたつ目に、ダビデに従った者たちの中に、ガド人イタイがいたことです。彼は一日前にガドから亡命して来たばかりでしたから、ダビデは彼にも配慮を示し、エルサレムに戻ってアブサロムに仕えることを勧めました。ですが、イタイはどこまでもダビデに仕える意志をはっきり伝えました。イタイには600人もの部下がいましたから、ダビデにとって大きな励ましになったことは間違いありません。
 私たちが生きる目的は、自分の野望実現ではなく、「主の栄光をあらわすため」です。そのために、神様第一、隣人をその次、そして自分は最後にする歩みを願い出ましょう。そこに主は大きな祝福を用意しておられます。

(参考聖書箇所:Tコリント10章31節)
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『優柔不断だったダビデ』 

2017/07/30 18:00
2017年7月30日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第14章1〜33節 
メッセージ    『優柔不断だったダビデ』   
メッセンジャー   田中文人牧師

 自分の判断に、優柔不断なところはあるでしょうか?もしあるとしたら、どの様なことに対してでしょうか?人生で優柔不断だったために大失敗することがあるとすれば、それは何でしょうか?逆に、どの様な時に、優柔不断ではなく、新しい歩みの決断をする必要があるでしょうか?

 1.テコアの女性の例え話し:兄アムノンを殺害した後アブサロムは、母の故郷ゲシュルの国に逃げましたが、そのまま三年が過ぎました。このままでは事が前に進まないと思ったダビデの家臣、将軍のヨアブは、知恵のあるテコアの女性を呼び寄せます。変装して、自分の身に振りかかっている問題を解決してもらうふりをして、ダビデ王に問題の相談するよう頼みました。この女性は、「自分の二人の息子が喧嘩をし、一人がもう一人を殺してしまったが、親類がその殺した息子も命の償いのために生かしておくわけにはいかない、殺して跡継ぎも残さないようにすると言って来ている」という話しをしました。ダビデは、この話しを聞き、「お前にあれこれ言う者がいたら、わたしのもとに連れて来なさい。その者がお前を煩わすことは二度とない。」と約束しました。
 2.テコアの女性の勧め:そこでテコアのこの女性は、ようやく本題に入りました。つまり、いま自分に約束したことを王自身が行なうとするならば、亡命中のアブサロムをエルサレムに戻す様にとの勧めです。これを聞いたダビデは、ヨアブが背後で動いていることを見抜きました。その場にヨアブもいましたから、ダビデはすぐにアブサロムをエルサレムに戻してよいと命じました。しかし、自分の家に向かわせ、父ダビデ王の前に出ることは許しませんでした。
 3.切れたアブサロム:ところが、そのまま二年が過ぎました。アブサロムは、父ダビデ王の前に出られるようにヨアブに取り計らってもらおうとして、二度遣いをやりましたが、ヨアブは来ませんでした。そこでアブサロムは隣にあったヨアブの大麦畑に火をつけるよう、部下に命じました。さすがのヨアブもこの時ばかりは飛んで来ました。この様にしてヨアブの仲介により、アブサロムはようやく父の前に出る許可を得ました。ダビデ王も中東の挨拶である口づけをし、表面的には和解しました。
 4.ダビデの優柔不断さ:ダビデは、1)アブサロムをゲシュルに逃亡させたままにしておいた点で、2)エルサレムの家には戻る許可を与えたが、その後さらに2年間そのままにしておいた点で、優柔不断でした。これは、アブサロムの罪を放っておき、しっかり対応しなかったことになります。
 5.優柔不断ではいけないこと:私たちの、放っておいてはならないことが、罪です。「罪が支払う報酬は死です。」(ローマ6章23節)天国の原則から逸れていることに気付いた時は、すぐに悔い改めましょう。どの様な的外れでも、イエスさまの十字架の血による赦しが与えられ、神様は天国に喜んで迎え入れてくださいます。「神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(ローマ6章23節)
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『ひたすらキリストの福音に相応しい生活を2=内からの苦しみの中で喜ぶ』 

2017/07/23 12:00
2017年7月23日
主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    フィリピの信徒への手紙第1章20〜30節
メッセージ   『ひたすらキリストの福音に相応しい生活を 2
        = 内からの苦しみの中で喜ぶ』 
メッセンジャー  田中文人牧師

 ローマの軟禁状態の中でパウロは、外と自分の内側両方からの苦しみを体験していました。ですが、それらの苦しみの中で彼は心から喜んでおり、そのことをフィリピの信徒たちに書き送っています。今日は、パウロの内側からの苦しみとその中でも喜びに満たされていた様子を読み取ります。

 1.内側の葛藤:パウロにとっては、「生きるとはキリストであり、死ぬことは利益」でした(21節)。それは、復活されたキリストと出会った時から、パウロはもはや自分のためにではなく、何をするにしてもキリストのため、救い主のみが、あがめられるために生きるように変えられていたからです。ですから、パウロは、この世に生き続けることには執着していませんでした。むしろ、この世を去って早くキリストのもとに行く方を望んでいました。ですが、もう一度フィリピを訪ね、キリストにある恵みを分かち合えるならば、フィリピの信徒たちにとっては、なお喜ばしいことでした。そこで、パウロ自身、生きるのか死ぬのかどちらを望むのがよいのか、その両方の間で葛藤していたといえます。

 2.葛藤の理由:パウロ自身は既に生きるにしても死ぬにしても、とにかくキリストがあがめられるのであれば、「それでよし」という思いに至っていました。「あがめられる」こととは、キリストがどこまでも大きくされ、パウロは小さくされることです。ですが、パウロはフィリピの信徒たちのためには、なお肉に留まることの方がより望ましい(24節)と思っていました。この様にパウロは自分ではなくフィリピの信徒たちのことを思うとき、葛藤を覚えていたといえます。やはり、神様を第一に、隣人をその次にするところに歩んでいた信仰者の姿といえます。
 それでも、パウロといえども一人の弱い罪人に過ぎません。22〜23節の原文の文体は乱れていると言われます。ローマ皇帝から死刑の判決を受けるかも知れないことを予想するとき、パウロも動揺したことが読み取れます。それでもキリストがあがめられるところに立ち続け、フィリピの信徒たちにとって最善を願い出たとき、死とこの葛藤に解決が与えられていきました。

 3.霊の一致を願い出て:私たちは何のために生きているでしょうか?また、死には解決が与えられているでしょうか?「死ぬ準備ができていないなら、生きる準備もできていない」ことになります(『ディボーショナル聖書忠解』より)。
 私たちも何をするにしてもキリストがあがめられることを人生の土台に据えましょう。また、聖霊による信仰の友との一致を目指しましょう。パウロは、フィリピの信徒たちと距離は遠く離れていましたが、霊ではひとつになっていました。この霊の一致が与えられるとき、私たちも外側内側で労苦していたとしても喜びに満たされて歩み続けるところに導かれます。

 (参考聖書箇所:ガラテヤ2章20節)
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『罪の結果』

2017/07/16 12:00
2017年7月16日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第13章23〜39節 
メッセージ   『罪の結果』   
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日の聖書箇所には、アブサロムが、妹タマルを辱められたことへの復讐をアムノンに果したことが書いてあります。ですが、ことは単純ではありませんでした。アブサロムはアムノンを従者に命じて殺害しましたが、それは、王位継承権が上位だった兄を亡きものにし、自分がその権利を奪う野望も絡んでいたのです。
 1.アブサロムの懇願:アムノンがタマルを辱めた大事件から2年後、アブサロムは羊の毛を刈る祝宴を開きました。そこへ、父ダビデも兄たちと一緒に出席してくれるように強く招きました。ですがダビデは、自分たちが出席するならば、息子アブサロムに様々な面で負担をかけることになると考え、断り、祝福だけしました。
 アブサロムは、父からこの様に断わられることは十分予想していた様です。そこで次に彼は、兄アムノンを他の兄弟たちと一緒に父の代りに来てくれるようにと、やはり強く招きました。この招きもダビデは、はじめのうちは渋っていましたが、ついに受け入れ、王子たちをアムノンと一緒に送り出しました。
 2.アムノンの殺害:計略はすべてアブサロムの思い通りに進みました。彼はアムノンが酒に酔って上機嫌の時に、従者たちに命じて打たせました。他の王子たちは、自分も殺されるのではと思い、急いでそれぞれのらばに乗り、エルサレムに逃げ帰りました。
 ダビデのところには、いち早く伝令が向かいましたが、王子全員がアブサロムに殺されたと、事実とは異なる情報が伝わりました。それを聞いていたヨナダブが、殺されたのはアムノンだけであること、アブサロムは2年前からこのことを計画し、時をうかがっていたことをダビデに説明しました。その直後、彼が告げた通り、他の王子たちがらばに乗って逃げ帰って来ました。
 3悲劇の原因:一つは、アブサロムの罪です。いくらアムノンへの憎しみが消えないといっても、聖書の原則は、「復讐してはならない。」(レビ19章18節)であり、「わたし(神)が報復し、報いをする」(申命32章35節)です。そのうえ王位継承権を奪う野望を果すための殺害でしたから、この罪は大変大きかったことになります。
 二つ目は、アムノンの罪です。タマルを傷つけ、兄弟の関係にもひびを入れたのですから、アムノンはイスラエルで最も愚かなことをしたことになります。
 三つ目はダビデです。これら家庭内騒動の大元の原因は、彼がバト・シェバとの間に犯した罪でした。アブサロムによるアムノン殺しも、「剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。」(サムエル下12章10節)とナタンの預言が実現したことと言えます。
 4.キリストの十字架の血による罪の赦し:この様に人が欲のままに振舞うならば、その行き着くところは「死」です。この死から買い戻してくださるためにイエスさまは十字架で死んでくださり、三日目に復活されました。私たちの内側にも憎悪や野望ほか様々な思いがあります。それを放っておくならば、行き着くところは、永遠に神様がおられない魂の「滅び」です。感謝のうちに救い主イエス・キリストを信じて罪の赦しをいただき、永遠の死から救われ、永遠の命に与りましょう。

 (参考聖書箇所:レビ19章18節、申命32章35節、ローマ6章17〜23節、〃12章19節)
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 『ひたすらキリストの福音に相応しい生活を1 = 外からの苦しみの中で喜ぶ』 

2017/07/09 18:29
2017年7月9日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   フィリピの信徒への手紙第1章12〜30節 
メッセージ  『ひたすらキリストの福音に相応しい生活を1 
       = 外からの苦しみの中で喜ぶ』 
メッセンジャー  田中文人牧師

「喜び」は、この手紙の特徴であり、キリスト信仰そのものの特徴です。ところが、今日の29節でパウロは、フィリピの信徒たちに、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」と書き送っています。「キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」とはどういうことでしょうか?今日は、パウロが体験していた外からの苦しみ(戦い)を見ながら、その中での喜びを聞き取ります。
 1.軟禁状態に置かれていたパウロ:このときパウロは、ローマで皇帝の裁判を待つ身でした。その間、自費で借りた家で、来客との面会は許されていましたが、外出は出来ず、番兵に監視される軟禁状態に置かれていました。その中でも彼は、落ち込んだり悲観したりすることなく、人々を招いてキリストを伝え、これまで訪ねた町々の教会に手紙を書き送っていました。
 2.パウロの苦しみ:その様なパウロの姿を見て励まされ、愛の動機からキリストを伝える人々もいました。彼らはパウロにとって喜びになり、さらに力付けられたことは間違いありません。
 ところが別のグループもいました。それが、自分の利益から同じキリストを伝える人々でした。「自分の利益」とは、主にではなく、キリストを伝えている自分たちに人々の心を引きつけようとする動機です。そして彼らは、パウロたちの伝道を妨げていました。そこでこの様なグループは、パウロの苦しみになっていました。
 3.パウロの喜び:ですがパウロは、「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます」と書いています。動機はどうであれ、伝えられている内容は、救い主イエス・キリスト=十字架の血による罪の赦しと事実キリストの復活による永遠の命には違いない、その視点で、キリストが伝わり、キリストに栄光が帰されているのだから喜んでおり、これからも喜ぶと自分の心境を書き送っています。
彼はこの喜びに満たされて軟禁状態であっても生き生きと生活していました。それを目の当たりにした番兵の中からもキリストを信じる者たちが何人か起こされました。このことによってもパウロは復活されたキリストが生きて働いておられることを確信し、さらに喜びが増し加えられていきました。
 4.私たちの喜び:現代でも同じキリストが伝えられてはいますが、その動機が違うことを認めざるを得ないこともあります。そのことに気付くとき、私たちも悩み苦しみます。ですが私たちが見極めたいことは、どの様なキリストが伝えられているかです。十字架の血による罪の赦しと復活が歴史の事実であること、救いはそのキリストを信じることにより与えられることが伝えられているならば、動機も含め、細かい点には拘らなくてもよいのではないでしょうか?キリストの福音が広がっていること、救われる魂が加えられていることを喜びたいものです。
(参考聖書箇所:ローマ5章1〜5節)
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『苦難をも喜ぶ』

2017/07/08 08:04
2017年7月2日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     ローマ 第5章1〜5節 
メッセージ   『苦難をも喜ぶ』
メッセンジャー 竹下由美子神学生(なごみグレイスチャーチ)

 おはようございます。九州バプテスト神学校に入学して5年目になります。神様は、色々な方面から私を訓練し、愛のみ手を以って支えてくださっています。神様が今、私に何を教えようとしてくださっているのか?私自身、主に信頼し聖書の御言葉に依り頼み、神様の御旨を求めています。
 さて、現在の世界情勢、政治、経済、社会状況を見て、平和を感じ取られるものがあるでしょうか?戦争と危険が迫ってきている今日、どこを見ても、平和なるものはありません。ローマ5章1〜2節に「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」と御言葉は語っています。私達は、自分の力でどれ程、努力しても平和を得ることはできません。イエス・キリストによってのみ与えられる平和です。今、キリストに出会い、十字架に出会い、平和を得ることが出来て、現在の私は、苦難をも受け止めることが出来るように造りかえられました。どこで苦難を受け止めることが出来るのでしょうか?
 私にとっての大きな苦難は、以前お話ししたと思いますが、家が全焼し、何もかも失くした事です。この時、イエス様は、私の全てを御存知であり、全ての必要を満たしてくださることを知ることが出来ました。次に、私にとっての大きな苦難は、約6年前、40年以上在籍していたS教会を脱会したという現実でした。今まで愛着を持って我家のように過ごしてきた教会を出るということは、本当に悲しい苦しいことでした。いろんな事があり、大きなハードルを乗り越えねばなりませんでした。しかし、神様の助けによって、一つ一つクリアーすることが出来ました。そして今、苦難と忍耐の中から勝ち得ることができた「キリストにある教会」を主が与えてくださったことを深く感謝しています。
 ローマ5章3〜5節に「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」とあります。キリストによって、神との間に平和を与えてくださる方は、私達、求める一人一人に希望を与えてくださり、決して欺かれないことを知り感謝します。苦難の中から喜びと希望を与えてくださる神様、物事全てを良きにしてくださる主に感謝し、神様との平和の中に身をゆだねる者となりたいと思います。

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『欲望に負けたアムノン』

2017/07/07 08:00
2017年6月25日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     サムエル記下第13章1〜22節 
メッセージ    『欲望に負けたアムノン』
メッセンジャー   田中文人牧師

 課題に直面したり、失敗したりする時、その原因を追究します。同じ失敗を繰り返さないためにも、原因の究明は大切です。
 私たちは、その原因を「何のため」としているでしょうか?とかく、社会や組織の有り方、状況のせいにして、そこで留まることが多いのではないでしょうか?確かに組織の構造を変えたり、仕事の流れを見直したりすることによって解決する課題もあります。状況が変われば課題もなくなることもあります。ですが、根本の原因はもっと人の奥底にあるのではないでしょうか?
 1.ダビデ家に起きた事件:ダビデ王には何人もの妻がおり、それらの妻たちから多くの子どもが生まれました。アムノンとタマルも異母兄弟でした。そのアムノンがタマルに恋心を抱きましたが、異母とはいっても兄妹ですから、アムノンは結婚出来ないと思い、次第に元気を無くしていきました。
 この様子を見た従兄弟のヨナダブが、アムノンに入れ知恵をしました。それを受け入れたアムノンは、父ダビデが見舞いに来た時、妹タマルがつくったレビボット(心[ハート]という意味の菓子)を彼女の手から食べたいと申し出ました。ダビデは何も疑わず、この要求を受け入れ、早速タマルをアムノンの家に送りました。
 アムノンにとって事はすべて策略通りに進み、寝室でタマルとふたりだけになったところで、彼女を捕えました。タマルは、アムノンがしようとしていることは、イスラエルでは最も愚かなことであることを話し、思い留まって父ダビデに自分を妻に迎えたいことを話すように必死で説得しました。しかしアムノンはタマルが言うことには全く耳を貸そうとはせず、力ずくで辱めたのです。ところが欲望を果してしまうとアムノンの思いは冷めてしまいました。恋心以上に憎しみを抱いたアムノンは、タマルを強引に追い出したのです。
 このことを知ったダビデは、激怒はしたものの、アムノンには何も言わず、とがめることもしませんでした。一方タマルと同じ母の子であるアブサロムは、この時からアムノンを殺す機会をうかがうようになりました。そして大きな傷を受けたタマルは、このアブサロムの家でひっそりと暮すことになったのです。
 2.事件の原因:この事件の原因は、人の欲望にあったと言えます。ひとつは、何といってもアムノンの欲望です。彼は心からタマルを愛していたのではなく、一時的な欲望にかられていたとしか思えません。そこにヨナダブの入れ知恵があり、それを受け入れ、そのまま行動に移しました。また、父ダビデが犯したあのバト・シェバとの姦淫の罪も影響していたことも否定出来ません。ですからダビデは、アムノンに何も言えず、叱ることさえ出来なかったのです。
 3.欲望に負けないために:私たちも欲望のままに生きるように誘惑する力にさらされています。私たちには、その力に打ち勝つ力は全くありません。ですが、あらゆる誘惑に打ち勝たれたお方が、ただひとり、イエス・キリスト救い主です。聖書の御言葉を通してイエスさまはいつも共にいてくださいます。御言葉から主に喜ばれる神の国の原則を聞き取り、そこに少しでも近付けられるよう、今週も聖霊の助けを願いましょう。
 (参考聖書箇所:マルコ14章39節、ヤコブ1章13〜15節)
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『パウロの喜び』

2017/07/07 07:58
22017年6月18日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    フィリピの信徒への手紙第1章1〜11節 
メッセージ   『パウロの喜び』
メッセンジャー  田中文人牧師
 1.「父の日」に当たって:今日は「父の日」です。「父の日」も「母の日」同様キリスト教会から始まりました。有明教会でも壮年の祝福祈祷をいたします。壮年を遣わしてくださっている父なる神様と壮年ひとりひとり、それぞれの父に感謝しましょう。
 2.フィリピの信徒への手紙について:今日から新約聖書は、『フィリピの信徒への手紙』を読み始めます。フィリピは、いまから2000年前、ローマ帝国の北の方マケドニア州にあり、パウロとテモテたちによってヨーロッパで初めてキリストの福音が伝わった町です。その町にパウロは、ローマで裁判を待っている間、監視つきで軟禁状態に置かれた中でこの手紙を書き送りました。
 ところが、この書の特徴は、「喜び」です。パウロ自身キリスト信仰の喜びに満たされていました。これから先、どのような判決を言い渡されるのかわからない中で、彼はどの様に喜び、キリストと共に歩んでいたのでしょうか?そこからフィリピの信徒たちにどの様な勧めをしているでしょうか?それらのここを全4章から聞き取ります。
 3.最初の日から今日まで、福音にあずかっていた信徒たち(5〜8節:パウロの喜びのひとつは、フィリピの信徒たちが、イエス・キリストの十字架の血による罪の赦しをしっかり受け、キリストの死者の中からの復活を歴史の事実とするキリスト信仰に立ち続けていたことです。さらに、そこに留まるのでなく、同じキリストの福音を伝え続けていたことです。パウロはその様な彼らがローマとフィリピとで場所は離れていても、共に伝道し、支え会い励まし会っていることを神様に感謝する祈りをしています。その度に、パウロ自身喜びに満たされていたと書き送っています。
 私たちの喜びは何でしょうか?クリスチャンたちが健善な信仰に立ち、伝道に用いられていることを主に感謝する祈りをする中で、喜びに満たされたいものです。
 4.パウロの願い(9〜11節):続けてパウロは、フィリピの信徒たちが知る力と見抜く力とをますます信に着けて、本当に充要なことを見分けられるようにと祈っています。「知る力」は、聖書から救い主イエス・キリストのことを少しでも正しく知るための力です。「見抜く力」は、異端等、違う教えや信仰に惑わされないためのあらゆる力です。紀元60年頃には既に救い主について違うことを伝える者たちが現われていました。ローマ帝国内ではクリスチャンへの迫害も始まっていました。時代を見る目も含め、知恵にと霊によって見抜く力が必要とされていました。
 私たちも、ますます聖書からキリストのことを知る力が与えられるように、自分のことだけでなく、とりなしの祈りをいたしましょう。日本もこれからどの様に動くかわからなくなって来ています。その点でも、聖書に照して時代を見る目も与えられるようにも祈る必要があります。
 そして何よりキリストの愛によって互いに仕え合い、御霊の実を結ぶことを祈りましょう。今週も特に壮年は、それらが与えられながら、主の栄光を現わす働きに遣わされてまいりましょう。
              (参考聖書箇所:使徒28章16節、ローマ5章1〜5節)
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 『裁きとあわれみの神』

2017/06/11 17:53
2017年6月11日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第12章15節後半〜31節 
メッセージ  『裁きとあわれみの神』
メッセンジャー  田中文人牧師

 「旧約聖書に示されている神様は裁きの神」「新約聖書に示されている神様は愛の神」と受け取っているところはないでしょうか?キリスト信仰の神は、ただ一人(唯一様)です。そのご性質は、愛と慈しみであると共に、裁き主でもあられます。つまり旧約聖書にも愛と慈しみのご性質は表わされており、新約聖書にも裁き主のご性質が表わされています。

 1.自らの罪の刈り取りをしたダビデ:預言者ナタンからバト・シェバとの姦淫の罪と、彼女の夫ウリヤを戦死させた罪を指摘されたダビデは、すぐに悔い改めました。神様は、ナタンによって赦しを宣言され、ダビデの罪は赦されました。ですが、その刈り取りは、やはりしなくてはなりませんでした。それが、ふたりの間に生まれた息子の死でした。このことをダビデはどの様に受けとめたでしょうか?

 2.心を注ぎ出して祈ったダビデ:ナタンが告げた通り、息子は瀕死の病に罹りました。この時ダビデは、その子のために断食し、引き籠って七日間、周囲の者たちが心配するほど真剣に祈り続けました。この時ダビデは、ただ息子の癒しを願ったのではありませんでした。いま一度自らの罪を悔い改める中で、心を注ぎ出し、神様と人格で交わったのです。

 3.祈りの結果を受け入れたダビデ:彼の必死の祈りの結果は、ナタンが告げた通り、息子の死でした。ところがダビデは、息子の死を知ると、礼拝をし、着物を着替え、食事を取りました。喪に服すのでなく、日常の生活に戻ったのです。周りの者たちは大変驚きました。彼がこの様に出来たのは、息子の魂は確実に主の御もとで安らいでおり、ダビデもいつか同じところに行き、再会出来るところに希望が与えられていたからです。
 上記2.と3.は、やはり信仰の人ダビデの姿です。私たちも祈る時には、心を注ぎ出し、人格で主と交わりましょう。キリスト信仰の祈りは神様との対話です。その祈りの結果、願った通りにならないこともあります。ですが、それで神様は私たちを見捨てられたのではありません。心から主と交わろうとする者には「万事を益」にしてくださいます(ローマ8章28節)。そこに信頼し、さらに祈りましょう。

 4.主の慈しみ:神様はダビデとバト・シェバの間に、4人の子どもを与えられました。その一人がソロモンです。この息子を主は愛されナタンによってエディドヤ(主に愛された者)とも名付けられました。また、ラバとの戦いの勝利を将軍ヨアブの手柄ではなく、ダビデのものにされました。後継ぎが与えられ、周りの国に勝利したことは、イスラエルの国の王ダビデにとっては、神様からの大きな慈しみであり恵みでした。
 このダビデの家系から救い主イエス・キリストがお生まれになりました。全人類を救う神様のご計画と愛は、人には計り知れません。この愛に感謝して、今週も主の栄光を現わす歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:マタイ18章14節、Tヨハネ1章9節〜2章6節)
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『全く自由に何の妨げもなくローマで伝道したパウロ』

2017/06/04 16:30
2017年6月4日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     使徒言行録(使徒の働き)第28章17〜31節 
メッセージ    『全く自由に何の妨げもなくローマで伝道したパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日は、今年のペンテコステです。2000年前、約束の聖霊が使徒たちの上に降り、そこから彼らは全世界に遣わされ、イエス・キリストが救い主であられることを伝えていきました。
 ところで、いまの私たちもキリストを「私の救い主」と信じた時から同じ福音を伝える働きに遣わされます。このように聞くと、「いまの私の状況では…」と言いたくなるかも知れません。果たしてそうでしょうか?

 1.パウロの状況:ローマ皇帝に上訴したパウロは、他の囚人たちと一緒にカイサリヤから何カ月もかけ、様々な危険な体験もしながら、主の守りのもと、ローマに到着しました。そして、自費で借りた家に住みながら、裁判を待つことになりました。ですが、その家は番兵の監視付きでした。そのうえ、外出することも許されませんでした。

 2.主だったユダヤ人たちに説明したパウロ:パウロは早速三日目にローマに住んでいた主だったユダヤ人たちを家に招きました。そして、なぜ自分がローマに来ることになったのか、その経緯を説明しました。つまり、ユダヤの習慣や律法に反することも、ローマの法にふれる様なことも何ひとつしていないこと、ローマ人たちは自分を釈放しようとしたが、同邦のユダヤ人たちがそれを許さなかったこと、そのために、上訴し、ここローマに来ていること、イスラエルの民が望みをかけていることを語っているので鎖に繋がれていること…。
 この様に説明したところ、聞いていたユダヤ人たちは、次の様に言いました。エルサレムから手紙も届いていなければ、パウロについて悪い情報も聞いていない、しかし「この分派」(キリスト信仰)についてはいたるところで反対があることを耳にしている、そこでパウロが考えていることを直接聞きたい。

 3.伝道したパウロ:その後ユダヤ人たちは日を決めて今度は大勢でパウロの家にやって来ました。そこでパウロは、旧約聖書に預言されているイエス・キリストはこの世に来られ、十字架で死なれ、全人類を救う御業を実現されたこと、その三日後に死者の中から復活されたこと、このキリストを救い主と信じるだけで誰でも罪の赦しと永遠の命の約束にあずかれることを割り引くことなく伝えました。
 この福音(よき知らせ)を聞いていた人たちの反応は二分され、ある者はキリストを信じ、ある者は信じようとせず、意見は一致しませんでした。そこでパウロはイザヤ書6章の聖句を引きながら、この様な反応も預言通りであること、この神の救いは異邦人に向けられることを告げました。それでも彼らは論じ合いながら帰っていきました。

 パウロは、置かれている状況の中で、最大限出来ることをして伝道しました。私たちも状況や環境に関係なく救い主を伝える働きに用いられます。そこに期待し、ペンテコステの今日からそれぞれの場所に遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:イザヤ6章9〜10節、使徒1章8節) 
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  『マルタ島で仕えたパウロ』

2017/05/28 13:00
2017年5月28日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     使徒言行録(使徒の働き)第28章1〜16節 
メッセージ    『マルタ島で仕えたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

  1.島民に迎えられたパウロたち:パウロたち計276名は、難破した船から脱出し、泳いで島に上陸しました。神様の約束通り、誰一人欠けることも、怪我をすることもありませんでした。
 上陸してみると、その島はマルタ島であることがわかりました。島の人たちは、初冬のこの時期に、ずぶ濡れで寒さに振るえていた大勢の上陸者のために、たき火をして迎えてくれました。

 2.自ら枯れ枝をくべたパウロ:パウロも囚人の一人でしたが、この時は、手足を鎖から解放され、自由に動けた様です。そこで彼は、自分でも積極的に小枝を集め、火にくべました。この様にしてパウロは、長い日数共に旅をして来て、海の難から守られた者たちが暖まるために業によって仕えました。

 3.蝮の害から守られたパウロ:ところが、パウロが枯れ枝をくべたところ、一匹の蝮が彼の手に絡みつき、ぶら下がりました。これを見た島民たちは、パウロを人殺しだと思い、「海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ」と言い出しました。
 ところがパウロは蝮を火に振り落し、何の害も受けませんでした。このこともキリストの約束通りでした(マルコ16章18節参照)。いつまで見ていてもパウロに何の変化もないので、島民たちは今度はパウロを「神様だ」と言い出しました。

 4.島の人々の病いを癒したパウロ:島の長官でプブリウスという人は、パウロとルカたちを自分の所有地に迎え、三日間もてなしてくれました。このプブリウスの父親が熱と下痢で床に就いていることを知ったパウロは、その家に行って手を置いて祈り、いやしの業を行ないましたこれを聞いた他の病人たちもパウロのところにやって来て、いやしてもらいました。

 5.ローマに到着したパウロ:この様にしてパウロたちは島の人々に受け入れられながら冬を越しました。三カ月後、再度ローマに向けて船出する時には、島の人たちはパウロたちに敬意を示し、必要な物を全部持って来てくれました。
 その後の旅は順調に進み、パウロたちは全員ローマに到着しました。ローマでは番兵付きではあったものの、パウロは、自分で借りた家に住むことが許され、何の妨げもなくイエス・キリストの福音を二年間にわたり伝え続けました。

 6.業によっても人々に仕える歩みを:パウロと聞くと、とかく「語る人」のイメージが強いのではないでしょうか?ですが上記のように彼は業によっても人々のために仕え続けました。私たちも自分がキリストの愛に生かされていることを感謝する思いから、どの様な人にでも愛を示す業に用いられることを願い出ましょう。業で仕えることを通しても、主はイエス・キリストの福音を語る機会を与えてくださいます。

 (参考聖書箇所:マルコ16章18節、使徒17章、同18章)
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『罪を取り除かれたダビデ』

2017/05/21 14:00
2017年5月21日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     サムエル記下第12章1〜15節 
メッセージ   『罪を取り除かれたダビデ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 誰かから自分の失敗や罪を指摘された時、私たちはどの様に反応するでしょうか?

 1.他人の罪には敏感だったダビデ(1〜6節):バト・シェバと姦通し、その夫ウリヤを敵の手によって殺す罪を犯してから約一年後、ダビデのところに神様に遣わされた預言者ナタンが来て、例えを語りました。その話しは、「あるところに裕福な男と貧しい男がいた。裕福な男は多くの牛や羊を持っていた。貧しい男は自分で買った雌羊一匹しか持っておらず、娘の様に大切にしていた。ある日、裕福な男のところに来客があったが、この男は自分の家畜を惜しんだ。そして、貧しい男の雌羊を取り上げて料理し、客をもてなした。」
 ここまで聞いた時ダビデは、激怒し、「その様な慈悲のない男は死罪だ!」と言いました。そのうえ、旧約の律法を適用し、「貧しい男に四倍の償いもすべきだ!」ともナタンに言いました。私たちも人の失敗や罪には敏感でよく気付くのではないでしょうか?

 2.自分の罪を指摘されたダビデ(7〜12節):そこでナタンは、「その男はあなただ。」とダビデの罪を割り引くことなく、はっきりと指摘し始めます。預言者は、この様な厳しいことも告げなくてはならない時があります。
 ナタンは、これまでダビデが神様から大きく祝福されて来たことをサウル王から追われた時も守られ、約束通り王座にまで着かせてくださったことを挙げながら話して聞かせました。それから、ダビデが欲望にまかせてバト・シェバを奪ったこと、ウリヤを戦死させた大きな罪に気付かせていきました。

 3.罪を悔い改めて赦されたダビデ:自分の大きな罪に気付かされた時のダビデの態度はやはり信仰の人でした。彼は、「わたしは主に罪を犯した。」(13節)とすぐに認めて悔い改めました。これを聞いたナタンは、「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。」とダビデの罪が赦されたことを告げました。
 ですが、それで罪の刈り取りをしなくてもよいということではありません。続けてナタンは、「しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」とバト・シェバが産んだばかりの息子の死を告げました。

 4.少しでも御心に沿う歩みを:私たちも失敗したことや罪を犯してしまったことに気付かされた時には、速やかに認めて主の赦しを請いましょう。私たちには、イエス・キリストの十字架の血による赦しの道が差し出されています。自分を守ろうとするならば、新たに的を外すことになりかねません。神様は、私たちに永遠の命を与え、ご自分のところに迎えようと招いてくださっています。この主の愛に感謝し、示された的外れ(罪)は悔い改めて十字架の血による赦しをいただきましょう。今週も少しでも御心に沿う歩みを願い、主の栄光を現わす歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:出エジプト22章1節、マタイ7章7節、ガラテヤ6章7〜10節)
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『約束に信頼して主を仰ぎ見続けたパウロ』

2017/05/14 18:30
2017年5月14日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第27章27〜44節 
メッセージ  『約束に信頼して主を仰ぎ見続けたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日は、「母の日」です。母を与えてくださった神様とそれぞれの母に、そして教会の母親の働きをしている女性方に感謝しましょう。有明教会では、女性会の姉方に感謝し、「祝福祈祷」をいたします。

 1.人を用いて御心を実現される神様:唯一生きて働いておられるキリスト信仰の神様は、ご計画を人に告げ、実現されます。その時、人を用いられます。そこで、人も知恵を働かせ、最善を尽して努力することが大事になります。
 2.パウロに示されていた主のご計画:パウロには、「エルサレムでイエス・キリストを証ししたように、ローマでも証しする」ご計画が示されていました(使徒20章11節参照)。ですが、ローマに護送される途中、船は嵐に巻き込まれ、漂流し、命すら危険な状況に見舞われました。そのような時、パウロは改めて確実にローマまで行く御告げを聞き取りました。それは、パウロだけでなく、一緒に船に乗っている計276人全員、「髪の毛一本失われることはない」という約束でした。
 3.船員の逃亡を止めたパウロ:漂流してから14日目の夜になり、船はどこかの陸地に近か付いていることがわかりました。そこで船員たちは海の深さを計り、座礁を避けるために、碇を降ろしました。
 この様にして夜が明けるのを待っていましたが、船員たちは碇を降ろすふりをして小船を海に降ろし、逃げ出そうとしました。これを見つけたパウロは、百人隊長と兵士たちに彼らがいないと助からないことをいち早く伝えました。これを聞いた兵士たちは、小船の綱を切って流れに任せました。神様はパウロの機転をきかせた行動も用いられました。
 4.食事を勧めたパウロ:次にパウロは、神様が全員無事にローマまで到着出来る約束をパウロに告げられたことを話し、元気を出し、上陸に必要な体力を回復するために食事を取る様に勧めました。そして自ら進んでパンを裂き、主に感謝して食べ始めました。この様にして276人全員が食べて元気を取り戻しました。
 5.泳いで上陸したパウロたち:朝になり、陸地と砂浜のある入江が見えました。そこに船を乗り入れようとしましたが、船首が砂にめり込み、ついに座礁してしまいました。兵士たちは、囚人たちが逃げることを恐れ、殺す計画をたてはじめました。ですが、百人隊長は、パウロを助けたいと思い、泳げる者は泳ぎ、泳げない者は板切れや船員につかまって陸に向かうように命じました。この様にして約束通り、一人も欠けることなく、パウロたちは上陸出来ました。
 6.約束に信頼し最善を尽す歩みを:私たちにも主はご計画を告げられることがあります。しかし、順調に実現するとはかぎりません。大きな課題に直面し不安になることもあります。そこでまずすることが、常に約束を確認することです。そして、知恵を尽して最善を尽すことです。パウロの様にどこででも主を仰ぎ感謝しながら(35節)、今週も主の御心に沿う歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:ローマ8章28節、フィリピ2章12〜16節)
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『約束に信頼して主を仰ぎ見続けたパウロ』

2017/05/14 12:00
2017年5月14日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    使徒言行録(使徒の働き)第27章27〜44節 
メッセージ  『約束に信頼して主を仰ぎ見続けたパウロ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 今日は、「母の日」です。母を与えてくださった神様とそれぞれの母に、そして教会の母親の働きをしている女性方に感謝しましょう。有明教会では、女性会の姉方に感謝し、「祝福祈祷」をいたします。

 1.人を用いて御心を実現される神様:唯一生きて働いておられるキリスト信仰の神様は、ご計画を人に告げ、実現されます。その時、人を用いられます。そこで、人も知恵を働かせ、最善を尽して努力することが大事になります。
 2.パウロに示されていた主のご計画:パウロには、「エルサレムでイエス・キリストを証ししたように、ローマでも証しする」ご計画が示されていました(使徒20章11節参照)。ですが、ローマに護送される途中、船は嵐に巻き込まれ、漂流し、命すら危険な状況に見舞われました。そのような時、パウロは改めて確実にローマまで行く御告げを聞き取りました。それは、パウロだけでなく、一緒に船に乗っている計276人全員、「髪の毛一本失われることはない」という約束でした。
 3.船員の逃亡を止めたパウロ:漂流してから14日目の夜になり、船はどこかの陸地に近か付いていることがわかりました。そこで船員たちは海の深さを計り、座礁を避けるために、碇を降ろしました。
 この様にして夜が明けるのを待っていましたが、船員たちは碇を降ろすふりをして小船を海に降ろし、逃げ出そうとしました。これを見つけたパウロは、百人隊長と兵士たちに彼らがいないと助からないことをいち早く伝えました。これを聞いた兵士たちは、小船の綱を切って流れに任せました。神様はパウロの機転をきかせた行動も用いられました。
 4.食事を勧めたパウロ:次にパウロは、神様が全員無事にローマまで到着出来る約束をパウロに告げられたことを話し、元気を出し、上陸に必要な体力を回復するために食事を取る様に勧めました。そして自ら進んでパンを裂き、主に感謝して食べ始めました。この様にして276人全員が食べて元気を取り戻しました。
 5.泳いで上陸したパウロたち:朝になり、陸地と砂浜のある入江が見えました。そこに船を乗り入れようとしましたが、船首が砂にめり込み、ついに座礁してしまいました。兵士たちは、囚人たちが逃げることを恐れ、殺す計画をたてはじめました。ですが、百人隊長は、パウロを助けたいと思い、泳げる者は泳ぎ、泳げない者は板切れや船員につかまって陸に向かうように命じました。この様にして約束通り、一人も欠けることなく、パウロたちは上陸出来ました。
 6.約束に信頼し最善を尽す歩みを:私たちにも主はご計画を告げられることがあります。しかし、順調に実現するとはかぎりません。大きな課題に直面し不安になることもあります。そこでまずすることが、常に約束を確認することです。そして、知恵を尽して最善を尽すことです。パウロの様にどこででも主を仰ぎ感謝しながら(35節)、今週も主の御心に沿う歩みに遣わされましょう。

 (参考聖書箇所:ローマ8章28節、フィリピ2章12〜16節)
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『御心を損なったダビデ』

2017/05/07 12:00
2017年5月7日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書    サムエル記下第11章1〜27節 
メッセージ   『御心を損なったダビデ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 今日の聖書箇所には、信仰の人ダビデが最大の罪を犯した時の出来事が記されています。それが、有名な家臣ウリヤの妻バト・シェバとの姦淫に始まるいくつもの罪です。
 1.ダビデの罪:ダビデは、次の点でモーセの十戒に反する罪を犯したと見なされます。
1)「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(十戒の第十戒)=汚れを清めるために水浴びをしていた美しい女性が、いま最前戦で戦っている家臣ウリヤの妻であることを知った時、誘惑に任せてバト・シェバを王宮に呼び寄せました。ここから罪は始まりました。
 2)「姦淫してはならない。」(十戒の第七戒)=王権を利用してバト・シェバと床を共にしたのですから、明らかな姦淫罪に当たります。
 3)「殺してはならない。」(十戒の第六戒)=バト・シェバが妊娠したことを知るとダビデはウリヤとバト・シェバとの間の子どもにしようと策略をめぐらし、実行します。ですが、忠実なウリヤはそれに巻き込まれません。するとダビデは、ウリヤを最前戦に出して戦死させるようにと手紙を書き、本人のウリヤに持たせて将軍ヨアブのもとに帰しました。ヨアブはここに従い、ウリヤは死にました。ウリヤの死は、戦死ではなく、ダビデによる殺人です。
 2.罪の原因:信仰の人ダビデがこの様な取り返しがきかない罪を犯すことになった原因は、油断があったからと言えます。そもそもアンモンとの戦いの最中、王であるダビデが、エルサレムの王宮に残り、昼寝までしていたところに、気の緩みが現わされています。そこをサタンにつけ込まれ、次から次へと罪を重ねていくことになったのです。
 3.知恵者とは:聖書で「知恵ある人」とは、誘惑に打ち勝つ力のある人、自制心を働かせ、欲望にまかせて行動しない人のことです(『オリーブライフ』3、4月号、「ティーチングレター」参照)。ダビデは、バト・シェバを自分の妻に迎えました。戦争未亡人を引き取ったのですから、人の目からは憐み深い王と思われたかも知れません。また、ウリヤは死んでしまいましたから、自分の罪も知られずに済みました。成功者の様に見えますが、神様の目からは、「主の御心に適わなかった」(27節)のです。それは、欲望のままに行動したからといえます。
 4.誘惑に勝利されたキリストに信頼して:私たちもダビデ同様、誘惑に負けることがあります。油断は禁物ですが、常に気を張り続けることは出来ません。
 そこで目を注ぎ、信頼したいところが、救い主イエス・キリストです。イエスさまはただ一人、すべての誘惑に打ち勝たれ、御心に従い通されました。この主に信頼し、聖書と祈りを通して今週も主との交わりを続けてまいりましょう。

 (参考聖書箇所:出エジプト20章3〜17節、レビ記11章45節、ヨハネ16章33節、フィリピ4章6〜7節、コロサイ4章2節、Tペトロ5章6〜11節)
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『小事に忠実だったダビデ』

2017/04/30 20:00
2017年4月30日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   サムエル記下第10章1〜19節 
メッセージ 『小事に忠実だったダビデ』
メッセンジャー 田中文人牧師

 私たちは、小さいことと大きなこと、どちらに力を入れて取り組み、忠実であろうとするでしょうか?今日の聖書箇所には、イスラエル王国第二代目の王ダビデが、ことの大小に関係なく、忠実に対応したことが書いてあります。

 1.ダビデ王の忠実さ:1)アンモンに弔問団を送ったこと=ダビデはサウル王から命を狙われていた時、ナハシュに助けてもらったことがありました。この恩を忘れず、ナハシュが死んだことを知ると、弔問団を遣わしました。
 2)辱めを受けて帰された弔問団を丁重に扱ったダビデ=ところがナハシュの息子、アンモン人の新王ハヌンは、愚かな家臣たちの意見を聞き、弔問団をスパイと見なし、彼らの髭を剃り落とし、衣服の裾も短く切って追い返しました。いまから三千年前のイスラエルの民にとって、これは大変な侮辱行為でした。このことを知らされたダビデは、彼らの髭が延びるまで、エルサレムの手前のエリコの町に留まっているように伝え、辱めを受けた彼らに哀れみを示しました。
 3)戦いの先頭に立ったダビデ=イスラエルとアンモンの関係は悪くなり、戦いが起きました。アンモンはアラムと連合軍を組みましたが、イスラエル軍に追い散らされました。ところがアンモンは諦めず、ユーフラテス川の向こうの方からも援軍を集め、なおイスラエルに向かって来ました。そこでダビデ王自ら指揮を取り、先頭に立って戦いました。その結果、イスラエルはアンモンに勝利し、先祖アブラハムに神様が約束されていたユーフラテス川の向こうの地まで得ることになりました。

 2.結果を主に委ねたヨアブ:アモン人との戦いの時、将軍ヨアブ兵士たちには、「我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように。」と言いました。出来ることを精一杯やり、結果は御心がなるように主に委ねたのです。
 ここにキリスト信仰者が生きる姿勢が表わされているといえます。私たちも、全身全霊を尽し、知恵も能力も出し切ってやれることを精一杯やり通します。そして結果は「主が良いと思われることを行ってくださるように。」と委ねます。全力でことに当たる者を主が見捨てられるはずはありません。もしも思い通りの結果にならない時も、神様には私たちにいまは理解出来ない深いご計画があるに違いないと受け入れるところに導かれます。思い通りの結果になった時も、結果は主から与えられた恵と受け止めますから、「私が頑張ったから…私の力で勝ち取った…!」という高ぶる思いからも解放されます。今週も万事を益になるように働いてくださる主に信頼して、事の大小には関係なく、全身全霊で最善を尽くし、結果は主に委ねましょう。そこに祝福があります。

 (参考聖書箇所:創世記15章18〜21節、サムエル記下7章9節、ローマ8章28節、ヘブライ3章5〜6節、黙示録2章10節)
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『主に信頼していたパウロ』

2017/04/23 12:00
2017年4月23日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書     使徒言行録(使徒の働き)第27章1〜26節 
メッセージ    『主に信頼していたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 今日の聖書箇所には、いよいよカイサリアからローマに向けて運ばれ始めたパウロが、囚人の身でありながら、むしろ旅をリードしている様子が記されています。パウロは、生きて働いておられる主に心から信頼していましたから、この様に行動出来たといえます。

 1.百人隊長から親切に扱われたパウロ:アジア州の各地に寄航する船でカイサリアを出発したパウロたち囚人は、翌日、シドンに着きました。この書の著者ルカとアリスタルコも一緒でした。このシドンでパウロは、百人隊長ユリウスからキリスト信仰者たちと交わり、もてなしを受けることを許されました。囚人でありながら、この様なことが許されるのは、異例中の異例といえます。
 パウロは、どの様な時でもいつもと変わらず主を礼拝し、祈り主との交わりを続けていたはずです。そして、「いつも喜び…すべてのことに感謝」していたことは間違いありません(Tテサロニケ5章16〜18節参照)。その信仰に基づく生活が、百人隊長からの信頼を得ることになったといえます。私たちも心から主に信頼しているならば、ノンクリスチャンからも信用されるようになります。
 2.忠告したパウロ:その後、船は航海を続けようとしましたが、既に季節は秋に入り、航海は危険な季節になっていましたそこでパウロは、このまま航海を続けるならば、積荷だけでなく人にも危険が及ぶことを伝え、「良い港」で冬を越すように忠告しました。これまで3回も伝道旅行をしたパウロの経験が生かされたことは間違いありません(Uコリント11章25〜26節参照)。
 ですが、それ以上に、パウロは、自然界を支配しておられる神様を心から畏れていました。その信仰が、彼を忠告に押し出したといえます。
 信仰による歩みは、いつでも「行け、行け!」ではありません。特に嵐等の自然現象に対しては、それをも支配しておられる主を畏れる思いが大切です。その様な時には、身を守る行動をとることが主を畏れる信仰の歩みです。(詩編107編参照)
 3.乗船者たちを励ましたパウロ:百人隊長は、上記のパウロの忠告ではなく、クレタ島のフェニクス港まで行って、そこで冬を越したいという船主と船員たちの意見の方を信用しました。その結果、船は、「エウラキロン」と呼ばれる嵐に巻き込まれ、積荷や船具まで海に捨てなくてはならなくなりました。人々も2週間何も食べない日が続きました。
 その様な中、パウロは天使からの御告げを受けました。つまり、1)「恐れるな」2)パウロは確実にローマまで行キリストを証しする3)一緒にいる全員をパウロの手に渡す。これらのことを人々に伝え、「だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」(34節)と人々を励ましました。
 私たちも平常時に日々御言葉につながり祈る主との交わりを続けていることが、災害等の非常時にものを言うことになるのではないでしょうか?もしも被災する時、最善に導いてくださる主からの御言葉をしっかり聞き取り、周囲の人たちを励ますところに用いられるならば幸いです。イエスさまは、主を信頼する者を見捨てるようなことは、決してされません。今週も心から主を畏れ、信頼する歩みを願い出ましょう。
(参考聖書箇所:イザヤ書40章28〜31節、Uコリント11章25〜26節、Tテサロニケ5章16〜18節)
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『死者の中から最初に復活されたイエス・キリスト』

2017/04/22 07:02
2017年4月16日主の日礼拝式メッセージ要約
聖書   使徒言行録(使徒の働き)第26章19〜32節 
メッセージ 『死者の中から最初に復活されたイエス・キリスト』
メッセンジャー 田中文人牧師
 1.イースター(復活祭)について:イースター、おめでとうございます。イースターは、教会歴では、移動祝日です。クリスマスのように毎年12月25日と決まってはいません。春分の後の満月の直後の日曜日ですから、3月の下旬から4月25日の間になります。今年は、3月20日が春分で、その後の満月が、4月11日でした。その直後の日曜ですから、今日16日がイースターです。
 イースターは、救い主イエス・キリストが十字架で死なれてから三日目に、死者の中から事実蘇られたことを記念して祝う日です。この死者からの復活を私たちは信じているでしょうか?歴史の事実と信じられるならば幸いです。
 2.死者からの復活を宣べ伝えていたために裁判を受けていたパウロ:今日の聖書箇所には、いまから約2000年前、ローマ総督フェストゥスが、アグリッパ王とパウロが会うための場で行なわれたことが書いてあります。パウロは、なぜ自分はローマの裁判に訴えられているのか、その理由を述べています。彼は、騒動を起こしたのでも、ローマの法律に反することをしたのでもありませんでした。イエス・キリストが、十字架で死なれたこと、その三日後に死者の中から復活されたこと、この事実をエルサレムでも人々に語っていただけでした。
 パウロもこのことを信じられず、先に信じていたキリスト信仰者たちを迫害する先頭に立っていました。ところが、ある時、復活されたキリストご自身から出会ってもらい、死者からの復活が本当だったことを思い知らされたのです。その時から、キリストを迫害する者からキリストの復活を述べ伝える者に180度かえられました。ただ復活を信じて伝えているだけでなく、死に解決が与えられ、パウロ自身もキリストが再臨される時に復活し、完全な天に迎え入れられるところに希望を持って生きていました。
 3.パウロの弁明の反応:死者からの復活を聞いた時、ローマ総督フェストゥスは、パウロが博学のために頭がおかしくなっていると言いました。フェストゥスは聖書をほとんど知らなかったと思います。また、神の国の原則や価値観でも生きていませんでした。ですから、死者が復活することなど信じることが出来ませんでした。一方、アグリッパ王は、聖書のことも知っていました。そこでパウロは彼に決心をうながしましたが、ユダヤ人たちとローマ帝国との板挟みになり、「パウロは、短い時間で自分をクリスチャンにしようとしている」と言い、自分の身を守りました。
 4.復活を信じて新しい人生へ:私たちの反応はどうでしょうか?確かに復活は不思議です。ですが、同じパウロは、次の様にも書いています。「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。…もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。」(Tコリント15章14〜16節)。ですから、聖書からキリストの復活を「事実」と信じて間違いありません。また、私たちもキリストが再臨される時、復活の恵みにあずからせていただけます。そこに希望を持ってこの世を生きていけるようになりますから、キリスト信仰は、失望に終わることはありません。聖霊の導きをいただいて、事実キリストが復活されたことを信じる信仰に一歩踏み出しましょう。聖書知識や求道の長さにはよりません。「いま」と感じた時が大切です。私たち自身も復活の恵みにあずかれますから、キリスト信仰に失望はありません。
 (参考聖書箇所:ローマ10章9〜10節、Tコリント15章1〜20節)
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『約束の実現に希望を抱いていたパウロ』

2017/04/22 07:01
2017年4月9日主の日礼拝式メッセージ要約

聖書    使徒言行録(使徒の働き)第26章1〜18節 
メッセージ   『約束の実現に希望を抱いていたパウロ』
メッセンジャー  田中文人牧師

 私たちは希望をもって生きているでしょうか?目標にしろ、ヴィジョン(まぼろし)にしろ、希望を持って生きることは大事です。もしも人生に希望がなくなったならば、生きていけなくなるともいわれます。その点で私たちは、いろいろなヴィジョンを望み見ながら進み続けますが、人生最大の希望は何でしょうか?

 1.感謝の内に語り始めたパウロ:今日の聖書箇所には、ローマ総督フェストゥスが設定したアグリッパ王とパウロの会見の場の様子が記されています。フェストゥスが列席者たちにパウロについて述べた後、アグリッパ王がパウロに弁明をうながしました。これを受けて彼は、アグリッパ王の前で語る機会が与えられたことを心から感謝するところから語り始めました。
 会見の場とはいっても、ローマ総督とユダヤの一部を治めていた王夫妻、それにローマの主だった高官たちの前ですから、裁判を受けているような状況です。その中でもパウロが感謝の内に語り始められたところには、彼が確実に実現する希望に望みをかけていたからといえます。
 2.パウロが望みをかけていた希望:その希望が、まさに、いま彼が同邦のユダヤ人たちから訴えられている理由=死者の復活についてでした。パウロは、生粋のユダヤ人で、しかも限格なファリサイ派の出身です。死者からの復活に望みはかけていましたが、そのことが事実、イエス・キリストによって実現したことは信じられずにいました。
 3.パウロの回心の証し:そこでキリストの復活を信じていたクリスチャンたちをパウロは捕まえて牢に入れ、迫害する先頭に立っていました。その様なある日、彼は、クリスチャンを迫害する許可の手紙までもらい、ダマスコに向かっていた途中、復活され生きて働いておられるイエスさまから直接語りかけられたのです。この時ようやくパウロは、イエスさまが死者から事実復活されたことを知らされました、人生の向きを180度かえられ、それからは、このキリストを伝える働きに召されました。
 4.私たちの希望:私たちも人生最大の希望は、死者からの復活です。ここに望みを置いているならば、死にさえも解決と勝利が与えられますから、どの様な事態にみまわれたとしても、失望に終わることはありません。イエスさまは、聖書の御言葉を通して語りかけ、出会ってくださいます。聖霊に導かれて聖書を読むならば、聖句によって私たちもイエスさまが復活されたことを信じられるようになります。そこにとどまらず、私たち自身もいつか必ず復活の恵みにあずかるところに希望を持って日々、歩み続けられます。
 今日から今年の「受難週」です。死者から復活されるためには、一旦死ななくてはなりません。イエスさまは、私たちの罪を買い戻してくださり、神様の子どもに迎え入れてくださるために、最大の苦しみである十字架の死を通ってくださいました。十字架上で流された貴い血によって、救いの道が開かれたことをいつも以上に感謝する一週間を過ごしましょう。そして次週は、そのキリストの復活を心から喜ぶイースターを迎えましょう。
 
 (参考聖書箇所:箴言28章18節、イザヤ42章6〜9節)
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